「感情的な1秒先」
「っ、ぁ……や、あはは……なんでもない」
マリスタは不意に思い出しかけた忌まわしき記憶を、出来るだけ早く忘却しようと笑う。
しかし――いま最も彼女の脳にこびりついているその音を、声を忘れることなどどだい無理な話であった。
彼女の青い目が、肩で桃色の髪を揺らす丸眼鏡の少女、パールゥ・フォンを見る。
マリスタの視線の先でパールゥは未だ、圭の去っていった医務室の奥を見つめ続けていた。
〝あなたは彼を守らなかった――マリスタ・アルテアスは、ケイくんを守らなかったッッ!!〟
〝二度とケイに近寄らないで? この売女〟
過去のマリスタを苛んだ言葉が、返す刀で今のマリスタの心を刺し貫く。
それは少女にとって、アヤメ・アリスティナによる一撃より煩わしい痛みで。
(……なんだって、私がこんな気持ちにさせられなくちゃならないんだろう)
視線に気付かれるのを怖れ、マリスタはわざとずらした視線でパールゥを視界に捉え、見つめ続ける。
なぜ私は、こんなにこの子を恐れているんだろう。
いつから私は、こんなにこの子を恐れるようになったんだろう。
(……少し前までは、フツーに仲いい友達だったのに。どうして――)
〝ま、マリスタ。あなた……アマセ君と仲がいいの?〟
〝ふふふ……ごめんねパールゥ。それは言えないのさっ〟
〝あのミーハー共ときたら! ケイがイケメンだからって食いつきすぎなのよ!〟
(――――、)
〝さっさと腹決めないと、あなた――――アマセ君取られちゃうかもよ?〟
〝――取られるとか、私はその。考えたことも〟
(………………なかった?)
少女の中で。
心が、小さく苦しむ音がする。
(ああ、そうか。取られそうなんだ、今――――私のだと思ってた人を)
「っ……マリスタ?」
勢いよく立ち上がったマリスタに面食らったナタリーの声。
赤毛の少女はそのポニーテールを勢いに揺らしながらナタリーを、そして同じくぽかんとしている周囲の者達を見て、
最後に、パールゥと目を合わせて。
おそらく彼女だけがその視線の意味を悟り、突如訪れた危機を察して目を見開いた。
「――――心配だから」
「はい?」
「心配だから、行ってくる。ちょっと行ってくる」
「あの、何を――マリスタ?!」
ナタリーの制止も聞かず、マリスタが医務室の奥へと足早に進む。
薄闇の中、部屋の隅に一床だけあるベッドに腰かけた金髪の少年は、慌ただしく現れた少女に驚いた様子で目を瞬かせた。
「……マリスタ?」
「……ケイ……」
――言いたい言葉が、少女の心で瞬間的にあふれる。
しかし少年との距離を測りかねた心が、何が自分の本当の気持ちなのかが解らない少女の心が邪魔をして、あふれ壊れてしまいそうな言葉を喉でせき止め、外へ出させない。
だから、どんどんと歩みだけが進んでしまって。
気が付けば、少女は――――これまでにないほど近くまで、少年へと踏み入ってしまっていた。
「――――――、――――――」
「ど――どうした、何かあったのか? マリスタ?」
――心臓が飛び出そうなほど息を荒げている自分に、やっと気が付く。
勝手に舞い上がっている自分と違い、少年が実に冷静に事に向き合っていることにやっと気が付く。
でも、もう抑えられそうもない。
この気持ちを抑える理由をこの瞬間、少女は一つも思いつかない。
言葉が喉から押し出されるのに、そう時間はかからなかった。
「……ケイっ。私、わたし――――!!!」




