時間が薬とは言うけれど
「選抜戦が近づいてくると、実技の授業が増えるのね〜」
体育館と言ってしまうには広すぎる講堂の片隅で、アイリスはのほほんとした感想を述べた。
セレスティア学園で年に一回行われる選抜戦は、メグミだった時の知識でいうと、運動会の雰囲気に近い。
通常の体育の時間を運動会の練習に費やすのと同じように、魔法技術と身体能力を競い合うこのイベントの為、魔法学や護身術、剣術等の運動系の授業は全て選抜戦仕様の実技の時間として充てがわれている。
この実技を通して先生たちが生徒の能力値を測り、シードを作るのだ。
「生まれが高貴なのも大変なのね。人の上に立つ為に、文武両道が求められるんだもの」
そう言ってアイリスはため息を吐く。
広い講堂には正方形に張られた幾つもの魔法陣が描かれ、その陣の中で生徒たちがお互いの能力を披露している。
実技中に万が一魔法が暴走したとしても、魔法陣の結界がある限り外に被害を与える事はない。安心して競える反面、まるで逃げ場のない拳闘士の戦いのようでもある。
貴族という身分にはそぐわない荒々しいイベントに、アイリスはどうも社会的強者ゆえの重荷を感じたらしい。
「選抜戦本番では、この魔法陣ももっと大きくなって、大体3組程が同時に試合をしていくんですって。学生の皆さんは順番が来るまでは2階と3階の観覧席で試合の見学。私たちのような侍女や執事たちは、主人の席の近くで控えててもいいし、今みたいに1階の隅で待機してても良いって……ねえ、聞いてる?アンジェリカ」
アイリスはもう一度、今度は深々とため息を吐いた。
「アンジェリカ、きっと時間が解決してくれるから大丈夫よ。だからそんなに落ち込まないで」
そう言って、アイリスは優しく私の背中を撫でた。
いつもなら気持ちを切替えて仕事しろと背中を叩かれそうなものなのに、アイリスが私に優しく接するのには理由がある。
それは。
私がもう、1ヶ月近くスバルに避けられているからである。
「う、ううう……、時間はそれなりに経ってても、全然解決の糸口が見つからないよおぉぉ」
「な、泣かないでアンジェリカ」
私はいつもの如くフリルまみれのエプロンを両手で握りしめ、泣きこそしなかったけれど本当に泣き出したい気持ちでアイリスに訴えた。
「あの食堂の一件から、スバルずっと私の事避けてるんだもん。朝に寮の部屋まで迎えに行ってももういないし、学校が終わったらすぐ行方くらませちゃって、どこに行ってるのかも分かんない。そんなのがもうずっと続いてるんだよぉ」
そうなのだ。スバルは私に合わないよう、朝は驚くほど早くから寮を出て、放課後はあっという間に姿をくらませていつ寮に戻っているのかも分からない。
それがあの日食堂で喧嘩してからずっと続いているのだ。
「どうしようアイリス……。私、完全にスバルに嫌われちゃったんだ……」
「だ、大丈夫っ!スバルさんに会えてないのはアンジェリカだけじゃないわ。私も一緒で全然お会い出来てないもの。アンジェリカだけが嫌われた訳じゃないから安心して!」
全然安心できない事を言いながら慰めてくれるアイリスも、内心では焦っているのだろう。
そりゃそうだ。自分たちがサポートすべき主人から避けられているのだ。
私の前ではあえて平然を装ってはいるものの、仕事に誇りを持ってるアイリスなのだ。落ち込まないはずがない。
「うう、ごめんねアイリス……。私がスバルと喧嘩したばっかりに……」
「その話はもう何度だってしたでしょ? そりゃスバルさんの言い分に聞く耳持たずに、きつい言い方したアンジェリカが悪いけど」
もう何十回と繰り返したやり取りに、アイリスは呆れたように首を振る。
「今はスバルさんの気がすむのを待つしか私達に出来る事はないわ。ビリーさんは頼りになる方だし、魔法学にも精通してる方でしょ? ビリーさんと一緒にいるならスバルさんも安全だし。ね?」
元気付けるように微笑みかけてくるアイリスに、私はグズグズと鼻を鳴らしながら頷いた。
朝晩と姿をくらますスバルは今、学友のビリー・パーカーと一緒に行動している。
それを教えてくれたのは他でもない、ビリーその人だ。
スバルに避けられていると半ばパニックになっていた私達に、ビリーは自分と行動しているから安心して欲しいとわざわざ伝えに来てくれた。
『結構プライド傷つけられたみたいだから。今はさ、ソッとしといてやってくれないかな? 意外と繊細なんだよ、男のプライドってやつはさ』
ただ、どこの誰と居るか分からなかったらアンタらも心配だろ? そう行って放課後にこっそり耳打ちしてくれたのだ。
ビリーなら安心なのは間違いない。スバルを大切に扱ってくれるのはビリールートで十分に理解している。
それにビリーは卓越した魔法技術の使い手なので、スバルの身の安全を考えても、十分信頼できる相手だ。
それで私たちは何とかサポート対象のスバルに避けられても、こっそり跡をつけて回るようなストーカーにならずに済んでいる。
「ビリーがいてくれて本当に良かった」
このセリフももう何十回繰り返したか分からない。
それでも心の底からもう一度繰り返した。
「そこまで!」
魔法陣の前で鋭い制止の声をあげる教師の声で、私はハッと物思いから我に返った。
一画の魔法陣が解放される。そこで行われていた試合に決着が付いたのだ。
私はキョロキョロと辺りを見回す。
そもそもここに来た理由を忘れてしまう所だった。
「魔法陣で区切られてるから、どこの区画にいるのか分かり難いわね。スバルさんもこの授業受けているはずだけど、講堂は広いし生徒も多いし、見つけられるかしら」
アイリスが困ったように言う。
私も同じように、薄い黄緑色に光を放つ魔法陣の向こう側にいる人が見えるように目をこらす。
本番ではこの陣も大きくなって見やすくなるみたいだけど、今は陣も小規模のせいか放つ光も強くて見え難い。
そして私たちはスバルだけを探しているのではなかった。
「あ、アイリス。あそこ、あれってそうじゃない?」
「本当だわ。あそこにいらっしゃったのね」
私が指差した方向を見て、アイリスが嬉しそうに頷く。
そこにいたのはセレスティア学園の運動着を身にまとった、アルフレッド・オルフェーズの姿だった。




