日報36『装飾品』
「うわぁ・・・、やっぱりコレで動くのかぁ・・・。」
諦めのため息と共に力ない言葉が漏れる。
今までも一部色トレスの装飾品は多々あったが、こうまで色トレス線を多用するキャラは初めてに近いレベルだ。何せティアラ全体が色トレスの上、そこにはまっている宝石も別の色トレス。ネックレスに長く垂れ下がるイヤリングも色トレス。リングとそこにはまる宝石も、もちろん色トレス。おまけに髪飾りの花までも色トレスだ。せめてもの救いはティアラ、ネックレス、イヤリング、リングのベースの金色部分は全て同色という事くらいだろうか。更にはドレスにも一部色TPのパーツがある。これは塗る人間の時間とやる気を確実に削ぐキャラだ。
「一話だけの衣装じゃなかったかぁ・・・。」
実はこのキャラ、引くのは初めてではない。以前に一度引いた事があるのだが、その時は一話目でバストショットの一枚止めに口パクのみ。動画はデジタル動画上がりで色トレスの装飾品はピンク色の線が使われていた為、そこそこの時間で作業は終わった。
ちなみに最近のデジタル動画では色トレス線の種類を増やしている会社がいくつかある。赤、青、緑の三色だけではフォローしきれない場合はオレンジ、ピンク、濃い緑などが使われるようになった。色を変える事自体は、色置換のクリックひとつで済む事なので苦ではない。如何に仕上げの人間が効率良く作業できるかを考えてくれているのか、たまたまなのかは分からないが。
話を戻して今回のこのキャラだが、動画は海外動画スキャン上がりで線はボロボロ。色トレスの装飾品は赤色でトレスされているのだが、パーツのハイライトも同じく赤色で引かれている為、所々輪郭線とハイライトが同化している。
「輪郭線の色を変えるだけでも一苦労だな、これ。」
原画データを見ながら頭をかきむしる。原画では装飾品の輪郭線は緑色で描かれていたのでなんとかハイライトとの区別も付くが、動画では装飾品の輪郭線を赤色、宝石の輪郭線を緑色トレスで作業されていた。
「実線を補正しつつ、色トレスの輪郭線を塗り変えて・・・、あとメイクもしてるんだよな、こいつ。」
口紅とアイシャドウももちろん色トレスなので手間がかかるだろう。
トレスデータを見れば見るほど、やる気が失せていくので、さっさと作業に取りかかる事にする。
まずは垂れ下がったイヤリングの輪郭線が肩の実線に負けてしまっているので、実線の上にイヤリングがくるように実線を削って輪郭線の色にする。ここで装飾品の輪郭線が緑色だったならば、ある程度の範囲を選択して『離れた領域も塗る』コマンドでいっぺんに色を塗り変えてしまえるのだが、それができないので細かいパーツごとにハイライトを避けながらひとつひとつ塗り変えていくしかない。これが結構な手間だ。
「それぞれの宝石を先に塗っちゃってから金色部分を塗り分けるか。あー、やべ、今日の残り、このカットで終わりそうな気がする。」
「いつにも増して大きな独り言ね。」
「北町さん、このキャラ塗った事あります?海外動画スキャンだと地獄すぎる・・・。こんな凝った衣装だから一話限りの衣装かと思ったのに。」
「でもカラーモデルで一番最初にその衣装で名を連ねてるんだから、主役なのは分かってたでしょ?」
「それは確かにそうですけど、なにもこんな衣装で動かなくてもいいじゃないですか。劇場作品だってこんな色トレスだらけのキャラ、そうそういませんよ。」
そう、この作品はテレビシリーズなのだ。公表されている放送開始日にはまだまだ時間はあるが、毎週のようにこの手間がかかるキャラを塗るかと思うと、想像しただけでテンションが下がる。
「まあ、そうは言っても引いたからにはやるしかない訳で。もし終電に間に合わなさそうだったら手伝うから、頑張れ。」
「うぃっス。」
それぞれの装飾品の輪郭線にはことごとく実線が食い込んでいるので、その修正も正直面倒くさい。
イヤリングの輪郭線の修正を終え、ペイントに移る。細長い棒状のパーツに入れられた、輪郭線と同化したハイライトは、原画を見てなんとかそれらしい形にペイントできた。次にネックレスだが、メインの宝石の周りの台座が格子状になっていて、ヌキにしなければならない箇所が結構な割合で潰れている。これもひとつひとつ隙間を空けるように削っていかなければならない。
「こんなメイン服考えたの誰だよ・・・。」
あたり所のないつぶやきが口をついて出る。ぼやいたとて、何か変わるわけでもないが。
イヤリング、ネックレスのペイントが終わり、ティアラの作業に移る。宝石がいくつも散りばめられている豪華な物だ。それだけに仕上げには手のかかるきつい素材になっている。宝石の輪郭線を緑色トレスのままにしてくれたのは、正直助かったが、やはりここも一部ハイライトがティアラの輪郭線と同化している。そこを原画データで確認しつつ、輪郭線の色を変えていく。宝石の緑色トレスが少し太く出過ぎている気がするが、そこまで気にするほど作業に余裕は無さそうだ。
「指輪はまぁ、シンプルだな。」
楕円形の宝石が付いたリングはすぐに塗り終わった。一通り装飾品を片付けたが、結構な時間がかかってしまっている。まだ、髪飾りの花が一輪とメイク顔にドレスも残っている。ドレスはわりとシンプルなデザインだが、襟と袖口に色トレスペイントの部分があり、少々面倒くさい。全身が入っていたら、裾にも同じ処理があるのでなおのこと面倒くさい事になっていた。
「北町さん、これ本当にお手伝いお願いするかもしれないっス。これだけ時間かかって、まだ一枚も塗り終わらない。」
「苦戦してるわね。私も今日は塗りだから、無理そうなら早目に言いなよ。」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます。」
大きな味方を得て、少し心が軽くなった。一枚も塗り終わらずに心が折れる所だった。
メイクされた顔、ドレスを塗り終わり、ようやく一枚仕上がった。これをあと五十枚弱、先は長い。
夕方を過ぎ、夜の暗さが降りてきた頃、なんとか半分ほどは塗り終わっていた。単純計算をしてみると、おそらく終電には間に合わなさそうだ。
「すみません、北町さん。やっぱり終わったらお手伝いお願いします。」
「はいよ。棚ももうすぐ無くなりそうだったから、すぐに手伝い入れると思うよ。」
「すみません・・・。」
自分の手が遅いのもあるが、この色トレスの装飾品の数々は、やはり時間がかかる。ここは素直に手伝いをお願いしよう。
しばらくすると棚に乗ったカット袋が無くなったようで、声掛けが始まった。
「今日アップ大変な方、いますかー?」
「はい。すみません、お願いします。」
「はーい。って、うわ、これか。大変なの引いたなー。」
「すみません、三枚、いや、二枚お願いします。あ、まとめフォルダに塗り上がり入れとくんで、仮色のままでお願いしていいですか?」
「はい、了解。ちなみに線綺麗?」
「・・・汚いです。デジタル上がりじゃないんで。」
「この作品はデジタル動画にしてほしいよな。」
「そうですね。すみません、よろしくお願いします。」
現物が無いので、付箋にお願いする動画番号を書き付け、渡す。
「南花、私も終わった。何枚?」
「あ、北町さん。取り敢えず二枚でお願いします。」
「オッケー。」
その後も次々と手伝いに入ってもらって、自分が塗れる枚数を残し、捌かせてもらった。
「南花、これ、想像以上にヤバいわね。」
「はい、ヤバいっス。北町さんでもそう思いますか?」
「何で輪郭線、赤にしたのか意味分からない。」
「ですねー。」
その後、続々と塗り上がりの報告をしに来てくれた人から渡した付箋を返してもらって、モニターの横に貼っていく。自分が残りを塗り終わるより早く、手伝いをお願いした分が上がってきて揃った。塗り上がってきたセルを流してみると、皆綺麗に仕上がっていた。
「南花、まだ私塗れるけど、もう大丈夫なの?」
「はい、あと一枚なんで大丈夫です。ありがとうございます。」
最後の一枚を塗り終わって、通して検査をする。時間がかかっただけあって、特に問題はないようだ。仮色から本色に色置換し、さらに流してみる。確かに装飾品の見栄えはいいが、またこのキャラを引くのはできれば遠慮したい。しかしメインキャラのメイン服なので、そうも言っていられないだろう。
「北町さーん、終わりました!もうこいつ塗りたくないです!」
「そんな事言ってると、また引くわよ。」
「ですよねー。」
手伝いに入ってもらったおかげで余裕をもって帰る事ができる。皆に足を向けて眠れないなと思いつつ、帰り支度を始めた。