第三章(5/5)
「天原さん、帰りましょう」
午後のSHRが終わると、白羽は真っ先に夜彦の席まで来てそう言った。部活も用事も特にないから、夜彦は「ああ」と頷く。
「メンチカツ以外は何にしましょうか……」
バス停までの道すがら、白羽は呟くように言う。明日の弁当のおかずに悩んでいるようだ。
「天原さんは他に食べたいものないですか?」
「そんなに気を遣わなくてもいいぞ。虹宮の食べたいものでも入れたらどうだ?」
「ご飯なら毎日入れてますよ?」
「それ以外ないのか、お前は」
真面目に聞き返してくる白羽に、夜彦は呆れ顔を浮かべる。
「大体、ご飯ものにもいろいろあるだろ。炊き込みご飯とか、パエリアとか」
「でも、白いご飯も炊き込みご飯も入れたら、さすがに栄養バランス悪くないですか?」
「そうじゃねえよ。ていうか、メニューのバランスは悪くないのかよ」
まさか炊き込みご飯をおかずに白いご飯を食べる気だろうか。これまでの白羽の言動を考えると、ありえないとも言い切れないから、夜彦はますます呆れてしまうのだった。
「お前、もしかして今日団子だったのは、米粉を使ってるからじゃあ――」
そう言いかけたところで、夜彦はくしゃみをする。それも一度や二度ではなかった。
当然のように、白羽は心配げな視線を向けてくる。
「風邪ですか? 花粉症ですか?」
「多分、花粉症」
寒気も頭痛もしないから、おそらく風邪ではないだろう。校舎の外に出て、花粉を浴びたのが原因ではないだろうか。
「花粉症にはルイボスティーが効くんだそうですよ」
「へー、そうなのか?」
「お夕飯の時にでも、お淹れしましょうか?」
「じゃあ、せっかくだし、試してみるか」
やっぱり、いいやつだよなぁ。白羽の気遣いに、夜彦は改めてそう実感していた。
校舎から離れたことで、獄山高校の生徒の姿は早くもまばらになりつつあった。特に、クラスメイトはもうそばにいないようだ。これなら、会話が他人に聞かれる心配はないだろう。
そう考えて、夜彦はこのタイミングで話を切り出す。
「虹宮、昼休みの時はありがとな」
「いいですよ。私、お料理好きですから」
「弁当のことじゃなくて」
「え?」
不思議がる白羽に、夜彦は言った。
「クラスのやつが、俺のこといろいろ言ってた時に庇ってくれただろ」
「……聞いてらしたんですか」
「まあな」
そう答えた瞬間、白羽の頬が一瞬で真っ赤に染まる。
しかし、照れくさいのは夜彦も同じだった。それどころか、白羽が大げさに反応するせいで、ますます照れくさくなってしまっていた。
だから、二人はしばらく無言のまま歩くことになる。
「…………」
「…………」
そんなこそばゆい沈黙の末、先に口を開いたのは白羽だった。
「……私は天原さんを庇ったわけじゃありませんよ」
「?」
夜彦は怪訝な表情を浮かべる。あれはどう見ても、自分を庇う為の発言だろう。
だが、白羽はそうは考えていないようだった。
「私は本当のことしか言ってません。だから、単に天原さんに対する皆さんの誤解を解いただけです」
「……そうか」
今日の一件で、クラスメイトとの関係が変わるかどうかは分からない。不良だ、ヤンキーだと言われることはなくなるかもしれないが、それと友達ができるかどうかは別の問題である。
しかし、少なくとも白羽だけは、きっとこれからも自分のそばにいてくれるだろう。そのことが分かっただけで、夜彦にはもう十分なくらいだった。
が、そんな感慨に耽る暇はなかった。
「でも、天原さんもよくないですよ」
「は?」
白羽の言葉に、夜彦は呆気に取られる。
どうやら聞き間違いではなかったらしい。珍しく――といっても、昼休みに続いてこれで今日二度目だが――白羽は怒ったような強い口調で言った。
「元はといえば、天原さんの態度が悪いせいで、ああいう誤解が生まれたんですからね。これからは、クソとかそういう汚い言葉は使っちゃダメですよ」
「はぁ、気をつけます」
自分に批判の矛先が向けられるとは、これっぽっちも思っていなかった。だから、夜彦は反省するよりも先に呆れてしまう。
「虹宮はクソ真面目だなぁ」
「…………」
「あ、違うから。今のは違うクソだから」
ムッとしたように睨んでくる白羽を見て、夜彦は慌ててそう言い訳した。
「もう、本当に気をつけてくださいよ」
「善処します」
夜彦は曖昧な言葉で誤魔化す。今後もこんな風に言葉遣いを注意されるのかと思うと、正直少しわずらわしい。
もちろん、それ以上に、白羽への感謝の気持ちの方がずっと大きかったが。
「そういえば、もしかして俺と飯食ったりしてるのも、クラスの連中の誤解を解く為だったのか?」
「は、はい」
白羽は驚いたような照れたような、うわずった声を上げる。言われなければ、隠し通すつもりだったようだ。
「誰かが一緒にいれば、皆さんも天原さんが悪い人じゃないって分かってくれるかと思いまして」
白羽が話しかけに来たり、昼食に誘ってきたりするのを、夜彦は今まで「友達のいない自分の話し相手になってくれている」くらいにしか考えていなかった。しかし、彼女はもっと深い思いやりの下に行動していたらしい。
「なんか悪いな。いろいろ気を遣わせてたみたいで」
「いえ、迷惑をかけるのはお互い様ですから」
白羽はどこかで聞いたような台詞で夜彦に答えた。
だが、単に恩返しをするのが目的のような言い方をしては、夜彦に悪いと思ったのだろう。慌てて訂正を付け加えていた。
「あっ、でも、天原さんといるのは、それだけが理由じゃないですからね」
「はいはい」
おざなりに夜彦がそう答えると、白羽はもう一度念を押してくる。
「本当ですからね」
「分かった分かった」
◇◇◇
「ばーさん、蔵の鍵貸してくれ」
出し抜けに夜彦はそう言った。
帰宅後、部屋にカバンを置いて、すぐに居間に顔を出した際の発言がこれである。内容もあいまって、弥宵は怪訝な表情をしていた。
「何じゃ、藪から棒に」
「いや、あそこの本になら、虹宮の体質を治す方法が載ってるんじゃないかと思って」
天原家の庭に建てられた、古くて大きな蔵。その中には、悪魔や悪魔祓いに関する資料が大量に保管されていた。
悪魔の侵攻が下火になった現代では、テキストには基礎的なものしか使用しない為、夜彦が読んだことがあるのは蔵書のごく一部に過ぎない。言い換えれば、夜彦の知らない「白羽の体質を治す方法」が、蔵書には載っている可能性がある。夜彦はそこに希望を見出していたのだった。
実際、弥宵も夜彦の意見を否定しなかった。
「わしも全部把握しとるわけじゃないからの。可能性がないとは言わんが……」
「だよな」
しかし、夜彦の話を聞いた弥宵は、ますます怪訝な表情をする。
「お前さん、急にやる気を出してどうしたんじゃ? 学校で何かあったのか?」
「なんでもいいだろ。早く貸せよ」
白羽との一件を説明したくないあまり、夜彦は乱暴にそう催促するのだった。
弥宵から鍵を借りると、夜彦は早速蔵に向かった。少し急いだくらいで何かが大きく変わるわけでもないのだが、それでも白羽のことを思うと急がずにはいられなかったのだ。
そして、鍵を使って蔵の中に入った夜彦は――
「げほっ、げほっ」
いきなり咳き込んでいた。
(こりゃ、掃除から始めないとダメかな)
灯りをつけるとよく分かる。蔵の中はどこも埃だらけだった。
今でも使うような本は家の方で保管しているから、蔵には滅多に立ち入ることはない。以前一度だけ大掃除をしたはずだが、それももう何年前のことだろうか。
(今日は何冊か適当に持っていくだけにしよう)
夜彦は棚からタイトルだけ見て本を抜き出すと、パラパラとページをめくっていく。
ローマ典礼儀礼書、ソロモン七十二柱、聖ベネディクトのメダイ、黙示録の獣、リーガン・マクニール事件…… 蔵の本を読んでいると、よく知っているつもりのことでも、実際には表面的なことしか知らないということを痛感する。そして、よく知っているつもりのことよりも、全く知らないことの数の方がずっと多いということも。
白羽の体質を治すのは簡単な道のりではなさそうだ。今更そのことを実感すると、夜彦はますます本を選ぶのに熱中していった。
以前聞いた話では、弥宵は白羽の体質を悪魔憑きの一種だと解釈しているということだった。それを信用して、夜彦もまずはその分野の資料を探そうとする。
だから、その記述に出会ったのは全くの偶然だった。
「七つの大罪……?」




