第二章(3/6)
「だる……」
道端にしゃがみ込んだ白羽は、やはり別人に変身していた。
白羽も髪は長いが、彼女は更に長いスーパーロングで、座ると地面に着くほどだった。ただし、白羽と違って、ところどころが寝癖のように跳ねてボサボサである。
加えて、まぶたの重そうな目。色白というより蒼白の肌。やや小柄な体つき…… 変身後の姿だと知っているからなんとなく白羽の面影を感じ取れるが、そうでなければ赤音と同じく全くの別人にしか見えないだろう。
彼女のことは、弥宵から既に話を聞いていた。
「お前、青衣だな?」
「…………」
返事はなかったが、長い髪などの特徴からまず間違いないだろう。
弥宵曰く、「虹宮青衣にはストレスで怠けたい時に変身する。じゃから、とにかく面倒くさがりじゃ。おかげで、一番大人しいとも言えるがの」とのことである。
「青衣だよな?」
「…………」
「おーい、青衣さーん」
「…………」
近所迷惑になるのでやりたくなかったが、仕方なく夜彦は大声を出すことにした。
「返事くらいしろ!」
「あー、はいはい」
ようやく口を利いたかと思えば、青衣の返答はあからさまにおざなりだった。だから、夜彦はますます渋い顔になる。
(本当に面倒くさがりなんだな……)
ただ、変身した原因を特定するのは簡単そうだった。青衣には怠けたい時に変身すること。学校へ向かう最中に青衣に変身したこと。となれば、青衣が――白羽が何を考えているかは大体予想がつく。
「……もしかして、学校行きたくねえのか?」
「うん」
「こういう時の返事は早いな」
先程までとは大違いである。夜彦は苦笑する。
「どうしても嫌なのか?」
「うん」
「今日は始業式だけだけど、それでも嫌か?」
「うん」
「…………」
出席日数などを考えると、なるべく変身を解いて白羽を学校に連れていきたかった。しかし、学校に行きたいと思わせようと、「式なんか寝てればいいぞ」「なんなら、ホームルームも寝てていいぞ」などと説得をしても、青衣は頑として首を縦には振ろうとしないのだった。
「……しょうがない。お前、今日はもう休め」
「いいの?」
「ああ。式くらいサボったって大丈夫だろ」
あれだけ言ってもムダだったのだ。ストレスを解消して変身を解くには、おそらく本人の望み通りにしてやるしかないだろう。
「じゃあ、帰るぞ」
だが、夜彦の呼びかけを無視するように、青衣はしゃがみ込んだままその場から動こうとしなかった。
「……青衣?」
「おんぶ」
「は?」
思わず聞き返していた。
「だるい。疲れた。歩けない。おんぶ」
「えぇ……」
もうバス停が見える位置に来ていたので、今更家に引き返すのもだるいという青衣の理屈は分かる。しかし、それなら青衣をおんぶしながら家に引き返す自分の方がよほどだるいことになるはずだろう。
が、彼女はそんなことお構いなしだった。
「おんぶ」
「…………」
「おんぶ」
「分かった分かった」
結局、夜彦は根負けして、青衣の言うことに従うのだった。
(大人しいって、赤音みたいに暴れないだけで十分わがままじゃねーか)
弥宵の説明から、もっと簡単に対処できる相手かと思っていた。もっとも、ストレス解消の為に変身するのだから、わがままで当然かもしれないが。
青衣は身長こそ白羽より若干小柄だが、胸のサイズはそう変わらないようだった。その上、白羽と違って面倒くさがりなせいか、全体重を預けるように背中にぴったりと抱きついてくる。おかげで、おんぶする夜彦は気が気でなかった。
一方、おんぶされる青衣はこう呟いていた。
「楽ちん……」
「よかったな」
自分でも単純だと思うが、ローテンションなりに喜ぶ彼女の様子に、夜彦は微苦笑を浮かべてしまう。
ただ、青衣の機嫌がいいのは最初の頃だけだった。
「ねぇ」
「何だ?」
「暑い」
「そりゃあ、こんだけくっついてればな」
夜彦に至っては、青衣をおんぶして歩いているから、彼女以上に暑いくらいだった。おかげで、もう胸がどうとか気にしていられる状態ではない。
だというのに、しばらくすると、また青衣がわがままを言い始める。
「ねぇ」
「何だ?」
「暑い。体温、下げて」
「無茶言うな」
たまに話しかけてきたと思ったらこれである。夜彦は眉間に皺を寄せていた。
(殴ったろか、こいつ)
暴力で黙らせる……というわけではなく、悪魔祓いの術を試してみたかったのだ。弥宵の言う通り悪魔憑きの一種なら、術で変身が解ける可能性も0ではないはずである。もっとも、悪魔憑きに効く術をいくつか施しても効かなかったそうだからほぼ0だろうが。
「ていうか、さっきから何で若干カタコトっぽいんだよ」
「ちゃんと、喋る、面倒」
「どんだけ面倒くさがりなんだよ……」
いつも丁寧な口調の白羽との落差もあって余計にそう思う。
そんな風に、だらしのない青衣と、それに呆れる夜彦という形で、二人が言い合いながら歩いていると、その内にようやく家にたどり着いたのだった。
「おーい、ばーさん?」
玄関でそう呼びかけてみたが返事はない。まさかと思って居間まで上がってみると、やはりそこにも弥宵の姿はなかった。
「げ、出かけてんのかよ」
できれば、弥宵の年の功で、学校に行くように青衣を説得して欲しかった。それがダメなら、自分が学校に行っている間、青衣の面倒を見て欲しかったのだが……
(今日はもうサボるしかないか)
赤音とタイプが違うだけで、青衣もわがままには違いないから、一人にしたら何をしでかすか分かったものではない。変身が解けるまで、そばについておいた方がいいだろう。
そう諦めをつけると、夜彦は背中の青衣を振り返る。
「ほら、着いたぞ。いい加減降りろ」
「…………」
「ジュースあるぞ。飲むか?」
「…………」
あれだけ「暑い」「暑い」と繰り返していたから、すぐに飛びついてくるかと思ったが、そんなことはなかった。ひ弱そうな外見をしていたが、もしかして暑さのあまり体調を崩してしまったのだろうか。
「おい、大丈夫か?」
「眠い」
「は?」
呆気に取られる夜彦に対して、ぎゅっと青衣はいっそう抱きついてくる。
「眠い」
「待て待て待て。今、部屋まで連れてくから」
「寝る」
「だから、待てって」
赤ちゃんじゃあるまいし、おぶったまま寝つかれては困る。夜彦は大急ぎで白羽の部屋に向かった。
なんとか寝つかれる前に間に合ったらしい。ベッドの前まで連れてくると、こちらの方が寝心地がいいと判断したのか、青衣は自主的に背中から降りていた。
「おやすみ」
「おう、おやすみ」
そうやりとりした直後のことである。
「寝つきいいな……」
今さっき布団に入ったばかりの青衣は、もう眠りこけていたのだった。
ただ、夜彦の呆れ顔はすぐに微笑に変わっていた。青衣が穏やかで可愛らしい寝顔をしていたからである。「おんぶ」だの、「暑い」だの騒いでいたこれまでのわがままぶりがまるで嘘のようだった。
そんな幸せそうな青衣の寝顔を見ながら、夜彦は変身の原因について考えを巡らせる。
(学校行きたくないか……)
今日は始業式だけの半日登校である。たとえ寝不足だったとしても、サボりたくなるほど――青衣に変身するほど面倒だとはさすがに思えない。他に原因があると考えた方が自然だろう。
〝私も帰宅部でした。いつ変身しちゃうか分からないので〟
(虹宮のやつ、学校で変身しないか不安だったのかな……)
朝の会話を思い出して、夜彦はそう結論を出していた。
白羽が変身すれば、当然学校は大騒ぎになってしまうだろう。夜彦が忘却術を使えば周囲の騒動の記憶を消すこともできるが、白羽のことだから「天原さんにご迷惑をおかけするわけには……」と考えるに違いなかった。
(寝不足なのも、きっと変身しないか不安で、昨日眠れなかったせいで――)
「ねぇ」
青衣に制服の袖を引っ張られて、夜彦はすぐに考え事を中断する。
だが、彼女は目を閉じたままだった。どうやら単なる寝言だったようである。
しかし、現実か夢かの違いだけで、青衣はやはり誰かの助けを求めているようだった。
「おんぶ」
「ふざけんな」