アクシデントは自発的に
突然誰かの大きな手のひらが、私の拳を覆った。
「!?」
「あ、よお。レオン、アルフレッド」
スバルの挨拶で手を握った人間が誰か気付き、私は毛を逆立てた。
「ちょっ……! 気安く触んないでくれる!?」
「はっはっは。私が気安く触れない人間なんて一握りしかいないよ。そろそろ子猫みたいに威嚇するのはやめたらどうだい?」
手を振り払われた事にも頓着せず、レオンは鷹揚に笑ってみせるが、人権無視な発言を私は聞き逃してないぞ。
「アンジェリカ〜! レオン様は皇子様なのにっ、あなた毎回なんて失礼を…!」
「いや、アイリス。大丈夫。むやみに触れる我が君が悪い。気にするな」
半泣きで私を咎めるアイリスに、後ろで呆れたように立っていたアルが優しくなだめる。
従者に諌められても気にもしてない顔で、レオンはスバルの横に立つ。
「今日も麗しいね聖女」
「俺は男で、聖女じゃないっつーの」
レオンの甘い囁きに、スバルはすっかり慣れてしまったのか素っ気なく返す。
しかし当のレオンは軽く肩をすくめただけで、誰の許可も取らずスバルの隣の椅子に腰掛ける。
「勉強してるの? 私すごく優秀だったんだよ。教えてあげようか?」
「マジ? あー、でも確かに頭良さそうな顔してんもんな。これ分かる?」
「どれだい?」
私たちを置いて、ウキウキと2人だけの世界に入ろうとするレオンに、私は目を軽く据わらせる。
「このルートが見たいわけじゃないのよ……」
スバルの命を守るためにも、そして自分の欲望を満たすためにも。私はなりふり構わないと決意している。
「おおぉーーーっとお! 手が滑ってお茶がぁ!」
「あ、アンジェリカァーーー!!!」
私は目の前のティーカップを雑な仕草でひっくり返す。
アイリスの絹を引き裂くような悲鳴をBGMに、飴色の紅茶は狙い通り、スバルとレオンの間を引き裂くように勢いよく流れていく。
「おっと」
テーブルから溢れた紅茶から身を守るため、2人は揃って椅子から立ち上がる。
その隙をついて、すぐさまフキンを片手に2人の間に身を滑らせた。
「ごめんなさいねぇ、手が滑っちゃって! スバル、服大丈夫? アルはレオン様の服が汚れなかったか見てくれる?」
「あ、ああ」
私の唐突な指示に、戸惑いながらもアルはレオンの服に飛沫がかからなかった点検する。
「アンジェリカ、おっちょこちょいにも程があるんじゃないかい? 手を滑らせたと言うよりも、カップを裏手ではたき倒したように見えたぞ」
ブツブツ言いつつも、レオンは大人しく、慣れた仕草でアルの点検に身を委ねている。
いつもこうやって見なりを整えているのが分かる、お互い馴染んだ動きだ。
燃えるような赤い髪のレオンと、色素の薄い銀髪のアル。
並ぶと際立つ見事な対の見目麗しさに、内心ニンマリほくそ笑みながら、私はスバルに顔を向けて謝った。
「ごめんねスバル。制服にお茶は飛んでないみたい」
スバルの制服を点検しながらそう言うと、スバルよりも先に、アイリスが握り拳を作って小突いてきた。
「ばかばかアンジェリカ! 最近無作法が過ぎるわよぅ!」
「いでで、ごめんごめんて!」
「アイリス、大丈夫だって。汚れてないんだし」
「スバルさんはアンジェリカに甘すぎます!」
優しい言葉に、アイリスはキッとスバルを見るが、無駄だと悟ったのだろう。深いため息をついて、テーブルのお茶を一緒に拭いてくれる。
ごめんよアイリス。でもこれはレオンルートを回避して、スバルの命を救う行為の一つでもあるんだ。許しておくれ。
「ところでレオン様、何かご用事があったんじゃないですか? 最近学校内でお見かけしませんでしたけど」
アイリスが不思議そうに問う。
確かに、最初の3日間はうっとおしい程スバルの後を付きまとっていたのに、その後はアルだけ護衛に置いて、すっかり姿を見せなくなっていた。
三日坊主かとアルに尋ねたら、吹き出すように笑っていた。
アルは結構レオンが貶められる話を聞くのが好きなようで、しれっとした顔をしつつ、口の端が微かに上がってる時がある。
この主人にしてこの従者ありって感じだが、そこに2人の関係の気安さも感じて、それはそれで萌える。
私がじっとりした目で2人を眺めているのに気付きもせず、レオンはあっけらかんとした顔で笑った。
「ああ。聖女殺しの犯人、もしくはヘルフバーン家のご令嬢を操った犯人が校内にいると思ったんだけど、全然見当たらないからさ。ちょっと飽きてきて、違う方面からアプローチしてたんだよ」
(アルが吹き出したのは、三日坊主が的を得てたからってわけ)
じっとりしていた目線がジト目に変わる。
「それで、アルに現状を聞くのと、君たちからあれから何か変わった事がないかを聞きたくて。で? どう? 何か変わった事はあったかい?
あ、アンジェリカ。お茶のおかわりを頼むよ」
私は無表情で新しいティーカップを用意し、2人の客に新たなお茶を注いだ。
スバルは濡れたテーブルを拭くどさくさで座席チェンジを促したので、レオンとはテーブルを挟んだ向かいの席に座っている。位置どりは大事だ。
ティーカップをレオンの前に静かに置いて、私はハンッと鼻先で笑いながら問いかけに答える。
「変わった事がなかったかですって。心配して下さって、皇子様はお優しい事ですわねえ」
「よしなさいってば、アンジェリカ」
私の皮肉たっぷりなセリフに、アイリスがすかさず嗜める。けれど、その口調はいつもより力無い。
「ん? え、どうしたんだい? 何か問題でも? アルからは特に報告は上がってきてないけど……」




