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私立 冥帝王学院大学 第一〇八研究棟  汰鞍馬漢研究室の昼と夜

 バンッ!

「できた、できた!でえーきたーぞーおっと!」

 我が尊敬と愛情を捧げまくるすなわち敬愛する偉大なる大科学者、汰鞍馬漢鯖織(たくらまかんさばおり)大先生(29才♂)が歌い踊りながらドアを蹴り飛ばして部屋に入ってきた時、私こと谷川岳肥張(たにがわだけひばり)(18才♀)はカップラーメンの蓋の上に右手を置いたまま、左手のストップウォッチを凝視している最中だった。


 あと1分。今日こそ、今日こそこのミッションをコンプリートしてみせる。

 あと50秒…、あと40秒…、あと…あと…。

「くっ…くくくく、くうーうううっ………っ! あっちゃあーーっ!!」

 バシャーッ!

 私はカップラーメンのカップを放り投げ、研究室の隅にある流し台へと全力の猛ダッシュで突進して行った。


「あっちー!あっちー! はー、死ぬかと思った。フーッ、フーッ」

 ジャーっと、流しの水道の蛇口から左腕の左手に大量の水をかけながら、更に気化冷却の最大効率を求めて最大肺活量によるフーフーを試みる私に向かって、有難くも勿体なくも汰鞍馬漢大先生がお声をかけて下さった。

「我慢大会の練習は済んだかね、肥張くん。それと、手が逆だぞ」

 はっ!

 なんということだ。この私としたことが、大先生の御前でこんな大失態をしでかすだなんて。

「先生、申し訳ありません! かくなる上はこの両腕を叩っ斬って!」

 と、右腕と左腕のどちらを先に切り落とすのが効率的だろうかとカッターナイフを右左持ち替えながら思案する私に、有難くも勿体なくも汰鞍馬漢大先生が再びお言葉を下さった。


「まあまあ、そんなことはいいから。それよりもこれを見てくれ、肥張くん。いやさ、谷川岳肥張くん!」

「ははっ!」

 なんという慈愛に満ちたお言葉。私の失態を、この万死に値する大失態を、大先生は御心優しくもただの一言で御赦しになったうえ、そのうえ、私の名前をフルネームでお呼びになられたのだ。

 ああ、これぞ至幸至福。もう死んでもいい。

 いや駄目だ。この身は既に先生のもの、無駄死になど許されるはずがない。

 全ては先生のお心のまま。先生がお命じになれば、この身もこの命も全て捧げましょう。お望みとあらば、処女膜の三枚や五枚は喜んで差し上げましょう。


「こらこら肥張くん、スカートの中に手を突っ込んで何をしようというのかね。私を条例違反の犯罪者に仕立て上げようというつもりでないのなら、早くパンツを上げなさい」

 むっ。大先生ともあろう御方が、聞き捨てならないことを。

「先生お忘れですか? 私は先月の誕生日で18才になりましたが」

「あれ、そうだっけ?」

「ゼミのみんなとお誕生会を開いて下さったじゃありませんか。あの席で、私が先生に処女を捧げますと言ったら、祝う側がプレゼントを貰うのは筋が通らないとお断りになられて」

「うーむ、そう言えばそんなこともあったような」

「そうです。ですから、今なら先生が私のパンツを脱がせようと、全裸で校内を連れ回そうと、犯罪になる心配は御無用なのです」

「それは別の犯罪だ。話が進まないから、さっさとパンツを上げなさい。風邪を引くぞ」

「はっ、申し訳ありません先生」

 私は慌ててパンツを引き上げた。


「それにしても、君はいつも肝心なところで左右を間違えるね。

 先日も、右の薬品に左の薬品を投入しなさいと指示したのに、左の薬品に右の薬品を投入しようとしたりして。

 危うく、この研究棟が木端微塵になるところだったよ」

「申し訳ありません。実は、私は普段右利きなのですが、頭に血が昇ると左利きになってしまうという癖があるのです」

「それはまた珍しいというか、難儀な性格だね」

「はい。ですから自慰をする時も、プロローグは右手で始まり、クライマックスは左手で迎えてエピローグは再び右手に戻るという、いつ左右が入れ替わったのか自分でもよく分からないという状況でして」

「それはまた文学的というか、どうでもいい性癖だね」

「有難うございます」

「いや、褒めてないから。そんなことより! これを見給え!」

 そう言うと大先生は、小さな小瓶を高々と掲げた。


「なんですか、それ。何やら怪しげな虹色の光に光ってますけど」

「聞いて驚け! これはっ、 至高至極超強力ハゲ薬だ!」

 ハゲ薬だって?

「え? それはつまり一発でツルっ禿が治ってしまう的な?」

「違う! これはっ! 一発でツルっ禿になってしまう的な薬だ!」

「ツルっ禿になる薬ですって? また何の為にそんなものを…。はっ、まさか!」

「そうだ。この薬を使って、私はあの美孔鳥谷(びくとりや)滝乃(たきの)嬢のハートを射止めるのだ!」

「先生、まだ諦めてなかったんですか!」

「当然だ。私はあの人を自分の奥さんに迎えるために、寝食を忘れて研究に没頭してきたのだ」


 美孔鳥谷滝乃(28才♀)は、汰鞍馬漢先生や私と同じ冥帝王学院大学の隣の研究棟の同じ階に研究室を構える、言わば先生のライバルとも言える人物だ。

 そして先生を魂の奥底から崇拝して止まぬこの私にとっても、不倶戴天の宿敵なのだ。

 実は汰鞍馬漢大先生とこのクソ女は、大学の同期というド腐れ縁。

 先生はその当時からこのクソ女にぞっこんで、何度もアタックしてはフラれるということを繰り返してきたらしい。


 はっきり言うのも悔しいが、このクソ女はクソ女のくせに天才だ。

 この私、飛び級で12才で大学に入り、16才で卒業するまでずっと主席を通し続けIQ380の桃色の脳細胞を持つ少女とまで言われたこの私でさえ、その点だけは認めざるを得ない。

 実際、このクソ女はこれまでに数多くの実績を残しており、今や大学の顔となっているほどの実力者なのだ。ああ悔しい。


「あの人の性癖は分かっている。なにしろ『全日本坊主を愛でる女の会』の会長であり、あの人自身も、完璧と言っていいほどの究極に美しいスキンヘッドなのだからな。

 この薬で私も、美孔鳥谷先生の隣に並ぶことのできる究極の美禿を手に入れるのだ!」

 しまった。

 私は大先生の有難いお言葉に耳を傾けながら、左ポケットの中の小瓶をぎゅっと握りしめた。

 実は私も、一発でツルっ禿が治ってしまう的なハゲ薬を、昨日完成させたばかりだったのだ。

 これをクソ女に飲ませて、あのきれいなツルっ禿をみっともないボサボサ頭にしてやろうと思っていたのに。まさか、先生が逆のことを考えていらっしゃったなんて。

 しかもしかも、先生があのクソ女とお揃いのツルっ禿になるだって?

 そんなの、この私が許さない!


「いざ行かん、輝かしい未来へ!」

 勝ち誇ったように小瓶を口に運ぼうとする先生の右腕に、私は飛びついた。

「先生! 待って下さい!」

「何をする肥張くん。邪魔をする気か!」

「違います! 先生は誤解なさっています!」

「なに、誤解だって?」

「あの女が好きなのはあくまで坊主頭であって、禿ではありません!」

「なんだとっ!!!」


 そう。

 あの女自身は生まれつきのスキンヘッド、つまりつるっ禿であるが、そのくせロンゲは大嫌いな短髪フェチで、坊主頭をクリクリしながらでないとイクことができないという極めて稀な性癖の持ち主だ。

 そしてそのIQ413の頭脳の全てを捧げて、至高の三分刈りを求め日夜研究に勤しんでいるという、究極のド変態なのだ。


「なんてことだ。

 このハゲ薬は、ただのハゲ薬ではない。毛根を完全に消滅させる為に皮下6mmのみに作用する放射性物質や、輝くほどの肌艶を作り出す為の各種ビタミンやコラーゲン、更に遺伝子改造ウィルスまで仕込んだ、私の理想の美禿を作り出すことのできるハゲ促進剤だというのに。

 この薬では、美孔鳥谷先生のあの神の美禿を私のものにすることはできないというのかあっ!」


 そう。

 汰鞍馬漢鯖織先生があのクソ女にぞっこんな、ただ一つの理由。それは、先生が女性の禿頭をペロペロしながらでないとイクことができないという、究極の禿フェチだからなのだ。


「ああ、それでは私のこれまでの研究は全て無駄だったというのか。

 もう駄目だ。私にはこれを越える薬を作ることなど出来ない。」

 絶望に打ちひしがれ、床に膝をついて涙を流す先生。その哀愁に満ちたお姿を見ているだけで、私まで胸が張り裂けそうだ。


「もういい、こんな物は捨ててしまおう」

 先生はそうおっしゃって、流し台の前に立った。

「そうですね、では私もお供いたします」

 先生のこんなお可哀想なお姿を見てしまった以上、もうあのクソ女を懲らしめようなんて気持ちは完全に失せてしまった。

 なにしろ私の作ったこのハゲ薬は、ただの増毛剤などではない。

 生えたら最後死ぬまで抜けない剛毛でしかも先生の大嫌いな金髪を生やすという、究極の嫌がらせ薬だったのだ。

 たとえ先生のものにならないとしても、あの美禿を破壊して、悲しみの海に溺れる先生を更なる絶望へと突き落すことなど、私にはとてもできない。


 私も先生の隣に立って、左ポケットから小瓶を取り出した。

「肥張くん、何だねそれは?」

「何でもありません。ただの失敗作です」

「そうか、では一緒に」

「はい」

 二人揃って、小瓶のキャップをキュッっと捻る。何だか初めての共同作業みたいで、ちょっと嬉しい。

 と、思わずニヤけてしまいそうになったその時、私の桃色の脳細胞に天啓が下った。


「先生、ちょっと待って下さい」

「ん、何だね?」

 そもそも先生の真の望みは、御自分が美禿になることではない。そして私の真の望みも、クソ女を懲らしめることなどではない。

 先生は美禿女性を求めているのであり、私はその先生を求めているのだ。ならば!

 そうだ、この私が究極の美禿になってしまえばいいのだ!


「先生、失礼します!」

 私は右手を伸ばして、先生から小瓶を奪い取った。

「なっ、何をする肥張くん!」

 慌てて取り戻そうとする先生に背を向け、そしてハゲ薬をグイッと一気に飲み干した。

 左手で。


「あっ!」

 しまったまたやらかした!

 と思った次の瞬間、目の前にバサッと髪が降りてきた。

「うわっ」

「肥張くん、どうしたんだ! いきなり髪が伸びたぞ!」

 やばいやばいやばい、いやいやいや落ち着け落ち着け落ち着け。

 大丈夫だ。私の右手にはまだ先生がお作りになられたハゲ薬がある。これを飲みさえすれば!

 グイッ!


「ふう」

 口を拭いながら息を吐く私の足元に、バサバサと音を立てて大量の髪がなだれ落ちた。

 いよっし! 今度こそ成功だ!

「先生やりました! 先生の理想は、ここに実現しました!」

 振り返った私の顔を、だが先生は恐怖に満ちた目で見つめ返した。

「先生?」


「ギャーッ!」

 悲鳴をあげて、窓際まで逃げ退る先生。

「どうしたんですか先生。ほら、先生の大好きなつるつる頭ですよ」

「来るなっ!あっちへ行け! 嫌だよお、嫌だよお。怖いよおー」

「先生…」


 どうして…。

 私は床にうずくまって子供のように泣きじゃくる先生を、なす術もなく呆然と見下ろしていた。

 だが、ふと窓に目を向けた次の瞬間、私はガラスに映る自分の姿に愕然とした。


 そう。

 窓の向こうに立っていたのは、汰鞍馬漢先生が追い求めていた究極の美禿などではなく、先生がこの世で最も恐れおののき忌み嫌う、金髪のモヒカン頭だったのだ。


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