第一章(2/6)
「トイレはここじゃ」
白羽に家の中の案内をする最中のことである。弥宵はトイレの場所についても説明していた。
「古い家じゃが、リフォームで洋式に変えてあるから安心しとくれ」
「何の説明をしてんだ、ばーさん」
わざわざ言わなくてもいいことだろう。夜彦は思わず眉根を寄せる。
しかし、そんな夜彦をスルーして、弥宵はトイレのドアを開けていた。
「あと、夜彦がしょっちゅう便座を下げ忘れるんじゃが……今日はちゃんと覚えとったようじゃな」
「何の説明をしてんだ、クソババア」
それこそわざわざ言わなくてもいいことだろう。夜彦は思わず声を荒げる。
すると、二人をとりなすように、白羽は話題を変えるのだった。
「で、でも大きなお家ですよね。私にお部屋をお貸しできるくらいですし」
「大昔は、それこそ何人も下宿させとったようじゃからの」
「へー、そうだったんですか」
「まぁ、今ではわしと夜彦の二人暮らしじゃがな」
などという雑談は、途中で中断させられてしまった。家のインターホンが鳴ったからである。
「お、白羽の荷物が届いたかの」
そう言うと、弥宵はこちらに視線を向けてきた。
「夜彦、運ぶの手伝ってやれ」
「ああ」
案の定、これに白羽本人が反対した。
「え、いいですよ。私一人でもできますから」
「気にすることはない。夜彦なんか大雑把な性格で、どうせ力仕事しかろくにできんのだから、こういう時にめいっぱいこき使ってやらんとな」
「悪かったな」
弥宵には先程からずっと自分の印象を下げることばかり言われているような気がする。それで夜彦はささやかな反撃に出ることにした。
「ていうか、ばーさんも手伝えよ」
「今日は足が痛いから無理じゃ」
「いつも都合のいい時だけ痛くなるよな」
弥宵の足痛のことは知らなかったらしい。二人のやりとりを聞いて、白羽は「?」ときょとんとした顔をする。
「昔、魔王と名高いパズズと戦った時のことじゃ。三日三晩にわたる死闘の末、なんとか彼奴を退けること自体には成功したんじゃが、その時わしも膝に矢を受けてしまっての。以来、足が悪いんじゃ」
「そうだったんですか……」
白羽は同情するように悲しげな表情を浮かべる。
「いや、嘘だから。普通に年のせいだから」
弥宵も弥宵だが、白羽も白羽だろう。夜彦は呆れ顔をしていた。
◇◇◇
「よし、と」
荷物が少なかったから、部屋への搬入はすぐに終わった。二人で協力したから、ということももちろん大きかったが。
「どうする? 荷ほどきも手伝おうか?」
「いえ、さすがにそこまでしてもらうわけにはいきませんから」
「そうか」
他人には見られたくないものもあるだろうから、白羽の言い分は単なる遠慮とは限らない。そう考えて、夜彦もそれ以上は食い下がらなかった。
「それじゃあ、俺はこれで」
しかし、そんな夜彦を当の白羽が呼び止めていた。
「あ、あの、よかったらお茶でもいかがですか?」
「お茶?」
「はい」
ワンテンポ遅れて気づく。荷物を運んでくれたお礼、ということのようだ。
「……せっかくだし、もらおうかな」
「分かりました。すぐ淹れてきますね」
さすがにすぐとはいかなかったが、白羽は急いだ様子で部屋に戻ってきた。
手にしたお盆の上にはグラスが二つ。その中には、氷と、透き通った綺麗な赤色をした液体が入っていた。
「どうぞ」
「クソ赤いな。これ、紅茶じゃないよな?」
「はい、ハイビスカスティーです」
飲んだことがないどころか、存在することすら知らなかった。それを察したように、白羽は「いわゆるハイビスカスのことじゃなくて、ローゼルっていう植物から作られているんですよ」と説明を続けた。
見れば、ハイビスカスティーの茶葉が入っていたダンボール箱には、他にもまだたくさんの瓶が収められていた。その上、瓶の中身はそれぞれ違う種類の茶葉のようだ。
「ハーブティーが好きなのか?」
「はい。味や香りがいろいろあるのがいいなって。効能もいろいろあって、その日の体調や気分に合わせて選ぶのも楽しいですよ」
「へー」
可愛らしい趣味である。自分には縁のない世界だ。
「じゃあ、ハイビスカスティーの効能は?」
「クエン酸やリンゴ酸が含まれているので、疲労回復に効果があるんだそうです」
「ああ、それで」
やはり荷物を運んだことへのお礼のつもりだったらしい。夜彦は改めて納得していた。
初体験だから、一体どんなものかと期待しながら一口飲んでみる。すると、ティーという言葉で想像した味と違って、強い酸味が鼻を突き抜け、口の中に広がった。そして、それが冷たい口あたりとともに喉を流れていったのだった。
これは確かに疲れが取れそうである。白羽がわざわざ自分を気遣って淹れてくれたことや、「美味いよ」と感想を伝えた時に彼女が「それならよかったです」とはにかむように微笑んだことも含めて。
そして、白羽がそんな心優しい性格だからこそ、夜彦はどうしても聞きたくなることがあるのだった。
「……アンタさぁ、俺のこと怖くないの?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
見ての通りだろ、と言いたくなる。それくらい夜彦の目つきは悪い。
初対面で自分のことを怖がらない人間には、今までに二種類しか会ったことがなかった。敵だと思って絡んでくる不良と、お仲間だと思って絡んでくる不良である。これでは友達を作れと言う方が無茶だろう。
だが、白羽はその二種類のどちらでもないようだった。
「悪魔から助けてくださったり、引っ越しを手伝ってくださったりする人が、怖い人なわけないじゃないですか。私はむしろ、天原さんはとても優しい人だと思ってますよ」
(天使! いや、女神か!?)
優しい人なんて言われたのは、生まれて初めてのことではないだろうか。夜彦は白羽に対して、優しさを通り越して、もはや神々しさまで感じ始めていた。
それから、「同い年なんだから敬語じゃなくてもいいけど」「癖みたいなものなので気にしないでください」などと、二人は雑談を始める。
その最中、夜彦は再びダンボール箱に視線をやった。
(そういえば、ハーブには魔除けの効果があるんだったな……)
代表的なものとして、ローズマリーをリースにして飾ったり、お香にして焚いたりする例がある。本職の悪魔祓いにはあまり関係ないが、力を持たない一般大衆の間では、かつてこのような魔除けの方法が広く流布していたという。
やはり、白羽は悪魔に狙われやすい体質なのではないか。それで魔除けの為に、ハーブティーを飲んでいるのではないか。夜彦はそう推測する。
そしてまた、白羽の優しさに触れた直後だった為に、夜彦は密かに思うところがあるのだった。
(俺にできることなら、なんとかしてやりたいけど……)