「私が必ずお前を倒す」
はずだった。
「!」
マトヴェイの胴が逃げる。
服にまではたどり着いていたはずの拳が、紙一重マトヴェイから逸れていく。
理由は明白。下半身の違和。
ビージの足元、しっかりと踏み込んだ大理石の床が盛り上がり、ビージの体勢そのものを崩壊、拳の軌道をそらしたのだ。
(発動が速ええ――しかもノーモーションで!)
「木偶犬がいっちょまえに邪魔してんな。消えろ」
拳が空振りしがら空きになった右脇腹に無数の突起となった大理石が迫り、技後の硬直を抜けきらないビージへ
接触する直前、イミアの風の刃が一太刀の下に突起をすべて切断する。
「…………」
ビージが瞬転、マリスタらの下へ戻る。
マトヴェイの視線の先には、弱点とする風属性魔法により魔素の結びつきを破壊され、切断面からチリと消えていく無数の大理石の突起。
「……降参してくれねーか。マトヴェイ」
「……は?」
「こっちは四人、お前は一人だ。それだけでも負け戦だってのに、その上面子は」
「メス二匹平民一人木偶一体。何の問題もないな」
「……マトヴェイ……!」
「だからお前如きがエラそうに人の心配なんぞしてんじゃねぇって。いつもみたいに飼い主のクツ舐めてりゃいいんだ、お前ら犬共は」
〝『よろしく』って、お前が言うことじゃねーだろビージ。なんだよ、いっちょまえによ。カッケーとでも思ってんのか?〟
〝見栄張んのはよ、やめとけってビージ。お前らはそういう器じゃねえって、もう解ってるはずだろ?〟
「ホント言ってくれるわね――」
「お前のことじゃないアルテアス文脈読めバカ、何年人間やってる。――そういえばビージ、他の犬共はどうしたんだよ」
「……目でも悪くなったのか。ここにはいねえ、それがすべて――」
「だからさあ、無理に俺と対等になろうとすんなってダダスベりしてるぞ。お前そんなに空気読めない奴だっけ?――ああ、そうか。そういえば、お前らのティアルバーはもう破滅してたんだっけ。慣れないことしてるからそこまで無様なんだな、空気の読み方。これまでは読む必要無かったのにな、虎の威を借りてイキってりゃいいだけだったから」
「……」
〝自意識過剰ってやつだぞ。誰もお前らのことなんか見てやしねーって〟
「…………」
「で? ドコ行ったんだよ『三つ首わんちゃん』の片割れ共は。もしかして死んだ? チェニクの奴なら容易に想像できるよな。メガネ割られて死んじゃった? ははは」
〝おーかた大貴族に近付いとけばおこぼれに預かれるとか思ってたんだろ〟
「…………黙れッッッ、」
「あ、そうかそうか、そういやテインツは不登校だったか! 忘れてた忘れてた、ははははは……ケッサクだったよなあの時のテインツは。魔弾の砲手もろくに使えねぇ異端にイキって絡んで返り討ち、おまけに飼い主に見放されてやがんの、はははは……想像つくぜ、とっくに退学してるんだろあのシスコン。じゃなきゃとんでもない厚顔野郎だ。あれだけの恥さらしておいて、俺だったら自殺しちまう」
〝お前は器じゃねーんだからよ、ビージ!〟
〝国を救うだの何だの言ってないで、自分のことだけにかまけてろよ!〟
〝ちゃんと媚びるべき相手に媚びとけよ!〟
「――黙れッつってんだッッッ!!!!!!!!!!!!!!」
極限の怒声が魔波となり、一陣吹き荒れる。
「うーるーさいって。ホント単細胞だなお前、どこまで醜態をさらしたら気が済むんだ?」
「知った風な口でチェニクを、テインツを語んじゃねェッッ!!! そうやって遠くから冷笑してるだけだったオメーにあいつらの、俺達の何が解るってんだ、アァッ!!!?」
「泡吹きながら喚くなって捨て犬。――――解るワケねえだろw お前らみたいな間も腑も腰もヌケてやがる敗者共のことなん「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
『――――――~~~~!!!?』
鼓膜が破れそうな鋭い轟音が皆を、空気を魔波を、広間を包む障壁を震わせる。
マトヴェイが思わず後退してしまうほどの魔波が吹き荒れ壁に跳ね返り、声の主――――マリスタ・アルテアスの涙を吹き飛ばしていく。
「――う、るっ……せぇなメス……だからお前のことじゃないって言ったろうがバカ女が……!」
「百も承知よそんなことッッ!!!」
「…………はぁ?w」
「……アルテアス、なんでお前泣い――」
〝あんた、自分が今何やってんのか分かってんのかよ! そいつはな、アンタみたいな身分の大貴族が助けるべき人間じゃ――――〟
「――――、」
「じゃあ何、アルテアスお前今――そこの負け犬のために泣いてるのか?」
「もう黙れ、ほんとに黙れ。お前の言葉なんてもう聞かない。もう知らない。マトヴェイ・フェイルゼイン――――お前だけは絶対に許さないッ。私がここで必ず倒すッ!!!」
〝助けるべきじゃない人間なんていないッッッ!!!〟
かつて対峙し、そして示されたマリスタの意思を、少年は今更ながら思い出す。
〝人間にこっち側もどっち側もないのよ大馬鹿男ッ!!! 私はどんな人でも助けるし、どんな理由があろうと誰かをイジめる人は許さないッ!!〟
そんな異世界を受け入れられず、自分の動揺の意味さえ解らないままただ怒りですべてを覆い隠していた自分を思い出す。
「……ハァ。つくづく世界が見えてない女だ。だが許すよ――女に世界なんて見える必要はないし、それでこそ調教のしがいがあるってものだから」
床に閃電が走る。
マトヴェイの背後に、床から巨大なミミズのような大理石の軟体が突き出で――ゆっくりと鎌首をもたげた。
「征服してやるよ。お前は所詮男に屈服するしかない、どうしようもないメスだってことをな! 俺のモノになれ、マリスタ・アルテアス!」
「宇宙の果てまで吹っ飛べ、マトヴェイ・フェイルゼインッッ!!!」




