第二章(2/6)
「おはよう、夜彦」
翌朝、居間に顔を出すと、弥宵がそう挨拶してきた。
「うーい」
「…………」
何か言いたげな表情をするので、仕方なしに夜彦はやり直す。
「おはようございます、お祖母様。これでいいか?」
「まったく……」
嘆かわしいとばかりに弥宵は渋い顔をする。それどころか、お説教まで始めていた。
「今日は始業式じゃろ。しゃんとせい、しゃんと」
「いちいちうるせーなー。家でくらいリラックスさせろよ」
ただでさえ面倒事の多い学校生活に、この新学年からは白羽のことまで加わるのだ。家での態度くらい大目に見て欲しいものである。
と、夜彦が思ったそばから、その白羽が姿を現した。
「おはようございます」
もう高校生活も二年目である。女子の制服もとっくに見慣れたものだった。
しかし、白羽の制服姿となれば話は別である。
制服カタログに起用されたモデルか、学園ドラマに出演した女優か…… いや、夜彦の目にはそれ以上に映っていた。
服が着る人を引き立てるのはよくあることだが、この場合は逆で、白羽が制服の方を引き立てていた。退屈で平凡なパターンオーダーの制服のはずが、白羽の着こなしによってまるで高級一点もののように見えてくる。
「おはよう、白羽」と弥宵。
「よ、よう」と夜彦。
うろたえる夜彦を見て、白羽は何やら勘違いしたらしい。わたわたと髪や制服を整え始める。
「どっ、どこか変ですか?」
「いや、似合っとる似合っとる」
孫の晴れ姿でも見たかのように、弥宵は目を細める。
それから、懐かしむような調子で続けた。
「わしの若い頃を思い出すのう」
「嘘つけ」
うちはそんな美男美女の家系ではないだろう。自分がそうだから、夜彦にはよく分かる。
「そもそも、ばーさんの時代は袴にブーツだろ」
「あの頃にはもうセーラー服もあったわい」
「大正は否定しねえのかよ」
そんな風に弥宵と言い合っている内に、夜彦も普段の調子を取り戻していた。おかげで、白羽が持っているものにようやく気付く。
「それは?」
「レモンバームです」
例のハーブティーの瓶を手に、白羽は茶葉の説明をした。
「名前の通り、レモンの香りがして目が冴えるんです。よろしければ、天原さんも一杯いかがですか?」
「せっかくだし、もらおうかな」
「それじゃあ、すぐに淹れますね」
そう微笑んで白羽が台所に向かうので、その笑顔につられたように夜彦も彼女のあとに続く。
しかし、「夜彦、ちょっと待った」と、弥宵が呼び止めてきたのだった。
「わしが学校までついていくわけにはいかんからの。白羽のことは頼んだぞ」
「ああ、分かってるよ」
囁く弥宵に、夜彦も小声で答える。同じような話は昨日の夜にも聞かされていたから、今更言われるまでもない。
だが、今日の弥宵の話はそれで終わりではなかった。
「それと、お前さんもしっかりやるんじゃぞ」
「は?」
「お前さん、友達おらんじゃろ」
「…………」
目つきの悪さと社交性の低さから、一年の頃はクラスで「一匹狼の不良」というような扱いで怖がられ、孤立していた。学校に行くのが億劫なのにはそういう理由もあったのだ。
口ごもる夜彦に対し、弥宵は更に続けて言った。
「わしもいつまで生きていられるか分からんからの。恋人とは言わんから、友達くらい作って安心させとくれ」
「うるせー、ババア。長生きしろよ」
◇◇◇
「獄山高校って、どんな学校なんですか?」
「どんなって、とりたてて何もないと思うけどなぁ……」
白羽の質問に、夜彦は曖昧にそう答える。
「普通だよ、普通」
「普通、ですか」
「学校なんて、どこも似たようなもんじゃねーの。虹宮は先生がロッカーだったり、授業で魔法習ったりする方がよかったのか?」
「いえ、そういうわけではないんですが……」
そんな話をしながら、夜彦と白羽は通学路を並んで歩く。話題にも出ていた獄山高校に行く為に、まず家の近くのバス停に向かうところだったのである。
「それじゃあ、天原さんは部活はされてますか?」
「いや、帰宅部。部活とか別に興味ないし」
「珍しいですね。学生生活の充実をモットーに、各部の活動を積極的に支援している獄山高校の生徒なのに」
「よく知ってんな……」
白羽のことである。学校のパンフレットだの、ホームページだのを生真面目に読み込んだに違いなかった。
「俺の場合は、悪魔祓いもしなきゃいけないからなぁ」
「あ、そうでしたね」
白羽は納得すると同時に、同情するような顔つきになる。
「すみません。不躾な質問をしてしまって」
「いや、本当に興味ないから」
まさかこんなことで謝られるとは思わなかった。人がいいにもほどがあるだろう。
「そういう虹宮は? 前の学校では何かやってたのか?」
「私も帰宅部でした。いつ変身しちゃうか分からないので」
「ああ、それもそうか」
今度は夜彦が納得する番だった。
「俺こそ変なこと聞いて悪かったな」と謝られることを予想したのだろうか。夜彦に気を遣わせないように、白羽は話を補足する。
「一応、中学の頃はちょっとだけ入ってた時期もあったんですけどね」
「へー、何だよ? テニス部?」
「違います」
「じゃあ、ラクロス部」
「それも違います」
「あっ、チア部! チア部だろ!」
「違いますよ」
とりあえずユニフォームが似合いそうな部を挙げてみたが、その発想が間違っていたようだ。白羽は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「まず運動部じゃないですよ。スポーツは苦手なので」
「へー」
そう相槌を打ちながら、夜彦は頬を抑える。赤音が以前放った右ストレートを思い出していたのだ。
(もしかして、変身すると身体能力も変わるのか?)
顔立ちや体型ですら変化するのである。身体能力が上がったとしても、不思議はないのかもしれない。
文化部というヒントを踏まえて、夜彦は再び解答する。
「なら、吹奏楽部か?」
「はずれです」
「ああ、ボランティア部か」
「それもはずれです」
ただ単純に間違いというわけでもないらしい。
「ボランティア部は小学校の時です」
「入ってはいたんだな……」
半分冗談のつもりだったが、ある意味では正解だったようだ。どれだけいい子なのだろうか。
だが、ボランティア部も違うとなると、夜彦はもう他の解答を思いつかなかった。
「分かんねえな。正解は?」
「正解は……」
その先に続く言葉を、夜彦は期待とともに待ち受ける。
しかし、何故かそう言ったきり、白羽は黙り込んでしまった。
「正解は?」
夜彦がそう催促しても、返事はかえってこない。
代わりに、彼女はその場にしゃがみ込んでこう呟いた。
「だる……」