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アイリスアンドアンジェリカ




「ど、どうなってるの……」


 オッドウェルを中心に、バイオレット・キーラインの輝きがフィールドだけでなく観覧席まで、いや、学園全体までをドーム状に包み込んでいく。

 空が完全に本来の色を失って紫の色に染まっていくのを、私たちはただ呆然としながら眺めるしかできない。

 オッドウェルの剣先は、いまだにスバルの心臓を捉えたままだ。


「審判! 試合を止めて下さい!! プロテクトが作動してます!!」


 現状を把握するよりも、目の前のスバルの危機を救う為アイリスが声を張り上げる。しかし審判が合図を送る気配はない。

 それどころかスバル達に背を向けて、ゆっくりとした動きでフィールドの陣に近付いていく。

 試合中の魔法や武器が誤って外部に届かぬよう、フィールドは陣の障壁で外部接触が出来なくなっている。その障壁を通過出来るのは審判だけであり、そして審判が勝敗の合図を下して解除した時だけだ。

 その審判が、試合の合図を放棄して陣の障壁をすり抜けて行く。


「嘘でしょう!? なんで……っ!!」

「なんで試合を止めないで降りていくの!? 審判! 審判!!」

「……待て。様子がおかしい」


 レオンの言葉を聞くまでもなかった。

 陣の障壁が解除されないまま、審判は夢うつつの足取りでグラウンドの出口へと姿を消して行く。


「……っ! 誰か他の審判が代わりに合図を……」


 他のフィールドで試合をしている審判か、もしくは代打の審判に止めてもらえば良い。もしくはこの学園の教師であれば解除は可能なはずだ。

 そう思って周りを見渡し、そして背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。

 誰も動かない。

 由緒正しいセレスティア学園での考えられない不祥事に、誰も何も言わない。言わないどころではない。

 私たち以外、誰も動いていないのだ。


「……どういう事なの……」


 観客達は虚ろな瞳でスバルとオッドウェルの終わらない試合を見守っている。

 他のフィールドで戦っていた選手達でさえ、完全に動きを止めて試合の行く末を不気味な案山子のような立ち姿で眺めていた。

 ううん、違う。

 光の灯らない目は試合を見ているのではない。

 彼らはただ、スバルの心臓に剣が突き立てられる瞬間を待っているのだ。


「キーラインに、みんな操られてる……?」

「どういう事だ……? それになぜ私たちだけ自我を保っているんだ? それとも他に、少数でも操られていない人間はいるのか?」

「そんな事より! 早くフィールドの陣を解除してスバルを助けないと!」


 何故だか操られていない私たちだけど、その原因を追求するのは後でいい。私たちまで試合を眺め続ける訳にはいかないのだ。

 だがレオンは渋い顔を見せる。


「……正直陣の解除は難しい。試合とはいえ、万が一にでも来賓席の重要人物達に魔法の火花が掠める事なんてあれば大問題に発展しかねない。それを防ぐために、かなり高度で強力な魔法障壁が張られている。このメンバーで外部から障壁を解除、又は破壊する事は不可能だ」

「不可能だなんて!」

「ちゃんと陣を見るんだ。セレスティア学園で使われている障壁だけじゃないのが分かるか?用意周到にもキーラインで強度の補強までしている」


 レオンの目は確かだった。

 結界のようにフィールドの四方で、障壁の間にキーラーンが浮かび上がっている。キーラインは互いをブースターのように結び付けながら、激しい力を放出している。


「そんな……」

「スバルのプロテクトが破壊されるのも時間の問題だ。審判か教師の目を覚まさせなければ……」


 けれどそんな事が出来るのは、障壁の中にいる聖女の力を持つスバルしかいない。

 そしてそんな事はレオンも百も承知だ。


「ヨナスも姿を消しちゃって、みんなを操ってるキーラインの持ち主は障壁の中にいるオッドウェルで……。オッドウェルのキーラインを取り除く事が出来るのはスバルだけ……」


 聖女という切り札は最初に抑えられてしまい、私たちの手にはもう何も残っていない。

 このままオッドウェルの剣がスバルの心臓を貫く姿を指を咥えて見ているしかないのだろうか。

 こんなところでスバルが死ぬなんて信じられない。けれど脳裏には、血で染まるBAD ENDの画面が鮮明に点滅して私を脅かす。

 どうしようどうしようどうしよう。このままスバルを守れなかったらどうしよう。スバルがしんじゃったらどうしよう。そんなの、私どうしたらいいんだろう。

 全身から血の気が引き、紫がかった景色が白くかすみだす。足がふらりと傾いた。


「アンジェリカ」


 パニック寸前になっていた私は、アイリスの呼びかけに我に返った。


「アイリス……?」


 我に返ったのは、それはさっきまで震えていたアイリスの声が、毅然とした決意のこもった声音だったからだ。


「私たちはスバルさんをサポートする為に派遣されたよね」

「そうだけど、アイリスどうしたの? 今はそんな事言ってる場合じゃ……」


 突然のアイリスの確認に、私は意味がわからずに混乱する。けれど、そんな私の手をアイリスは両手で強く握りしめた。


「私はアンジェリカと一緒なら何も怖くない」


 その眼差しに、私は反射的に応えた。


「私だってアイリスと一緒なら何も怖くなんてない」


 私たちは2人で一つ。

 1人じゃ出来ない事だって、2人一緒なら何だって出来る。そんな事、確かめる間でもなくアイリスだって知ってる事だ。

 けれどアイリスは自分の事よりも、私に危険が訪れるのを恐れている。

 それは私だってそうだ。自分よりも、アイリスを守りたい。

 でも。


「いこうアンジェリカ。私たちだけの方法で、スバルさんの元へ」


 私たちの使命はスバルのサポートだ。

 この世界で、スバルを失うことなんてできない。

 アイリスの手を、強く握り返す。


「いこうアイリス。私たちの使命を果たしに」

「何を言っているんだ?この障壁を突破できるのか?」

「私たち2人なら」

「2人なら? なら私は行けないのか? 2人だけでどうする! 下手をすれば3人共が殺されるぞ!」


 普段の人を食ったような振る舞いのレオンなら、スバルが助かるのならば喜んで私たちを差し出しただろう。

 けれどこの尋常じゃない現状に、私たち2人を放り込む危険性を彼は正確に理解している。

 私たちはスバルを守って死ぬかもしれない。

 だからこそレオンは真剣に反対するのだ。本当は優しい人だから。


「スバル!!」


 レオンの制止を振り切り、私たちは全力で声をあげる。

 必死の呼び声に、スバルは初めて私たちの存在に気付いたようだった。オッドウェルに動きを封じられながらも、首をめぐらせて私たちの姿を捉える。


「ベルを鳴らしてスバル!!」

「!?」


 意味が分かっていないまま、オッドウェルに踏みつけられた反対の手でスバルは緩慢に懐を探る。

 そしてスバルが装飾匠なベルを持ち上げた時—————————、私たちは3階観覧席からフィールドへと飛び降りていた。






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