「第2幕、第7場――①」
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こうして、場面はユニアとクローネの別れのシーンへと移行する。
散々練習しただけあって、情感たっぷりに演じられているのではなかろうかと思う。
しかし、改めて見てみても……この『英戦の魔女と大英雄』には、所々示唆的な描写が含まれている、気がする。
魔女と交わす「契約」は今にも存在するし、神プデスとクヲンが使った「化身」とは恐らく、実技試験でロハザーが使っていた「雷光の憑代」のような――精霊化魔法のことを言っているのだと思われる。
魔法生物学の知識によれば、存在そのものが魔力である精霊には、魔素を介したものでしか触れることさえ出来ないという。
神がせっせと集めている人間の意志力。これは言うまでも無く人間の「精神力」のことだ。
精神力は魔力を倍増、いやそれ以上に高める力を秘めている。
だからこそ、マリスタの激情に合わせて魔波は吹き荒れるし、尽きた力が意志の力で息を吹き返す、なんて現象を俺も体感してきた。
――では、他の要素も何かを示しているのか?
三人の、いや四人の神とは何の比喩だろう。古来から敵対関係にあったという、アッカスやバジラノのことだろうか。
機神ディオデラは? 抗う人間達は?
それとも――――神話として語り継がれているこの戦いは、もしや史実なのだろうか。
神の「供物」の受取人が、結局作中一度も姿を現さないのは何を表しているのか。
契約によって得られる力には、やはりまだ隠された何かがあるのか?
………………そんな、益体の無い妄想に耽っているのにも理由があったりする。
第二幕、第七場。
やはりというか、このシーンで俺の相手となるパールゥの役への――というよりは、俺への――入れ込み具合が半端ではないのだ。
「せめて、言葉にさせて――――行かないで。クローネ。ずっと私と一緒にいてっ」
目を潤ませ、クローネの甲冑に触れて俺の顔を見上げるユニア。
細めた目から涙が零れ落ち、逃すまいと構えていた照明班の咄嗟のライトで光った。
人はそれを、名演技というのかもしれない。
だが、パールゥの現在の内情を多かれ少なかれ知る者にとってこの演技への打ち込みようは、明らかに演技以上の何かを感じさせる……と思う。
クローネはユニアを、包み込むようにして抱きしめる。
このシーンにてクローネが、ユニアがどんな気持ちで抱き合うかと言われれば、きっと意見は分かれるだろう。
それがいい判断かどうかは解らないが――監督は、敢えてこのシーンの気持ちの解釈だけは、完全に俺達の判断に委ねてきた。
監督は、その場面場面に於いての登場人物の心情さえ演出する。
そこに明確な意図がなければ、シーンの雰囲気や照明、音による演出もブレてしまい、良いシーンにはならない……と、シャノリアは語っていた。
その彼女が、このシーンだけは俺達に解釈の余地を残してきたのだ。面倒なことに。
俺とパールゥはこのシーンを、「ユニアの気持ちに気付いているクローネが、それをやんわりと拒否しながらも、最後となるかもしれない相手に別れの情を交わす」。そんなシーンであると解釈した。
当然ながら、俺とパールゥの間に解釈のズレがあっては、一つの意図を持ったシーンとして成立しないからだ。
俺とパールゥの間で、そこは明確に擦り合わせてある。
はず、なのだが。
「――――、?」




