第六章(2/7)
「ご飯はまだですか?」
「悪い悪い。今用意するから」
もう我慢の限界らしい黄希に、夜彦はそう答える。
だが、実際に用意を始める前に、聞いておきたいことがあった。
「何か食べたいものはあるか?」
過去の例を見る限り、単に量が多ければそれでいいというわけではなさそうだった。だから、もう最初からメニューを好きに決めてもらおうと考えたのだ。
そんな夜彦の質問に、黄希は迷うことなくこう答えた。
「美味しければ何でもいいです」
「そりゃあ、そうだろうけど」
夜彦は思わず顔をしかめる。「何でもいい」より、さらに一段高いハードルがあるのを初めて知った。
(とりあえず米かな……)
黄希の――白羽の好みからいって、それは外せないだろう。夕食の準備をしていなかったから、炊飯器の中は空っぽだったが、こんなこともあろうかとあらかじめ炊いたご飯を冷凍してあった。
問題はおかずである。何にするか悩ましいが、空腹の黄希をあまり待たせるわけにもいかないだろう。
だから、一品目はさっと作れるものにした。
「黄希、お待たせ」
「ありがとうございます。いただきます」
豚の生姜焼きを前に、黄希はそう手を合わせた。
いつものように、黄希は目を輝かせて幸せそうに食べる。「空腹は最高のスパイス」というだけに、今まで待たされた分だけ余計に美味しく感じているのではないだろうか。
だが、これぽっちで黄希が満足するとは夜彦には思えなかった。
「まだ食べるよな?」
「はい」
そう頷くので、黄希が食べている間に、夜彦は早くも次を用意することにした。
(大食いと言っても、味がどうでもいいわけじゃないんだよな)
弥宵が家にいない時に、適当にちゃっちゃと作る程度である。自分の料理の腕は、お世辞にもいいとは言えない。だから、せめてメニューくらいは、黄希の喜びそうなものを用意したかった。
(ファミレス行った時は何注文してたかな……)
そうして、かすかな記憶を頼りに、夜彦は次々に料理を作っていった。
○カレーライス
・信頼と実績のインスタント食品。プロの作ったものがまずいわけがない。
・最近のは、袋のまま電子レンジで温められるので楽でいいですね。
○チキンステーキ
・パリパリの皮とジューシーな肉のハーモニーがたまらない一品。
・ステーキだけど鶏肉だから、体重にも家計にも優しい。
○海鮮炒飯
・いつもの炒飯に、冷凍庫で眠っていたシーフードミックスをぶち込んだだけの男の料理。
・冷凍のシーフードミックスには、乾燥や酸化を防止する為に氷の膜がついていることがあるので、味が落ちないよう使う前には熱湯で洗うなどの一手間を。男の料理を言い訳にしてはいけない。
夜彦はそんな風にあれこれテーブルに料理を並べていく。
しかし、黄希はいっこうに、「ごちそうさまでした」と言う気配がなかった。
(これだけ作ってもダメか……)
冷凍したご飯はもう残り少なくなってきている。いい加減、黄希を納得させる料理を作らないとまずい。
そこで夜彦は、最後にあの料理を作ることにした。
「これでどうだ!」
○おにぎり
・ご飯ものといえば、やっぱりこれ。具は伝統の梅干から、今風にチーズまでいろいろと。
・最初に黄希に変身した時、それを解くきっかけになった思い出の料理。
そんな夜彦のおにぎりを食べ終えて、黄希はこう言った。
「次はまだですか?」
(わ、分からん……)
他に何か食べたい料理があるのか。味がいまいちなのか。それとも、単純に量が足りないのか。夜彦にはそれすら分からなかった。
「まだですか?」
「今炊くから、大人しくしててくれ」
「まーだーでーすーかー?」
「だから、大人しくしてろって」
犬か猫のように周りをうろちょろする黄希を、夜彦はそう叱りつける。これでは落ち着いて米も研げない。
(もうファミレスにでも連れて行くか?)
そうすれば、いちいち自分が料理する手間を省ける。何より、好きな料理を注文できるので、手っ取り早く黄希を満足させられるだろう。
しかし、メニューにない料理を食べたがっている場合、ファミレスに行くのは無駄足になってしまう。やはり、家に食材がある内は、ひとまずそれで様子を見た方がいいような……
そう思い悩んだ末に、夜彦は尋ねる。
「とりあえず、パンでもいいか?」
「はい」
黄希が頷くのを見て、早速サンドイッチを作り始める。これでは満足しないだろうが、ご飯が炊けるまでの繋ぎくらいにはなるだろう。
ただ、黄希はその繋ぎさえ待ちきれなかったらしい。作ったサンドイッチを夜彦が手渡すと、直接かぶりついてきたのだった。もっとも、色気より食い気の黄希が相手なので、あーんというよりも餌付けという雰囲気だったが。
実際、黄希も料理に関してしかコメントしなかった。
「夜彦さんの作るタマゴサンドって、ちょっと変わってますよね」
「え? ああ、炒り卵を使ってるからな」
いちいちお湯を沸かしたり殻を剥いたりするのが面倒なので、夜彦はよく茹で卵を使わずに炒り卵で代用していた。今日は黄希を待たせないように時短の意味もある。
それで夜彦ははたと気付く。
「あ、もしかして普通のタマゴサンドが食べたいのか?」
「いえ、こっちも卵がふわふわしていて美味しいです」
最後の一口を食べると、黄希は満足げな笑みを浮かべて言った。
「私は夜彦さんのタマゴサンドが好きです」
「そうか……」
決して料理が得意なわけではない。味つけが濃いと、弥宵はもちろん白羽にすらダメ出しされたこともある。だから、夜彦は思わず微笑をこぼしていた。
しかし、その直後、夜彦は黄希の言葉の真意に気づく。彼女が何かを期待するような視線を向けてきたからである。
よく考えてみれば、黄希はまだ「ごちそうさまでした」とは言っていない。
「あ、もしかしてもっと食べたいのか?」
「はい」
「……今作るから、ちょっと待ってろ」
そう答えて、夜彦は再び卵を手にするのだった。
◇◇◇
(これで、あと二人……)
夜彦は蔵を出て、その残りの二人を探しに行く。
炒り卵のタマゴサンドをたっぷり食べて、やっと満足してくれたらしい。食後に手を合わせた黄希を蔵まで連れ戻したところだったのだ。
(次は――)
黄希と違って、残りの二人の行き先には心当たりがなかった。とはいえ、多少でも気心が知れているのは彼女の方だろう。
(赤音だな)




