日報45『髪の透け方』
最近の作品は瞳や眉が髪に透けているキャラ設定のものが多い。・・・多い、のだが、もちろん髪に透けない作品もある。
「原画の透け作画はアタリなんだよなあ。ちゃんと『目、眉透けません』ってキャラの横にも書いてあるし。」
俺、南花嘉雄は朝イチから大きなため息をついた。ままある事だが、瞳や眉が髪に透けていないキャラなのに透けて描かれている。しかも細かい前髪の毛束が目にかかっているので、余分な線を消す手間も増える。これが暖簾のようにある程度まとまった前髪ならば、まだ消しやすいのだが。
「えーっと、このキャラのバストアップが三十二枚に、口パクが九枚か。まあ口パクはいいとして、顔がキツいな。瞳の塗り分けも多い方だし。」
ひとりごちながら作業を始める。やはり前髪に透けた眉などを削っていくのに時間がかかった。
「あー!イライラするな、コレ・・・。」
一枚塗り終えるたびに時計の表示を確認するが、慣れて早くなるどころか徐々に一枚にかける時間が増えていっている気がする。自分の頭の中で面倒くさいと一度思ってしまうと、途端に手が遅くなるのは悪い癖だ。
それでもなんとか半分ほど塗り進めたところで、隣の席の北町さんが出社してきた。
「おはようございまーす。」
「おはようございます、北町さん。今日は塗りやります?」
「開口一番なによ、それ?また大変なカットでも引いたの?」
「いや、ただめんどくさいだけっス。作画注意事項って、何の為にあるんスかね?」
こちらのモニターを覗き込み、なるほど、と納得した顔で自席に座った。
「髪透けはねー、だいたい描いてくるよね。最近は透けてる方が多いし。」
「そうなんスよねー。動画さんは原画通りに上げてくるんで、原画から透けてないように描いてもらわないとどうにもならんですかね。」
「で、余分な線を消すのに辟易してると。」
「っス。北町さん十枚くらい塗りません?」
「残念、指定素材が入ってきてるから私は自分の仕事をします。」
「ですよねー、分かってました。」
無理な要求だと分かっていたが、口に出さずにはいられなかった。それほど面倒くさいのだ。諦めて作業を再開する。
「あと五枚・・・。」
残りの枚数をカウントしながら、削っては塗り削っては塗りをくり返していく。
「あと二枚・・・。」
終わりが見えてきた。
「ラスト一枚!」
ようやく全てのAセルを塗り終わり、ひと息ついた。まだBセルの口パクが残っているが、それは大した作業量ではないので、まあいい。
「おーわったぁっ!」
背もたれに体を預け背伸びをしていると、北町さんが呆れたような顔でこちらをチラと見ていた。
塗りもれがないか、色パカはないかなどを入念にチェックし、Bセルの作業に移る。こちらはなんのストレスもなく塗りも検査も終えられた。最後にもう一度ひと通りチェックをして、上がりのフォルダにデータを入れる。
ダミーのカット袋を上がり棚に置き、次のカット袋を取って自席へ戻る。今度はさっきとは別の作品だ。サーバーからトレスデータをダウンロードし、内容を確認する。
「目のどアップからだんだん引いていってバストアップまで・・・、この作品は髪透けだったよな?」
仕上げ注意事項を開いて確認をすると、この作品のキャラは瞳、眉などの実線は髪に透けて、塗りは髪色優先。ただし、睫毛と瞳孔のブラックは髪色よりも優先というものだ。ひと通りセルを流して見てみると、髪のなびきが大きく瞳にかかるが、瞳孔まではいかない。線を消す必要がないので、先ほどよりペイント作業はだいぶ楽だ。
「全部髪色優先でいいのになあ。」
少し前までは髪透けは全て髪色優先の作品が多かったが、最近では色々なバリエーションがある。眉は透けるが瞳は透けないとか、髪色よりも眉の色が優先とか、髪越しの眉は別色でTPとか。一番最近塗っていて大変だったのは、髪越しの瞳の色が全て別色で設定されているもの。通常ならば長い前髪で片目が隠れているキャラの瞳が透け越し色で塗られているので、塗り上がりは確かに綺麗に見えるのだが、作業は格段に面倒だ。単純に倍の色数が必要になるので、それだけでも時間がかかる。
「アレよりはマシか。さて、作業作業。」
モニターに目を戻し、ペンタブを動かす。先ほどのカットよりはストレスなく作業は進むが、これはこれで大変だ。ひと通りのペイント作業を終え、チェックに移り、セルを順に送っていくと、何か違和感を感じる。
「んー、パカってるか?」
キーボードを叩いている指の速度を落とし、ゆっくりとセルを進めていく。
「あった、ここだ。」
一枚だけ前髪の毛束に囲まれた睫毛とまぶたの線の間の小さい隙間を睫毛と同色のブラックで塗ってしまっていた。モーションチェックでは一瞬すぎて分からなかったが、見落とさなくてよかった。最後にもう一度チェックをし、データを上げる。さて、まだ今日の仕事は残っているだろうか?
「おっと、まだあった。全部一枚止めか。」
棚にまだ三カットほど残っていたので、上から一袋取って自席へ戻り、トレスデータを落としてセルを開く。縦に長く、キャラの全身が入ったカット。この作品は確か髪透け色があったはずだ。注意事項とカラーモデルを開き、確認する。
「えーっと、眉と睫毛が同色の髪透け色でペイント、っと、別色のキャラもいるのか。こいつは同色のキャラだな。あとは実線は透けるけど髪色優先・・・他に気を付ける事はないか。」
黒髪よりの濃い茶系の髪のキャラだったので、正直なところ髪透け色はパッと見分からない。一枚止めでなければ、髪透け色は目立つ仮色でペイントするだろう。眉と睫毛の透け色が別色のキャラは髪の色が明るい、金髪などのキャラで、こちらは透け色がちゃんと分かるくらいの色だ。
「どれくらいの人がこんな細かいところまで意識して見てくれんのかな?」
この仕事をしていればこんなところにも目がいくが、一般の人の目はどうなのだろう?グッズなどの版権絵にでもなれば、じっくり見てもらえるのだろうか。
「さて、最後の一枚塗りますか。」
自分が仕事を始める前はどんな風にアニメを見ていたかなと記憶をたどりながら、おそらく今日最後の仕事に手を付けた。