ハイパーオペラ座殺人事件
本格ミステリーです。日頃の残業の疲れからこの怪物は生まれました(私信)
1
「ここがハイパーオペラ座か……」
カーキ色の外套を翻し、同じくカーキ色のハットをかぶりなおした男は、黒い画用紙に空いた大穴のような眩い劇場を見上げた。
「ハイ、センセ。ここがハイパーオペラ座……とぅないと凄惨な事件が起きると予告された現場デス……」
うさん臭い男の三歩後ろに立つこれまた怪しい少女は、髪を書き上げ胸に抱いたタブレットを確認する。
液晶に映されているのは、これまたコテコテな犯行予告だった。
「今時新聞の切り抜きのコラージュで作るとは……難事件だ……」
「ハイ、センセ……」
まだ始まってもいないのだが、これほどの風格の男がいうのだ……金髪美少女は、緊張からか固唾を飲む。
「必ず捕まえてやる……オペラ座の大魔神……!」
2
「ここが大魔神の巣か……」
シャンデリアが飾られたエントランスには、すでに数名のゲストが集まっていた。
「これで全部か、エド」
「ハイ、センセ」
タブレットを操作し、金髪碧眼美少女エドはうなずく。
「誰だね君は」
この中でもひときわ偉そうな、小太りの男性が問いかけた。
「いえ、失敬。わたくし、ディテクテブ刑事の吟大寺幸之助です。今夜ここで殺人事件が起きるとの報せを受け、馳せ参じました。……こちらは助手のエド・コバンザーメ、こう見えて成人しているレディです」
「エド・コバンザーメと申しマス。センセのことはコウノスケ、わたしのことはエドとお呼びください」
しゃなり、とドレスの端をつまみ上げ会釈するエド。
「待て、待て待て待て! 殺人事件だって? 誰が殺されるってんだ⁉」
真っ先に殺されそうな虎柄のシャツを着た短髪が声を荒らげた。
「それは書かれてませんでした」
「誰が殺すってんだ!」
「オペラ座大魔神と名乗る人物です」
「オレたちを呼んだ奴じゃねーか!」
男の言葉にゲストたちが頷く。男女合わせてこの場には9人。そして幸之助とエド。この中にオペラ座大魔神を名乗る酔狂な犯人がいるのだろうか……。
「ふむ……しかし、このエントランス、なにかおかしいですね」
あたりを見渡し、幸之助が気付いた。
「なにがおかしいってんだよ!」
「虎柄のきみ、生き残れたらわたしの助手にならないか?」
この男が叫ぶと話が進む。第一被害者っぽいことを除けば今後とも仲良くしたい人物だ。
「センセ、長くなりそうなら、エドはトイレに行きたいデス」
「あぁ、今のうちにいってきなさい。じきにそれどころじゃなくなるだろう……」
さんくす、とひらがな英語で言うと、エドはとことこと歩いて行った。
やれやれ、と幸之助は肩をすくめ、話を続ける。
「このエントランスにはスピーカーが多すぎる。劇場のなかとはいえ、この数は異常だ」
「確かに……」
関心したように、虎柄が呆けた声を出す。
「なにか仕掛けがあるに違いない!」
探偵が推理を口にすると同時に、天井に架けられたシャンデリアが落下した。
耳をつんざくような破壊音と数人の男女の断末魔が響き渡る。
『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、デデッ!』
過剰なほど設置されたスピーカーのうち数台が振動し、パイプオルガンから奏でられる『オペラ座の怪人』のメインテーマが耳朶を叩いた。
非常用の赤と緑のライトが点灯すると、破砕したシャンデリアの破片に交じって、すでにこと切れたであろう人間の手足が伸びているのが見えた。じわりと、血液が放射上に広がっていく……。
「え、7人死んだ? は? マジで?」
幸之助は目を見開き、状況を確認して唖然とする。
シャンデリアの下敷きにならなかったのは最初に声をかけてきた小太りの中年と虎柄の青年、そしてトイレに行って難を逃れたであろうエドだけだった。
「名前とか聞いてないし顔とか恰好とか全然覚えてねぇよ……」
これでは推理もままならない……ディテクテブ刑事の名折れだ。
「なんで7人てわかンだよ」
「……! そうか!」
ほぼ全滅した、と考えるのは早計過ぎる。
幸之助はいまこの場で立っているメンツを生存者として数えていた。それが盲点だったのかもしれない。
そう。例えば、エドのようにたまたま運よくこの場を離れていた者がいたかもしれないのだ。
『コホン。あー、あ、あーー』
しゃがれた声がエントランスのどこからともなく聞こえた。音質は非常に悪く、それが男性か女性かの判別もつかない。
『フフフ……今ので7人死んだ……こんぐらっちゅれーしょん……』
カタコト交じりの音声は控えめに言っても不器用で、ともすれば機械で合成したものかもしれない。新聞記事でコラージュした犯行予告といい、混ぜ物に紛れるその腐った根性が、幸之助は気に入らない。
「フフ……夜明けまで生き残れるカナ……!」
「キサマがオペラ座大魔神か!」
『……』
「いや、マイクはついてないだろうぜ」
「あ、そうか」
3
「夜明けまで、といったか」
一周まわって落ち着いた中年は、キセルを揺らして状況を整理しはじめた。
「これさ、夜明け前に全滅もワンチャンあんじゃね?」
「エドは無事だろうか……」
シャンデリアの破片で、劇場の中への通路が全て塞がれている。外とつながる入口は内側のドアノブが破壊されており、中からは開かない状態だ。
「なぁ大魔神! 答えろ! 夜明け前に全滅したらお前はどうするんだ!」
「だから聞こえねぇよ幸之助」
「そのようだな、チエ……」
一時間ほど共に過ごした明神智とは、すでに連絡先も交換している。事件が解決したら飲みに行く約束である。
「この幸之助に考えがある。おっさん、協力してくれ!」
「なにをするのかね」
「大魔神は『七人死んだ』と言った。聞こえてはいないが、見えていないわけじゃないと思う」
マイクはないにしても、カメラはあるかもしれない、という推理だ。
「人文字で伝えよう」
「その手があったか」
……『大マ人 ハナし アル』。大の大人三人が協力して、メッセージを作り上げた。
『ナンダ……』
『キコエル ?』
『?』の部分はおっさんが首をかしげるジェスチャーで対応した。ファインプレーだ。
スピーカーの奥で、ゴソゴソと物音がする。
「ぐだぐだしてんなぁ向こうも」
ときおり痛みに悶える声が漏れる。よほど狭いかちらかっているのだろう。
『あ、あー……しゃべってミロ』
「お前が大魔神か!」
「いや大魔神だろ」
『イカニモ……』
「証明してみろ!」
「えっ」
『エッ』
…………。静寂が流れる。
『わ、ワタシがオペラ座大魔神ダ!』
「おれもオペラ座大魔神だ!」
「えっ⁉」
『エッ⁉』
幸之助の切り替えしに、虎柄も大魔神もうろたえる。中年は言えば、人文字の反動が大きいのか隅のほうで息を整えている。
『ワ、ワタシこそオペラ座大魔神ダ!』
「ぐあっ」
風を切る音がして、中年が呻き声をあげた。
『フフ……トリカブトの毒を塗った矢ダ。当たれば死ぬ……』
『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、デデッ!』
「おっさん!」
4
「いやこれさぁ、マジ企画倒れじゃないの?」
おっさんの死を悼み、遺体を端のほうに寄せた幸之助とチエは、この状況への不満を漏らした。
「ペースがおかしいよペースが。夜明けまであと半日あるぜ?」
「そういやそろそろ夕飯時だな……ごはんとか出るの?」
『デナイ……』
そう答える大魔神だが、その後ろから電子レンジが稼働しているらしき音が聞こえる。
「これどうすんの? さっきの毒矢とかやられたらこっちは話になんないんだけど」
毒矢の飛んできた方向を確認したが、射出口は残骸の向こう側にあったので塞ぐことはできなかった。他の射出口も確認できたが、100で数えるのをやめた。対応できる量ではない。念のため、気休めではあるが、その内の一つに中年の遺したキセルを刺しておいた。
『フフ……ぬかりナイ……』
「ここがハイパーオペラ座か……ってなんだコレ⁉」
ぞろぞろと、ドレスコードのかけらもない集団が入ってきた。みな一様に、この惨憺たる現場に口を押え、自分の運命を悟りパニックに陥る。
「な、なぁ君たち……これはいったい……」
Tシャツに『1』と書かれた男性が声をかけてきた。
「どこから話せば……」
思案する幸之助の目の前を、風が通った。少し遅れて発砲音が届き、火薬のにおいがして、『1』の男性が死んだ。
『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、デデッ!』
「雑すぎない⁉」
『サァ、どうする名探偵⁉』
観察すると、新たなゲストは全員似たようなTシャツで、胸に大きく番号が記されている。それはデザインであったり、たすきであったり、ゼッケンであったり様々だ。
毒矢が放たれ、続けざまに5番までが倒れた。
『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、『デー! デレデデデー! デレデレデー! デ『デー! デレデデデー! デレデレ『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、デデッ!』……『デー! デレデデデー! デレデレデー! デレデレデェー、デデッ!』
「何ィーッ⁉」
『数、アッテル?』
「…………あってるぜ……」
「大魔神……いかれてやがる……ッ!」
50までは確認できた番号モブたちは、不安を口にするだけだ。チエが一緒にいて心底よかったと、幸之助は胸をなでおろす。
5
そのあと、飽きてくるか眠くなるたびに番号モブが殺害され、メインテーマが鳴り響いた。
「うわあああ!」
『デー!!!! デレデデデー!!!!!!! デレデレデー!!!!!!!!!! デレデレデェー、デデッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「うるせぇ!」
「痛いっ!」
『デー! デレデデッ
『あ、間違えた』
「ぐふっ」
『よしっ、今度コソ!』
『デー“! デレ”デデデー“! デレ”デレ“デー”! デレ“デレ”デェ“ー”、デデッ!』
「音割れしてんぞ」
「まぁ、あの音量のあとだから……」
6
「犯人がわかった……」
「おれも」
「てかそろそろ死体臭いから帰りたいんだけど」
「うん」
初手七人殺害の死体は、軽く見ても内蔵が破裂しているはずだ。その死に敬意を払ったあとなので、それらはもうただの悪臭を放つ肉袋に過ぎない。
「お前の正体はわかったぞオペラ座大魔神……いや、エド・コバンザーメ!」
『さすがデス、センセ……』
「なんでこんなことをしたんだ……」
「幸之助……」
心の痛みに俯く探偵に、チエはかける言葉が見つからない。
『センセが……』
スピーカーにノイズが乗り、シャンデリアの向こうの扉から金髪の少女が姿を現した。
「センセが、ホントのディテクテブpoliceだってしょーめいしたくテ……」
「だから人を殺したのか?」
「だって、ダレもセンセを認めてくれない……」
「だから、お前は人を殺したのか?」
「だって、だって! えどはセンセが好
「だからって人を殺していいのか!」
泣き崩れるエドに向ける幸之助の視線は、怒りのそれだ。
「いいノ! センセはえどが一緒じゃなきゃだめナノ! えどはセンセがいなきゃだめなんだカラ!」
純白のドレスとピンクブロンドの髪をかき乱して、エドは心のままに叫ぶだけだ。あまりに支離滅裂なので、幸之助はその言葉に耳を貸そうともしない。
「おい幸之助……」
シャンデリアの中に踏み出した探偵をチエは引き留めようとした。だがその足取りは強く、疲弊しきった腕では掴むことすらできなかった。
「チエ、約束破って悪いな」
「なにいってんだ幸之助……お前の助手もよォ……何言ってンのかわかンねェよ」
「助手の責任は探偵の責任だから……じゃあな」
エド・コバンザーメの頭をぽんと一回叩くと、うさん臭い男は奥の部屋に消えた。
出入口が開くと同時、毒矢の射出口からガソリンが漏れ出す。キセルの残り火に引火し、劇場は瞬く間に火に呑まれた。
7
夜も白んできて、居酒屋もスナックもクラブも軒並み店じまいを始めていた。
その中からメキシコというフィリピンバーのドアを叩いたチエは、カウンターに座りハイボールを注文する。
「ねぇ、コバンザメってサメじゃないのよ」
アルコールを運んできた美女が隣に座り、妖艶につぶやく。
「ね、何の仲間だと思う?」
「はぁ……エイ、とか……?」
平べったいという特徴から、一番近いところに手を伸ばす。
「違う。スズキ。全然違うでしょ?」
ほほ笑んだ美女の口元は、うっすら青い影が見えた。自然と、視線はそこから徐々に下へ伸びていく。
「だめ。それはマナー違反よ」
美女は自分の喉元に手を添え、チエを窘める。
「友人がついさっき死んじゃって……」
ハイボールをあおり、チエがため息交じりに語り始めた。
「今日飲もうって約束してて……。あいつの好きな酒、聞いとくんだったなぁ……」
人が死ぬたびメインテーマが流れてうるさいのと、初手シャンデリアと被害者追加のシーンが書きたいので書きました。