番外編2-2
値打ち物の家財が置いてありそうな部屋に目をつけると、ジョンとアランは早速仕事を開始した。
辺りを見回して人が居ないことを確認すると、ドアに耳を押し当ててジョンが室内の気配を探る。念のため控えめな音でドアをノックしてみれば、返事は返ってこなかった。
「……よし、誰もいないみたいだ」
ジョンは素早くドアを開けて室内にアランを押し込むと、自分はドアの前に立った。
「さっさとしろよ。何だって良い、一つでも何か盗めば親方の機嫌を損ねなくて済むからな」
ジョンの言葉に小さく頷いて、アランは早速室内を物色し始めた。
部屋のあちこちに花が生けられ、室内は芳しい匂いで満ちていた。窓際の机上に置かれた日記帳の表紙もまた可憐な花柄で、部屋の主が女性なのだと推測できた。
アランは真っ先にクローゼットを開け広げた。案の定、中にしまわれていたのは女性物のドレスばかりだ。
アランは思わず口角を上げた。女性であるなら、身につける宝石の一つや二つ容易に見つけ出せるだろう。価値の高い宝石を持って帰れば、今夜は大人たちからの暴力を免れるかもしれない。
予想した通り、間もなくアランは大量のドレスの奥深くいかにも大事そうにしまわれていた小箱を発掘した。掌に乗るほど小さな宝石箱だったが、造りや装飾は見るからに手が込んだ高価なものだ。
念のため中身を確かめようとして、アランは小箱に小さな鍵がかけられていることに気が付いた。
(鍵は――机の引き出しが怪しいな)
そう思ったアランが、窓際に置かれた机の引き出しを開けたときだった。
背後で何かが床に落下する乾いた音がして、アランはドアの方を振り返った。
そこに立っていたのは見張り役をしているはずのジョンではなく、自分よりいくらか年上の少女だった。
少女は予期せぬ先客に瞠目して立ち尽くした。
地味ながら上等そうな艶を帯びた深緑色のドレスの足元には、今しがた摘んできたばかりの黄色の花たちが無残に散らばっている。
アランは息を飲み、用心深く少女を見つめ返した。よほど驚いたのか、少女は硬直したまま微動だにしなかった。
自分に向けられたその大きな瞳をどこかで見たような気がしたが、手繰ろうとした記憶の糸は、あっけなく断ち切られた。
廊下の方から別の女の声が響いてきたのだ。
「お嬢様ー? レナお嬢様ー?」
その声に、言葉無く対峙していた二人は同時にハッと我に返った。
アランは瞬時に息を潜め、小さな体を硬く強張らせた。
アランは心の中で絶望した。
もう終わりだ。何もかも。全ておしまいだ。
この少女が声を上げた瞬間、あっという間に家人たちに捕まり、親方に突き出され、アジトに連れ戻されたら滅茶苦茶に殴られて、今度こそ殺されるに違いない。
しかし少女は声を上げて助けを求めることも、我に返って部屋から逃げ出すこともしなかった。
やがて廊下の足音が遠ざかり、完全に消えたのを確認すると、アランはすがるようにレナの両肩を掴んだ。
「頼む! 俺のことは後でいくらでも警邏隊に突き出してくれていい! だからどうか、親方のところにだけは返さないでくれ! お願いだ……!」
突然不審な子供に触れられて、レナはびくりと肩を震わせた。
反射的に喉までこみ上げた悲鳴は、自分を見上げるやつれた子供の黒い瞳を見つめた瞬間消滅する。
子供の瞳にあるのは、ひたむきなほどの必死さだった。ついさっき室内を無我夢中で物色していた後姿のように、そこには悪意も害意も無い。ただ、そうするしかないという、何かに追い立てられているかのような張り詰めた緊張感を持った切実さだけが、レナがアランに見た全てだった。
明らかに泥棒と思しき子供に害意も悪意も無いとは我ながらどうかしていると思ったが、レナにはどうしてもこの子供が救いを求める憐れな存在にしか見えなかった。
床に落ちた黄色い花たちが視界に映り、ふとレナは思い出す。
そういえば、今日は庭仕事を業者に依頼したとオリビアが話していた。
「あなた、外に居る造園業者の――?」
アランはこくりと頷いた。その時、ちらりとのぞいた首の後ろに青紫色の内出血の痕を見つけ、レナは改めて目の前の子供を観察した。
やせ細った貧相な体は、まだ十歳そこそこだろう。肌は汚れ、髪もぼさぼさ。着ている衣服は大変みすぼらしく、正直まっとうに暮らしている物の身なりとは言いがたかった。
しかし自分を見つめるその瞳は痛いほどまっすぐで、レナにはやはりこの子供が嘘を吐いているようにも自分を騙そうとしているようにも思えなかった。
「その傷――」
レナの言葉に、アランははっとして腹部を抱え込んだ。その行為に、レナは訝しげに小首を傾げる。
「……お腹にも、傷があるの?」
「え……?」
「わたしは、首の後ろにある傷のことを言ったんだけど……」
「……!!」
この子供は、『親方の所には返さないで欲しい』と言っていた。
彼が言う『親方』とは、手伝いに来ている業者の庭師のことだろうか。だとしたら、彼らの正体は庭師などではなく、窃盗団ということになる。
レナはそこで初めて恐怖を覚えた。
急いでオリビアにこのことを伝えなければならない。
そう思い、慌てて部屋を出ようとしたが、アランの手ががっちりと肩を掴んでいて身を翻すことが出来なかった。
「頼むよ! お願いだ!! 親方のところに返さないでくれれば、あんたの言うことを何だって聞く。親方の元へ帰るくらいなら、警邏隊に捕まって牢屋にぶち込まれた方がましだ。親方はへまをした俺をもう許しちゃくれないだろう。今度こそ本当に殺される……。親方たちが帰るまで、このまま匿っていてくれるだけでいい。そうしたら、警邏隊だって何だって呼んでくれて構わないから!」
なりふり構ってなど居られない。
アランにはもうこうするより他に思いつかなかった。
たとえ今この少女の前から逃げたとしても、盗みに入った家人に見つかったと知れれば、間違いなく親方に殺される。
運良く今日この場を凌いだとしても、明日、またその先には、どうなるかわからないのだ。こんな生活を続けている以上、自分の悲惨な行く末を回避することはできないだろう。
今にも泣き出しそうなほど顔を歪ませて懇願するアランの迫力に、レナはたじろいだ。目の前で、こんなにも怯えきった人を見るのは初めてだった。
この子供を追い立てるものが『親方』という人への恐怖だというのなら、なんとしても助けてやりたい。しかし自分に一体何ができるというのだろう?
縋り付いて助けを求める少年にかけるべき言葉も見つからず、レナはただアランを見つめることしか出来なかった。
その時、突如部屋の扉が開かれた。
「――お嬢様、どうかなさいましたか? 何か声が――……」
あれほど気を配っていた足音にも気がつかなかった。
身を隠すことも出来ず、アランはレナの肩を乱暴に掴んだままの格好で立ち尽くした。
張り詰めた空気の中で、レナとアランの見開かれた目が入室してきたオリビアに注がれる。
そしてオリビアもまた、部屋の中でレナに掴みかかっているみすぼらしい姿の子供を注視した。
「――!!」
オリビアは大きく息を吸い込み、今にも悲鳴を吐き出そうとした。それを、慌てて駆け寄ったレナがオリビアの口を押さえて防ぐ。
「――! ――!!」
声にならない悲鳴を上げながらも、オリビアの目は不審な子供に注がれたままだ。
レナはしばらく両手でオリビアの口を塞いでいたが、オリビアの抵抗によってついにその手は口元から引き剥がされてしまった。
「お嬢様! 一体何をなさるのですか!!」
怒り心頭に達した様子のオリビアは、ものすごい剣幕でレナを責めた。
しかしレナはわずかも臆することなく、毅然とした態度で背中にアランを庇うようにして立つと、逆にオリビアを叱責した。
「オリビアこそ、大きな声を出さないでちょうだい! 外の窃盗団に聞こえたらどうするの!!」
「な、なんですって? 窃盗団!?」
「そうよ。この子が教えてくれたの。バーグが呼んだ造園業者は本当は窃盗団なのですって」
「そんなまさか――! だってバーグはちゃんと仲介業者を通して依頼したと――」
青い顔でレナの言葉を否定するオリビアに、アランは小さな声で言った。
「その仲介業者もグルなんだ。儲けの何割かをもらう約束になっているんだよ」
不安と焦燥で苛立っているオリビアはレナの背後に隠れている子供をキッと睨んだ。すかさずレナがその鋭い視線からアランを庇う。
「この子は彼らから逃げ出してきたのよ。盗むためではなく、わたしに助けを求めに来たの。無理やり働かされて、暴力だって振るわれてる」
レナの言葉に、アランの胸に鈍い痛みが走る。
自分は本当は盗みに入ったのだ。その姿をこの少女だって見ていたはずなのに――。
罪悪感とともに湧き上がったのは、じんわりと染み入るような温かな感情だった。
レナの逞しい背中を見上げながら、アランは息苦しいほどの切なさを胸に覚えた。
今まで誰かから守られたことなど無かったアランは、初めて抱く感情に体が震えた。
火照ったアランの首元に生々しい傷跡を見つけ、オリビアはレナに反論する言葉を飲み込んだ。
よくよく観察してみれば、骨ばった体躯には明らかに栄養が足りていない。さらに衣服の裾からは青紫の痣が複数覗いていた。その衣服も外に居る大人たちよりはるかにぼろいものだ。
素直に信用できるとは言いがたかったが、この子供が窃盗団の稼ぎの恩恵を受けているようには到底見えないのも確かだった。
「と、とにかく、その子供のことは後回しです。今は急いで他の者にこのことを伝えてこなければ。その前に警邏隊も呼ばないと。ああ、どちらを先にしたらいいのかしら……!」
うろたえた様子でオリビアはそそくさと部屋を出て行ってしまった。
警邏隊が到着したら自分も一緒に連れて行かれるのだろうか。
アランが不安げにレナを見上げると、『大丈夫よ』というように笑顔を向けてくれた。
その笑顔にアランはなぜか絶大な安心感を覚えた。
身の安全が保障されたわけでもないのになぜそんな風に思うのか、アランにもよくわからなかった。
ただ、小さな胸の中であの不思議な温かい感情がいつまでも熱を帯びていた。




