日報41『線補正なし』
俺は今、躊躇している。とは言うのも、このまま上がりを出していいのか、いや、この作品の仕上げ注意事項を読んだ上での仕上げ上がりなのだが、どうにも不安で仕方がない。
「本当にこれでいいのか?」
今までにも実線の補正をしないで線の勢いや太さを活かす作品はテレビシリーズでも劇場作品でもあった。それらの作品でもスキャンゴミは消すし、過度に飛び出た実線は削り整えていた。しかしこの作品ではそれら作業を一切しなくていいと注意事項に書いてある。通常の動画では原画のあるセルも動画としてトレスし直すのだが、それもしないで原画はそのまま動画として使用されるので、動画さんに向けたツメ指示などが画面に残ったままで、仕上げがペイント作業前に消すのは、そのツメ指示と動画番号くらいだ。よって、仕上げ上がりは途切れている線もあるし突き抜けている線もある。影やハイライト線も補正なしなのでガタガタしている部分もある。さらに所々にゴミも散っている。
「本当にこれでいいのか?」
大事な事なので二度言ってみた。
「いつもながら何ぶつぶつ言ってるの?」
「北町さん、これって本当に上がりとして合ってます?なんか出すの怖いんですけど!」
隣の席の北町さんに助けを求める。
「どれ?・・・って、ああ、こいつかぁ。私もこの前塗ったけど、こんなカンジだったわよ。リテイクも戻ってきてないし注意もされてないから、いいんじゃないの?これで。」
「本当ですか?何でこんな確認したい作品に限って色指定さん外部なんだ?」
「案外繊細よね、南花って。注意事項通りに塗ったんだからそのまま出せばいいじゃない。」
「悪かったですね、小心者で。注意事項の一枚止めの絵だけじゃここまで線荒れてないから不安なんですよ。」
「劇場作品らしいけど、まだ特報とかも出てないしねぇ。動いてるの実際見られれば納得できるんだろうけど。」
「そうなんですよねー。」
「とりあえずさっさと出しなさいよ、それ。」
「マジっスか?え〜?」
いまだ納得いっていないのだが、ずっとこのままの訳にもいかないので、上がりフォルダにカットを放り込み、次のカットを取りに行く。次もまた同じ作品だ。
「今度はチェックのズボンかぁ〜。」
一通りセルを流して見てみると、ズボンのチェック模様が途切れたり繋がったりしていて補正したい所だが、これもそのままという事か。その上途中で一瞬模様がガタっている。わざとなのか作画ミスなのか、どちらだろう。検査さんへ向けたメモを残すかどうか迷う所だ。
「うぅ・・・普段通りの作業がしたい。こんなストレスのかかり方もあるのか。」
線補正をしない分、作業時間が短縮されて楽なはずなのだが、どうもそうは感じない。キャラの服にチェックやボーダーなどの模様や塗り分けが多く入っているのでそう感じるのかもしれない。
「さすがに実線の外に突き出た色トレスは消していいよな・・・?」
ズボンの模様の色トレス線が外に突き出ているセルが何枚かあるが、これは消していいものなのか。この作品を引いたのはまだ二回目なので、何が正解なのか分からない。
「目、眉は髪に透けて髪色優先・・・、髪透け色がない分、劇場作品としてはマシかぁ。」
最近はテレビシリーズでも髪透け色があるのは珍しくない。透け色がある上に透けた実線も色が変わっているなんて物もある。年々仕上げ作業のカロリーは高くなってきている。
「キャラ自体はそんなに細かい訳じゃないんだけどなぁ・・・。」
やはりチェック模様のペイントに時間がかかる。綺麗に線が繋がっていれば、バケツツール一回で塗り潰せるのだが、いかんせん実線も色トレスも途切れ途切れでそれができない。
「うわ、イライラする!」
「南花うるさい。」
「北町さん、実線の外に突き出てる模様の色トレスは消しちゃって大丈夫ですよね?」
「うーん、さすがにそれは消していいんじゃない?」
「あざっス!」
自分一人で決断できない所は人に背中を押してもらおう。我ながら優柔不断だと分かってはいるが、経験豊富な色指定さんの言葉は心強く聞こえる。
何とか塗り終わってデータを上がりフォルダに放り込むと、次に引いたのはいつもよく塗っているテレビシリーズなので安堵した。キャラの作画は先程まで塗っていた劇場作品よりも細かいが、普通に線修正をして作業できる事が、本来なら手間なはずなのに、逆にストレスにならない。気分が楽だ。
とりあえず今日の作業については、どこかで特報やPVが流れるまでは、いつリテイクや注意がきてもいいように心づもりをしておこう。
後日SNSで流れてきた特報で完成した映像を見たのだが、突き出た線はそのままだし、ゴミも散っている。
「本当にこれでいいんだ・・・。」
作業していた時も衝撃的だったが、完成映像もある意味衝撃的だ。特報によると公開日はだいぶ先だったので、まだこれからも仕事は入ってくるだろう。ちょっと観に行きたくなってきた。