転生
こちらより本編です
「おめでとうございます! アナタは名誉ある私の下僕に選ばれました!」
暗転した視界が光を取り戻すと、そこは一面真っ白な世界だった。
天井も床もない、奥行きが一体どこまであるのかもわからない、ただ白いだけの空間に立っていた。
ーー床もないのに立ってるっていうのもおかしな感覚だなぁーーなんて考えていると、やけにテンションの高い女性の声が空間に響く。
発生源もわからない、空間全体に響いているとしか言いようのない声に辺りをぐるぐると見渡すと、身体の正面に、まるで最初からそこに居たかのように、一人の女性が佇んでいた。
純白の長い髪に整い過ぎた顔立ちと白磁の肌、双眸には黄金に輝く満月が浮かび、豊かな起伏を湛えた細い身体を髪と同じ色の法衣が包んでいる。
「私は神です」
「はぁ、そうですか」
まるでギリシャかどこかの神話の神様みたいだ、なんて考えていると、目の前の女性は過剰と言っていいくらいに表情を決め、そう名乗った。
どうやら本当に神らしい。
「むぅ、取り乱され過ぎるのも面倒だけど、こうも反応が薄いのもつまらないわね」
「それはすみません」
反応が薄かったことがどうやら不満らしく、少しだけ頬を膨らませて拗ねるように呟いた神に頭を下げる。
反応が薄いのは生来のものなので特に自分に非があるとも思えないが、なんとなくそうした方が良かったような気がした。
「それで、ここは死後の世界ということでいいのでしょうか?」
「あら、話が早いのね。面倒な件をやらなくていいのはありがたくていいけれど……そうよ、ここは死後の世界。七瀬 満君、あなたは地球において命を終えました」
神の言葉を聞いて、満は自身の記憶にある最後の光景を思い返す。
五メートルほどの高さから自身の頭を目掛けて落ちてくる、数十キロはあるであろう大きな甲板。
まともに受ければ人の頭など原型も残らないだろう。あの状況であなたは生きていると言われた方が余程困惑する。
「死んだ人ってみんなこうして神様と話せるんですか? だとしたら相当忙しそうですけど」
「まさか、そんなことしてたら身体がいくつあっても足りないわ。あなたは特別」
「特別」
「《そういう趣味》があるみたいだし、大体察しはついているのではないの? 言うところの転生イベントってやつ」
あまりにも明け透けな神の物言いに、思わず苦笑いを浮かべる。
満に《そういう趣味》があることを知っているのは神を名乗る以上驚かないが、様式美としてもっと勿体ぶってもいいのではないかと思わなくもない。
「……なんで僕なんです? 間違って殺したとか?」
満は特に武術などを修めているわけでもなく、かといって学問で特別優秀なわけでもない。平々凡々、どこにでもいる高校二年生だ。
転生したところで大それたことを出来るだけのバイタリティもメンタリティもない、英雄足りうる素質の一つも持たないただの人間。
そんな自分が転生するとなれば、何かの手違いかと理由を尋ねると、女神は首を横に振る。
「いいえ? 私がやりたい事に付き合ってくれそうな人を探してたらちょうど目に留まったから殺っちゃった」
「殺っちゃった」
「ほっといても三日くらいの命だったし、三日程度なら誤差でしょう? だからちょっと早めたの」
「うん……うん………?」
満は17歳、特に偏った体型をしているわけでもなく、人並み程度の運動はできる健康体だ。
そんな自分が三日で死んでいたというのも驚きといえば驚きだが、何よりも驚いたのは三日くらいの誤差なら今殺してもいいかと考えちゃう女神の倫理観に対してだった。
流石に神と言ったところか、人間とは物の尺度が全く違う。
「……それで、神様がやりたい事と僕が転生する事になんの関係が?」
「そうそう、細かいことは気にしないのが賢い選択よ。
まず私のやりたいことから説明すると、ズバリ観光よ」
「観光」
「来る日も来る日もこーんな真っ白な空間で何をするでもなくただ世界を眺めてるのって退屈なの。だからたまには地上に降りてみようと思って」
「降りればいいじゃないですか」
「そう簡単な話でもないの。まず神は降臨したところで地上に大した干渉ができないわ。実体も持てないから何かに触れることも食べることも出来やしない。
そんなの観光とは言えないでしょう? だから少し工夫することにしたの」
神がやりたい事などと言うから何事かと思えばまさかの観光。
満としては勝手にやってろといったところだが、どうにもそうはいかないらしい。
「それでその工夫っていうのが、適当なげぼ……もといお手伝いを用意して、現地の適当な人間に私との経路を繋いで貰おうと言う事なの。
パスが通れば私はそれを通じて情報、感覚を得る事ができるし、なんなら身体を乗っ取って自由に使えたりするし」
「今のところ人権とか尊厳的な意味で最悪な事言ってる自覚はありますか?」
「人権も尊厳も人間同士の勝手な概念でしょう? 人間は蟻に尊厳を見出すのかしら?」
「まあ、神様にそれを言われると弱いですけど……」
「話を戻すわね。それで君にやってもらいたいことっていうのが、もうわかってると思うけど現地の人間と私とのパスを繋ぐ役目と、私とその人間を連れて世界を面白可笑しく旅すること。
別に魔王とか邪神と戦えなんて言わないわ、そこら辺はどうせ勇者とか他のちゃんとした転生者がどうにかするし、悪い話ではないと思うのだけれど」
「旅、ですか」
確かに強大な敵と戦えやら、世界を救え、などと言われるよりは基本平和主義者の満にとって余程好条件ではあるが、その代わりの条件が女神の接待である。
しかも女神の依代となる現地の人間を見繕うという責任重大な仕事まである。
正直、面倒ではある。しかし地球において既に死んだと言われ、女神の眼前に引き立てられたというこの状況下、断れる要素が見当たらない。
仮に断ったとして、自分の目的のためにあっさり人間を殺す女神のことだ、問答無用で転生させるに違いない。
「悪い話じゃないというか、そもそも断れないじゃないですか」
「そうとも言うわね。まあまあ、私の為に動いて貰うわけだし、うっかり死んでしまわないようにちゃんと神の使徒に見合うだけのスペックはあげるわよ。向こうに着いたら楽しみにしておきなさい」
「はぁ……」
「さて、それじゃあ話も纏まったところで転生先の世界について話しましょうか。
もう薄々わかってると思うけど、名前は《アリスィア》。剣と魔法のファンタジー世界よ。
文明発達は貴方達の言うところの中世ヨーロッパ的な感じ。だけど路傍に糞尿が垂れ流されたりはしていないから安心なさい。それなりに清潔よ」
なるほど、よく見るご都合主義ファンタジー世界といった感じらしい。
剣と魔法の世界となると多少は戦う必要も出てきそうだが、女神のお供が務まる程度のスペックが貰えるというならあとは満自身の適応力の問題だろうか。
そんな満の考えを読み取ったのか、女神はふっと表情を綻ばせる。
「そろそろ心にもないことで悩むふりをするのはおやめなさいな。死んだ理由も時間も、適応できるかも貴方にとって重要ではないのでしょう?
そういう人間だから、私は貴方を見出したのだから」
「ーーーーー」
「さて、そろそろ転生の時間よ。これを持っていきなさいな」
そう言うと、女神は金色に輝く小さな鍵を一つ、満に投げ渡す。
クラシカルな意匠の鍵を摘み上げ眺めていると、女神は「そんなに見ても何も変わらないわよ」と小さく笑う。
「それは向こうの世界の人間と私を繋ぐ経路を通す為の鍵。「いいな」と思った相手が居たら相手の体のどこでもいいから挿しなさい。
そうね、私は誰でもいいけれど……やっぱり永い時を共に旅するのだもの、可愛い女の子がいいんじゃないかしら。社会的な立場があると無用に混乱するでしょうし、奴隷とかが後腐れがなくていいかしらね」
「相変わらず相手の都合はガン無視ですね」
「あら、ちゃんと混乱を避けようと考えているじゃない」
「それはあくまで自分の為でしょう……」
満が一つ嘆息すると、女神はころころと小さく笑う。
一頻り笑うと、女神は「今度こそ行くわよ」と右手を持ち上げ、指を合わせる。
「それじゃあまた今度、近いうちに会いましょう」
そう言うと、白い空間にパチンと指を鳴らす音が響く。
その瞬間満の視界が再び暗転し、意識が深く沈んでいった。