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「第2幕、第7場――①」




◆    ◆




 こうして、場面はユニアとクローネの別れのシーンへと移行する。

 散々練習しただけあって、情感たっぷりに演じられているのではなかろうかと思う。



 しかし、改めて見てみても……この『英戦えいせん魔女まじょ大英雄だいえいゆう』には、所々示唆的(しさてき)な描写が含まれている、気がする。



 魔女と交わす「契約」は今にも存在するし、神プデスとクヲンが使った「化身けしん」とは恐らく、実技試験じつぎしけんでロハザーが使っていた「雷光の憑代(ライナー・ミュース)」のような――精霊化せいれいか魔法のことを言っているのだと思われる。

 魔法生物学の知識によれば、存在そのものが魔力である精霊には、魔素まそかいしたものでしか触れることさえ出来ないという。



 神がせっせと集めている人間の意志力。これは言うまでも無く人間の「精神力」のことだ。

 精神力は魔力を倍増、いやそれ以上に高める力を秘めている。

 だからこそ、マリスタの激情に合わせて魔波まはは吹き荒れるし、尽きた力が意志の力で息を吹き返す、なんて現象を俺も体感してきた。



 ――では、他の要素も何かを示しているのか?



 三人の、いや四人の神とは何の比喩ひゆだろう。古来から敵対関係にあったという、アッカスやバジラノのことだろうか。

 機神ディオデラは? あらがう人間達は?



 それとも――――神話として語り継がれているこの戦いは、もしや史実なのだろうか。



 神の「供物くもつ」の受取人が、結局作中一度も姿を現さないのは何を表しているのか。

 契約によって得られる力には、やはりまだ隠された何かがあるのか?



 ………………そんな、益体やくたいの無い妄想もうそうふけっているのにも理由があったりする。



 だいまくだいなな



 やはりというか、このシーンで俺の相手となるパールゥの役への――というよりは、俺への――入れ込み具合が半端はんぱではないのだ。



「せめて、言葉にさせて――――行かないで。クローネ。ずっと私と一緒にいてっ」



 目をうるませ、クローネの甲冑かっちゅうに触れて俺の顔を見上げるユニア。

 細めた目から涙がこぼれ落ち、逃すまいと構えていた照明班しょうめいはん咄嗟とっさのライトで光った。



 人はそれを、名演技というのかもしれない。

 だが、パールゥの現在の内情を多かれ少なかれ知る者にとってこの演技への打ち込みようは、明らかに演技以上の何かを感じさせる……と思う。



 クローネはユニアを、包み込むようにして抱きしめる。



 このシーンにてクローネが、ユニアがどんな気持ちで抱き合うかと言われれば、きっと意見は分かれるだろう。

 それがいい判断かどうかは解らないが――監督(シャノリア)は、えてこのシーンの気持ちの解釈かいしゃくだけは、完全に俺達の判断にゆだねてきた。



 監督かんとくは、その場面場面にいての登場人物の心情さえ演出する。

 そこに明確な意図がなければ、シーンの雰囲気や照明、音による演出もブレてしまい、良いシーンにはならない……と、シャノリアは語っていた。

 その彼女が、このシーンだけは俺達に解釈の余地を残してきたのだ。面倒なことに。



 俺とパールゥはこのシーンを、「ユニアの気持ちに気付いているクローネが、それをやんわりと拒否きょひしながらも、最後となるかもしれない相手に別れの情を交わす」。そんなシーンであると解釈した。

 当然ながら、俺とパールゥの間に解釈のズレがあっては、一つの意図を持ったシーンとして成立しないからだ。

 俺とパールゥの間で、そこは明確に擦り合わせてある。



 はず、なのだが。



「――――、?」

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