「多数派の空気感」
「――ッッッ、マティアス、おま――」
「ビージ」
見知った声で、聞き慣れない名前を聞く。
それはこみ上げたビージの怒りを、また別の意味で油を注ぐ静かな、そして気に食わない声。
しかし、怒りの矛先を変えられる今とあっては、その声もありがたかった。
「……アマセ」
「!」
「きゃ――やばイケメン」
小さく発したつもりであろうニコラの声が、ビージの劣等をいよいよかき立てる。
体が怒りだけに支配されないうちに、ビージはその静かな声にのみ意識を集中することにした。
「何だよ。なんか用か」
「呼び出しだ。アルクスからのな。軍議室に行けと――何か取り込み中か?」
「あっ、いやっ。な、なんでもないですよ、なんでも! ちょっと昔のよしみで仲良くしてただけっていうか――あ! わ、私ニコラ・ペザリアって言います! こっちは」
「解った、行く。じゃあなアンシェル、ペザリア」
「あっ、ちょっと――」
「お前は器じゃねーんだからよ、ビージ!」
――言うな。頼むから、そういうことを。
文字通り心の底からのビージの願いもむなしく、マティアス・アンシェルは言い放つ。
「国を救うだの何だの言ってないで、自分のことだけにかまけてろよ! じゃないとお前、マジで将来路頭に迷うぜ! まともに生きてられるうちに、ちゃんと媚びるべき相手に媚びとけよ!」
したくも無い歯ぎしりが、自分の口から漏れ出る。
こんな情けない音を、今隣にいる奴にだけは聞かれたくないのに。
二人が見えなくなり、やたら居心地の悪い空気の中を歩く彼とケイ・アマセだけが残った。
(……畜生が。どいつもこいつも、俺が一体何したってんだよ神様――)
〝俺達貴族がわざわざ通訳魔法を使ってまで話しかけてんだ。末代まで恩に着ろよ、『平民』〟
〝よぉ、「異端」。こないだは我々に随分と無礼な真似してくれたじゃねぇか〟
〝なんで俺達がこいつに配慮しなきゃいけねぇんだよ。糞野郎が、死ねよ〟
〝聞こえてやしねぇよ。この馬鹿が、死ね! ハハハッ〟
(――してきたか。こんな罰だらけの人生を送るくらいのことはよ)
ほんの半年前が、随分遠く感じる。
あのときの自分にとって、地位と力は全てであった。
貴族でない者は嘲りの対象だった。
分不相応な願いや行いをする者には、分相応を教え込むのが貴族の施しであり義務であると信じていた。
半年後、そうした姿勢を間違っていると感じる自分になっているだなんて、想像だにしなかった。
〝死ぬべきは俺だった。力に驕り名に自惚れ、感情に溺れた俺だったんですッ……!〟
そして、そんな自分を認めることができたのも――今やそういう考えが多数派となったプレジアであったからこそなのだと、大柄な少年は強く実感させられていた。
(……言えねえ。あいつらの前でなんて、とても言えねぇ……!!)
「学歴コンプレックス」
「………………あ?」
聞き逃した。
まさかの出来事――ケイ・アマセの方から彼に話しかけてくるという珍事に、ビージはケイの言葉を聞き逃した。
「学歴コンプレックスと言った。そうじゃないのか」
「……テメエ、いつから聞いてやがった人の話を」
「あのバカそうな奴らの声がでかかっただけだ。でも考えてみれば当然のことだったよ。ここは貴族御用達の学園だ。過去あれだけ貴族の名に執着してたお前達が、好きこのんで辺境のプレジアに入学するはずはない、ってな」




