日報19『はじめての色指定、色打ち』
とある朝、出社してすぐに社長である東城さんに呼び止められた。
「南花、少し時間いいか?」
「はい、なんですか?」
荷物を机に置きながら返事をする。
「ちょっと会議室まで来てくれ。」
「・・・はい。」
何かとんでもないミスでもやらかしただろうか。社長直々の呼び出しに、冷や汗が首を伝う。
「まあ、取り敢えず座れ。で、これだ。」
これ、と言われて机の上に置かれたのは一冊の絵コンテ。状況がよく飲み込めない。
「このコンテがどうかしたんですか?」
「『どうかしたんですか?』じゃない。この前、色指定の頭数にお前も入れとくって話はしただろう?南花、お前の担当話数だ。んで、色打ちは明日の十七時に向こうの会社で。設計はうちの河西だから一緒に連れてってもらえ。三十分前に玄関に集合。」
設計とは色彩設計の事。キャラクターの色味を決める仕事だ。河西さんは会社のベテラン色彩設計さんで、いや、そんな事よりも展開が急すぎる。心の準備がまるでできていない。
「前日にいきなり言われても、心の準備が・・・。コンテ読み込む時間もないし。って言うか、ホントに自分がやっていいんですか?」
「十分アニメで尺は短い。今日の仕事が終わった後でも充分読み込めるだろ。大丈夫だ。河西も付いてるし。社内の設計になら、いつでもなんでも分からない事は聞けるだろう?問題ない、大丈夫だ。」
「二回も大丈夫って言いましたね?大丈夫じゃなかったら、責任取って下さいよ!」
「よし、じゃあ、やるんだな?」
「はい。・・・自信は無いですけど。」
コンテを手に取り、パラパラとめくる。いつか来るとは思っていたが、こんなに早くしかも急に来るとは思っていなかった。様々な不安が頭をよぎる。
「取り敢えず今日は普通に仕事だ。あと分からない事は河西にでも聞いてくれ。」
「分かりました。失礼します。」
コンテを持ち、会議室を出ると、足元がふわふわしている気がした。不安はもちろんあるが、喜びの感情も徐々に湧いてくる。自席に戻ると、ちょうど北町さんが出社してきた所だった。
「おはようございます!北町さん!見て下さい。色指定の仕事貰いました。」
顔の前にコンテを掲げながら、勢いよく挨拶をする。
「おお、おめでとう。ああ、あれの続編か。指定デビューにはちょうどいいんじゃないの?設計はそのまま河西さん?」
「はい、河西さんっス。」
「なら、何も心配する事ないじゃない。結構細かい小物までカラーモデルにしてくれるから、ほぼ打ち込みと検査だけで済むわよ。」
「それって、いい事なんスか?」
「色指定としてやりがいに欠けるって言う人もいるかもだけど、はじめてならだいぶ助かると思うよ。」
「そうっスか。ところでこのコンテ、今読んだら駄目ですかね?」
「別にいいんじゃないの?仕事の内だし。」
「東城さんは『今日は普通に仕事』だって。」
「じゃあ、空き時間に読めって事か。でも気になるんでしょ?ざぁっと一回読んでから今日の仕事始めれば?」
「急いで読みます!やっぱり気になるんで。」
椅子を引き、ドカッと乱暴に座る。はやる気持ちを抑え、ページをめくりはじめた。絵を見て台詞を読み、ト書きも読むと、情報量が多くて頭がキャパオーバーしそうだ。
取り敢えず軽く一回読み終わると、分かる事がほぼない気がした。これは明日の色打ちに付いて行けるのか?
「すみません、北町さん。全てが分かりません。どうしたらいいんスか?」
「コンテに書いてない事を言われたらメモしとくとか?そんなに気負わなくても大丈夫だと思うけど。」
「畜生、やっぱり先に読まなきゃよかった。気になって仕事どころじゃないっスよ。」
コンテを脇に置き、パソコンの電源を入れる。取り敢えず通常業務をこなさなければならないので、棚にカット袋を取りに行くが、頭の中は先ほど読んだコンテでいっぱいだ。
一日の仕事を終え、椅子に浅く腰かける。割りと早目に社内も上がったので、改めてコンテと向き合う事にした。
「キャラは五人、時間経過は昼から夕方で場所は寮内のいくつか。モブも居なさそうだし、きっと慣れた指定さんなら簡単な内容なんだろうな。唯一大変そうなのは焼き菓子の山くらいか。」
中盤くらいに食堂でクッキーやらマカロンやらを食べているシーンがある。細かい小物までカラーモデルを作ってくれるとは言っていたが、ここら辺はどうなんだろうか。取り敢えず疑問に思った点は付箋にメモをして貼っておく事にした。あとは明日の色打ち時に尋ねよう。
色打ち当日、出かける時間までは通常通りペイント作業をこなし、次のカットを取ると間に合わない時間帯になると、コンテの読み直しに時間を使った。100カットない総尺なのでわりとすぐに読み終わるのだが、読む度に疑問点は増え、付箋が増えていく。
「南花、そろそろ時間じゃないの?」
北町さんに声をかけられ、時計を見る。集合時間の三分前だった。
「すいません、ありがとうございます。行ってきます!」
「おう、行ってらっしゃい。」
慌ててコンテを鞄に押し込み、玄関へ向かう。大先輩より後になったとあれば、初手から印象が悪くなるだろう。
幸いにもまだ河西さんはその場に居なかった。しばらく待っていると、背後から声をかけられた。
「南花ー、行くよー。」
「はい!今日はよろしくお願いします!」
「よろしくー。まあ、肩の力を抜いてー。」
移動中の電車の中では他愛のない話をした。好きなアニメや漫画の話。東城さんの無茶振りは毎度の事だとか。前日にコンテを渡されるのはまだましだそうで、過去には当日に色指定デビューを言い渡された人もいたとか。そうこうしている内に目的駅に到着した。
「さて、一応一人でも来られるように道順覚えて帰ってな。」
五分ほど歩いただろうか。打ち合わせ先の会社に到着すると、インターホンで河西さんが何事か喋っていた。しばらく待っていると入り口の扉が開かれた。
「お疲れ様です。二話の色背打ちですね。」
応対に出た人が会議室まで案内してくれて、お茶を出してくれた。
「すみませんが、演出さん達が遅れて来られるようなので少々お待ちいただけますか?」
「はい、分かりました。」
「・・・あの、河西さん。俺達何してればいいんですか?」
「別に何も。手持ち無沙汰ならコンテでも見てればいいんじゃね?」
「はぁ・・・。」
鞄からコンテとペンを取り出してページをめくる。そのコンテを見て、河西さんが呆れたような声を出した。
「何?その付箋だらけのコンテ?」
「分からない所が多すぎるんですよ、しょうがないじゃないですか。」
「熱心だねぇ。そんなに細かく気にする事ないのに。」
「初めてなんですよ。どこまで気にしたらいいのか分かんないんっスよ。」
そうこうしているうちに演出さんと美術監督さんが到着して、挨拶もそこそこに色背打ちが始まった。
ちなみに色背打ちとは、キャラクターのシーン毎の色味等を決める色打ち合わせと、背景の色味等を決める背景打ち合わせを同時にする事だ。仕上げ部門では更に略して色打ちと言う事が多い。
「ではカット1から。カット15までは寮の廊下です。前シリーズから変更は無いので、BGとキャラはノーマルで。特に何もないのでカット16まで飛ばします。」
演出さんが急に16までカットを飛ばした。慌ててページをめくる。
「16からは部屋の中、ベッドの布団と枕はセルにしてるので、ボードから色を拾って下さい。」
「は、はい。」
急いでコンテにメモを書き込む。
「ここもあとは特にはないので飛ばしていいですかね?」
まただ。こちらから聞く事は本当に何もないのか。それすらも分からない。
「42からは食堂になります。色味はノーマルで。机の上の小物や食べ物は全てセル描きです。」
「すみません。料理類が一番大きく全体的に出ているカット、優先して仕上げに回して下さい。そのカットで色決めるので。カット47か50ですかね。」
河西さんが発言した。どうやらカラーモデルとしてお菓子の山も出してくれそうだ。
「南花、料理の大体のベースはこっちで作るから、足りない物はおまかせで。」
「はい、ありがとうございます。」
メモを書き込みながらお礼を言っていると、演出さんが口を挟んできた。
「クッキーはまあ、クッキー色なんでしょうけど、マカロンの方はカラフルなカンジにして下さい。その上で美味しそうに。」
「それ一番難しいですよね。」
笑いながら河西さんが言う。そう、美味しそうな色を付ける事が難しいのだ。
「マカロンは各キャラのイメージカラーにしてもいいかもしれない・・・。」
ボソッと美術監督さんがこぼした言葉を演出さんが拾った。
「良いですね、それ。じゃあそれぞれのイメージカラーでお願いします。」
「イメージカラー?すみません。ちょっと分からなくて・・・。」
「落ち着け、南花。後でちゃんと教えるから。すみませんね、彼、色打ち初めてなもんで。」
「すみません、テンパってて。何聞いていいのかも分からない有り様で。」
「ちゃんとメモは取れてるみたいだから、大丈夫だよ。」
河西さんがフォローを入れてくれた。
「今回はキャラも少ないし入門編としてはちょうどいいんじゃないかな。お菓子がちょっと大変かもしれないけど。」
最後は少し苦笑いで、演出さんが言った。
「疑問点は遠慮なく聞いてもらって構わないよ。」
「ありがとうございます。早速なんですけど、食堂の椅子ってセルですよね?あと、扉って、全体セルですよね?表面の模様は描き込みですか?テクスチャー貼りですか?」
この問いには河西さんが答えてくれた。
「前シリーズから引き続き同じ場所だったんで、言い忘れてた。扉はドアノブと外枠だけセル描きで面はそれぞれテクスチャー。食堂の椅子もカラーモデルが既にあるよ。」
「そうなんですね、すみません。前シリーズ観てたのにちゃんと覚えてなくて。」
つい言わなくてもいい事まで言ってしまった気がするが、これで質問がしやすくなった。その後はどんなに些細な事でも疑問に思った事は聞くようにした。演出さんや河西さんには当たり前すぎる事だっただろうが、どんな質問にも丁寧に対応してもらえた。
「ではカット87からは時間経過あって夕方です。キャラの色も染めて下さい。」
「夕方はいつもの夕景色でいいですか?」
「そうですね、それでいいと思います。」
「それじゃあ今回は新規のボードは必要ないですね。」
演出さん、美監さん、河西さんの三人で話が進んでいく。自分はと言えば、必要だと思った単語をメモしていくだけだ。
「南花、後でちゃんとした香盤表出すから。」
「はい。お願いします。」
「ではラストまで夕景色で。あ、最後の吹き出しの中のキャラはノーマル色でお願いします。」
演出さんの指示をコンテに書き込む。
「ここはノーマル、っと。」
最後のページまで書き込みを終えると、最初まで戻って見返し、何か質問のし忘れがないか確認する。
「では以上で二話の色背打ちを終わります。ありがとうございました。」
制作進行さんの声に各々が席を立つ。
「あ、南花さん。お名刺いただきたいんですが。」
「え?あぁそうか、えっと、まだ名刺が無い状態でして。」
「取り敢えず、電話は会社に、メールは私宛ににお願いします。共有しますので。彼のアドレス作ったらすぐにご連絡差し上げます。」
河西さんが進行さんに向かって話しかける。
「ではそういう事で。お疲れ様でした。ほら、南花も挨拶。」
「あ、はい、お疲れ様でした。色々ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。」
こうしてこの日の色打ちは終了した。
「どうだった、初めての色打ちは?」
「緊張しっぱなしでした~。なんか逐一河西さんに確認しに行く未来が見えます。」
「ははっ、まあ最初はそんなもんだよ。分からない事があれば何でも聞いてくれていいから。」
「はい、よろしくお願いします。」
まだ始まったばかりで不安しかないが、話を振ってもらった以上、精一杯努めよう。
「打ち込みはいつくらいから始められますかね?」
「原画は出揃ってるみたいだから、素材がくれば明日からでもイケるよー。」
「えっ、明日からですか?展開早いな。」
「その前にメールとサーバーの設定からだね。」
「色々やる事あるんですね。」
会社に戻ったら上に聞いてみよう。まずはメールからだな。
夕闇に包まれた空を見上げ、気持ちを新たにした。