目覚め
深く、深く沈み込んでいた意識が引っ張り上げられるように、急速に覚醒する。
意識を取り戻した満が最初に捉えたのは風が木の葉を揺らす音、次に若草の青い匂いだった。
ゆっくりと目を開ける。
堰を切ったように飛び込んでくる光の眩しさに目を細めつつ身体を起こし辺りを見渡すと、そこはどうやら森であるらしかった。
植物には特別詳しくないため辺りに根を張る広葉樹群が一体何の木なのか、そもそも地球に存在するものと同じものなのかも満には分からないが、それらが繁らせた葉と先程までシーツにしていた草本が青々と色を付けていることから、ひとまず四季があると仮定すると今の気候は春から夏だろう。
日本のような不快な湿気と熱気は感じられず、満にとって過ごしやすい気候であるので、どちらかと言うと春寄りだろうか。
「と、意外にサービスいいんだな、女神様……」
ふと腹部に手をやると、手のひらが捉えた感触がやけにざらついていたので視線を落とす。
転生前はワイシャツの上にブレザーを着込んでいた満だったが、今は青い生地の厚手のチュニックと鞣革のズボンという装いに変わっていた。
どうやら女神が気を利かせて世界基準に合わせてくれたらしい。
学生服のまま放り出されようものなら無用に人目を集めてしまっていたところだろう。
女神の想定外のサービスの良さに一頻り感心してから「さてこれからどうしようか」と思考を切り替える。
「まずはここを脱出、次に当座の拠点になりそうな街か村に移動……だよね」
せめて平原スタートであれば街道を見つけてそれに沿って移動すればいつかは何かしらの集落に辿り着けたのだろうが、満が放り出されたのはどこともしれない森の中。
広さもわからないし、森歩きの経験など当然ない満が闇雲に動き回ったとして迷わない保証はない。
まず一つの目標として、この森を無事に脱出することを掲げる。
「ーーーーッ!?」
何をするでもなく、地面に胡座をかいたまま今後の行動に考えを巡らせていると、不意に視界が大きく揺れる。
続いて脳を直接揺さぶられるような衝撃が走り、強烈な眩暈に襲われる。
「がっ……! あっ……!?」
座位すら保つことも出来なくなり、倒れ込みのたうちまわりながら必死に奥歯を噛み締める。
纏まらない思考で何事かと考える間もなく、本能で理解した。
突然満の脳を殴り付けてきたのは、途方もない量の情報だ。
怒濤のように脳内に書き込まれていく情報の膨大さに満の脳の処理能力がオーバーし、強烈な吐き気に襲われる。
空っぽの胃からまっさらな胃液を吐き出しながら押し寄せてくる情報に耐えていると、どれだけそうしていただろうか、脳内を荒れ狂っていた情報が急激に凪ぎ、眩暈も残滓のような軽い頭痛を遺して概ね治まる。
「げほっ……! もうちょっとどうにかならなかったのかな……」
口内に微かに蟠っていた胃液を吐き出し、手元に『水の球体を作り出して』頭からそれを被る。
吐瀉物で汚れた服を水魔法で清め、炎属性の魔法と風属性の魔法を併用して乾かし、匂いを確認。
ただ水で洗い流しただけのつもりだったが、服には吐瀉物特有の臭いも残っておらず、清潔な状態に戻っていた。
「なるほど、これは便利でいい」
インプットでは軽い地獄を見たが、実際使ってみるとあの苦しみをもたらした女神を恨む気持ちも吹き飛ぶ程度には魔法というものは中々に便利だった。
脳内に刻み込まれた知識に従い、体内に渦巻く魔力に意識を向けてみても全くかさが減ったようには感じられず、どうやら知識面だけでなく肉体面もかなり弄られているようだ。
「でもこれからどうするかは分からず仕舞いか。自分でどうにかするのも醍醐味ってことなのかな」
女神に与えられた知識は魔法と武器の使い方、それと細々とした冒険に必要そうな技能などのみで、この世界の常識的な情報やらこれからどうすればいいのかなどのものは一切与えられなかった。
「このくらいは自力でどうにかしろ」ということらしい。
「…………」
ふむ、とひとつ嘆息してから、指を鳴らす。
ぱきん、という硬質な音が響き、満の目の前に透き通った氷の階段が形成された。
出来上がった階段を登り、周りの木立の頂点よりも上に立って辺りを見渡す。
内部からは規模などは一切窺えなかったが、上から見た限りではこの森はそこまで広大というわけでもないらしい。
加えて満の現在地は森の外縁にほど近く、抜けた先には街道らしき草が禿げた道が見える。
森の奥深くに放り出さなかったのも女神なりの親切心といったところだろうか。
ひとまず見えた光明に頼ろうと街道の方に向かうことにして、満は足場の氷を消去した。