第四章(4/6)
「ごちそうさまでした」
黄希は礼儀正しく、そう言って手を合わせた。
それを見て、夜彦は尋ねる。
「もういいのか?」
「はい」
「まぁ、もうじゃないか」
弁当のみたらし団子の件などで分かっていたが、やはり白羽はご飯だけでなく甘い物も好きなようだ。黄希はライスがセットの料理をいくつか追加したあと、更にデザートとしてパフェだのケーキだのまで大量に注文していたのである。
最初の内は、女の子らしいなと夜彦も微笑ましく思っていた。だが、黄希が何度も注文を繰り返すのを目にして、途中からは見ているだけで胸焼けを起こしそうになっていたのだった。
夜彦に答えた通り、黄希もさすがに満足したらしい。食後、すぐに変身が解ける。
ただし、白羽の姿に戻った時、彼女は気を失っていた。
(疲れてたのか……?)
夜彦は以前聞いた説明を思い出す。確か、変身には体力を使うので、疲れている時は倒れやすいという話だった。
「あれ……」
しばらくして目を覚ますと、すぐに何が起きたかを把握したようだった。白羽は一言目から謝ってくる。
「す、すみません!」
「いや、俺がボウリングに付き合わせたせいだからな。俺の方こそ悪かったよ」
変身したことも、変身が解けたあとに気絶したことも、原因は自分にあるだろう。だから、夜彦は謝り返していた。
「疲れたんだろ? 帰るか?」
「いえ、大丈夫です」
一体、何を強がっているのだろうか。心配する夜彦に対して、白羽は何故か首を縦に振ろうとしなかった。
「でも、実際気を失ってただろ」
「それはきっと、昨日寝るのが遅かったせいだと思います。だから、もう大丈夫です」
「そうなのか?」
「え、ええ」
真面目な白羽からすると、夜更かしするのは恥ずかしいことらしい。もじもじと言いづらそうに答える。
が、それは夜彦の見当違いだった。
「その、今日のことが楽しみで、なかなか寝つけなくて……」
「そ、そうか」
白羽が赤くなるので、夜彦も思わず照れてしまう。そう言われては、このあとも付き合わないわけにはいかないだろう。
「それじゃあ、もうちょっと遊んでいくか」
「はい」
夜彦の言葉に、白羽は声を弾ませて頷くのだった。
映画にボウリング、ファミレスと、ここまではほぼ自分の要望で行き先が決まっていた。だから、夜彦は白羽の意見を聞くことにする。
「それで、次はどうする? 虹宮は行きたいところとかないのか?」
「そうですね……」
ちょっと考えてから、白羽はこう答えた。
「じゃあ、カラオケはどうでしょう」
「カラオケかー」
大人しそうな白羽のイメージからすると、意外な回答である。
「好きなの?」
「はい。大きな声を出すと気持ちがいいので」
「ああ、そういうことか」
夜彦は今更納得する。ストレス解消法と考えると、カラオケはむしろベタなくらいだろう。
ただ、やはり白羽のイメージと合わないことには変わりない。それで、夜彦は気になって質問を続けた。
「いつもはどんな曲を歌ってるんだ?」
「『モルダウ』とか、『大地讃頌』とか」
「合唱コンクールか」
◇◇◇
と、ファミレスではそんな話をしたが、白羽は普通にJ‐POPも歌えるようだった。
それどころか、今歌っている曲に至っては、バリバリのアイドルソングである。どうやらあの時は照れて言い出せなかっただけだったようだ。
「上手い上手い」
歌い終えた白羽に、夜彦はそう声を掛けながら拍手する。カラオケに来たばかりの頃は恥ずかしさから本調子ではなかったようだが、何曲も歌っている内に吹っ切れたらしい。その後の歌唱力は大したものだった。
「虹宮ならアイドル目指せるんじゃないか」
「いえ、そんな」
歌い終わると素に戻るのか、白羽は赤い顔で首を振った。
「これだけ歌えるならいけるだろ」
「歌はともかく、ダンスがダメなので……」
「ああ、それもそうか」
また白羽の運動神経が悪いことを忘れていた。アイドルデビューではなく、歌手デビューを薦める方が、褒め言葉としては正解だったようだ。
「でも、さっきから私ばかり歌ってますけど、天原さん遠慮されてませんか?」
「俺はいいよ。人前で歌うの恥ずかしいし」
そう断ったものの、カラオケでテンションが上がっているせいか、白羽は珍しく食い下がってきた。
「えー、天原さんの歌聞きたいです」
「いや、そもそも音楽に興味ないから、歌とかよく知らないんだよ」
「そうですか……」
残念がる白羽。だが、すぐに「あ!」と何か閃いたようだった。
「賛美歌! 賛美歌なら歌えるんじゃないですか?」
「悪魔祓いだからって、それは安直過ぎないか」
「歌えないんですか?」
「……歌えるけど」
白羽のストレス解消の為にカラオケに来たのである。白羽が歌ってほしいと言うなら、歌ってやるべきだろう。夜彦は結局そう諦めをつける。
夜彦の選曲は『深き悩みより』だった。
この曲は『主よ深きふちの底より』や『貴きみかみよ』といった題でも訳されており、大雑把に言えば「人間は誰しも罪を犯すものだが、神はその罪を赦してくださる」というようなことを歌ったものだった。
歌い終えると、白羽は拍手を送ってくる。
「天原さん、上手いじゃないですか。これなら恥ずかしがることないのに」
「単にガキの頃から歌わされてただけだって」
夜彦はぶっきらぼうに答える。謙遜を抜きにしても、自分より上手い白羽に褒められるのは居心地が悪かった。
「今のって有名な歌なんですか?」
「そうじゃないか。カラオケに入ってるくらいだし」
『きよしこの夜』ほど知れ渡ってはいないだろうが、賛美歌の中では比較的メジャーな曲だろう。
「なんてったって、作詞作曲がマルティン・ルターだからな」
「ルターさん、色々やってらしたんですね……」
白羽は呆気に取られていた。
賛美歌を歌うのも、人前で歌うのも、随分久しぶりのことだった。それだけに夜彦はどっと疲れた気分になる。もう今日は白羽の歌を聞いているだけでいい。
だが、白羽はなかなか次の曲を入れようとしなかった。
「あ、あの」
意を決したように、白羽は言った。
「せっかくですし、一緒に歌いませんか」
「……まぁ、いいけど」
普通に歌うのも恥ずかしいのだから、デュエットになると二重に恥ずかしい。しかし、これも白羽のストレス解消の為だと、夜彦は再び自分に言い聞かせるのだった。
「でも、何歌うんだ? さっきも言ったけど、俺レパートリーほとんどないぞ」
「そうですね……」
そうして、ああでもないこうでもないと話し合った結果、やっと結論が出る。
二人がデュエットする曲は、『翼をください』だった。
(合唱コンクールだ、これ……)
歌い終えてから、夜彦はようやくそのことに気付くのだった。
◇◇◇
「さすがにもういいよな?」
「は、はい」
白羽が頷くので、夜彦は店員にそう伝えた。
デュエットならぬ合唱コンクールは予想外に盛り上がった。二人で歌うのはもちろんのこと、小中学生の時にどんな曲を歌ったとか、音楽の先生がどんな人だったとか、そういう思い出話にまで話題が広がった為である。広がり過ぎて、当初の予定をオーバーして、既に何度も延長を済ませていたくらいだった。
だから、店を出た時には、あたりはもう暗くなり始めていた。
「じゃあ、時間が時間だし、そろそろ帰るか」
弥宵には夕食までには帰ると言ってある。今ならちょうどいい頃合だろう。
「それとも、最後にどこか寄ってくか?」
「……いえ、私は特には」
少し考えてから、白羽はそう答える。それで、二人はカラオケボックスをあとにしたのだった。
「でも、まさか主人公が最後の一人だとは思いませんでした」
「すごいどんでん返しだよな。クソびびったわ」
「まだ若くて子供っぽいっていうのが伏線だったんですね」
「単に相棒のじーさんとの対比かと思うよなぁ」
バス停へと向かいながら、二人は今日見た映画について改めて語り合う。意見が合う時はもちろん、合わない時もそれはそれで話が膨らんだ。
「天原さん、BGMも気にされるんですね」
「そりゃあなぁ。映画音楽って、それだけで一つのジャンルになってるくらいだし」
「カラオケの時に、歌に興味ないとおっしゃってたじゃないですか。だから、私はてっきり――」
そう言いかけたところで、白羽は不意に足を止めていた。
変身だ。夜彦はそう直感した。
(疲れてるだろうし、青衣か?)
この予想は、半分当たりで半分はずれだった。
白羽は、赤音に変身していたからである。
「よ、よう」
「…………」
夜彦が声を掛けても、赤音は何も答えない。それどころか、不愉快そうにそっぽを向いて、目を合わせようともしなかった。
(虹宮のやつ、何に怒ってるんだ?)
気に障るようなことでも言っただろうか。つい先程までは、楽しそうに映画談義をしていたように見えたが……
それ以前に何かやらかしたかと振り返ってみても、やはり心当たりは特にない。映画館でも、ボウリング場でも、白羽は基本的に楽しそうにしていた。カラオケに至っては、盛り上がり過ぎて延長までしている。時間さえ許せば、もう一度延長していた可能性もあったのではないか。
と、そこまで考えて、夜彦は閃く。
(もしかして……)
間違いだった場合、殴られるかもしれない。いや、赤音のことだから、ほぼ確実に殴ってくるだろう。そう緊張しながら、再び声を掛ける。
「なぁ、赤音」
「何よ?」
黄希が七つの大罪の『暴食』なら、やはり赤音は『憤怒』なのだろうか。名前を呼んだだけで、彼女は今にも殴りかかってきそうな睨み顔をする。
しかし、ひるむことなく夜彦は続けた。
「せっかくだし、もうちょっと遊んでいかないか」
今までずっと楽しそうにしていたのに、帰り際になって白羽が急に怒り出した理由。それは、自分が「カラオケの延長はもういい」と、「もう家に帰ろう」と、そう言ったせいではないか。
つまり、白羽は自分に話を合わせていただけで、本心ではまだまだ遊びたりなかったのではないだろうか。
夜彦の提案を聞いて、赤音はやれやれと呆れ顔をする。
「しょうがないわねー」




