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2-1

 春が終わりを迎える頃、ウォルバート家とシルヴェストル家の二度目の会食の場が設けられた。


 一度目の会食はシルヴェストル家で行われたために、今回はエリックたちがウォルバート家に招待された。


 会食の当日、アランは朝から大忙しだった。屋敷中に飾る花を用意しなければならず、朝から他の庭師たちと庭園や屋敷を駆け回っていた。


 日が高くなり、そろそろシルヴェストル家の人間が到着しようかという頃、アランは庭園の隅にある小さな薔薇の花壇の前にぽつんと座るレナの背中を見つけた。


「――お嬢さん? どうされたのですか? そろそろ子爵様たちがお見えになる頃ですよ?」


 見れば、レナはまだ普段着のままだった。薔薇の手入れをしていたのか、白い前掛けをかけ、手には小さな剪定鋏みまで握っている。


「手入れでしたら、あとは俺がやっておきます。そろそろ支度なさらないと、オリビアさんが血相変えて探しに来ますよ」


 アランが言うと、レナは僅かに口角を上げてぎこちなく笑みの形を作って見せた。

その笑顔から隠しきれていない苦渋が滲んでいて、アランは心配そうな声を出す。


「あの……やはり今日の会食は、気が進みませんか?」


 躊躇いがちに尋ねると、レナは少しだけ戸惑った後に小さく頷いて見せた。


「……そう、ですよね……」


 レナは頷いてしまってから後悔した。こんな気持ちを吐露されたら、優しいアランをいたずらに困らせるだけなのに。

そう思い至り、すぐに顔を上げるとわざと明るい笑顔を向けた。


『大丈夫。ただ、ほんの少し心細いというだけ』


 レナの手話を見ながら、アランは密かに拳を握り締めた。レナの眉間に刻まれた小さな皺が、『ほんの少し心細い』だけではないことを言葉よりも如実に表していた。


(俺が一緒にいられたらよかったのに……。傍についていてさしあげることもできないなんて……)


 こういうとき、いつも自分のふがいなさを痛感する。レナが辛いときはいつでも傍にいてやりたいのに――彼女が不安なときは傍で支えていてやりたいと思うのに、立場の違う自分にはそれができないのだ。


(ただ、傍にいたいというだけなのに――。俺には、それすらも許されない)


 アランはふと、目の前に咲いている赤と白の薔薇の花たちを見た。この花壇は、亡くなったレナの母親が元気だった頃にレナと二人で作ったものだ。レナにとっては大切な思い出の場所だった。きっとここで心を落ち着かせようとしていたのだろう。


 レナは庭師に手入れの仕方を教わり、母の大事にしていたここの薔薇だけはなるべく自分で手入れするようにしてきた。たっぷり愛情を注がれ、毎年この時期になると花壇の薔薇たちは庭園のどの花よりも見事な花をつけた。


 アランはいいことを思いついたとばかりに、明るい笑顔をレナに向けた。


「お嬢さん、大丈夫ですよ。俺が絶対にお嬢さんに寂しい思いなんてさせませんから」


 アランの意図がわからずに、レナはきょとんとする。その仕草を密かに愛おしく思いながら、アランは「そうだ」と声を上げた。


「俺、ちょっと忘れ物をしたので取って来ます。お嬢さんは、部屋に戻って支度なさっていてください」


 そう言い置くと、アランは使用人宿舎のある方へと、素晴らしい速さで消えていった。


 後に残されたレナは不思議そうな顔のままアランの背中を見送っていたが、間もなくアランと交代にやって来たオリビアによって、強制的に自室へ連れ戻されていった。


 レナが身支度を整え、エリックたちが待つ部屋へ向かう途中で、アランが追いついてきた。


「お嬢さん! よかった! 間に合った!!」


 駆け寄ってきたアランは、肩で息をしながら嬉しそうに笑った。それを見て、オリビアが眉をひそめる。


「アラン、お客様がいらっしゃるというのに、大きな声を出さないでちょうだい。それに廊下を走るなと何度言ったらわかるのです? 『もう子供ではない』のでしょう?」


 いつも自分を子ども扱いするオリビアに言い返している言葉を使われ、アランはばつが悪そうに口を尖らせた。


「オリビアさんは意地悪だな。でも、すみませんでした。お嬢さんの前ではしたない真似をしてしまって……」


 素直に謝るアランに『いいのよ』と首を振りながら、レナは優しく微笑んだ。


「それで? お嬢様に何か御用ですか? もう時間が無いのですが」


 オリビアが尋ねると、アランは慌てて手に持っていた分厚い本を開いた。


「あなたが本を持ち歩くなんて珍しいことも――」


 言葉の途中で、オリビアは「まあ」と小さく感嘆の声を漏らす。

 アランが開いた本の間に挟まれていたのは、小さな杏の押し花だった。


「これ、前にお嬢さんと一緒に見つけた杏の花です。お嬢さんがきれいだっておっしゃっていたから、俺、内緒で押し花にしていたんです。出来たら差し上げようと思って」


 照れくさそうに頬を掻きながら、アランは骨ばった指でそっと杏の花をつまむと、レナの手を取ってその上に乗せた。


「お嬢さん、心細いっておっしゃっていたから――俺の代わりってわけじゃないですけど、こいつも一緒に連れて行ってやってください」


 レナは掌の上に乗せられた小さな薄紅色の花を見つめた。その可憐な姿と控えめな色彩は、先日庭で見つけたときの姿そのままだった。目を閉じてそっと鼻を近づけると、あの日の甘い春風の匂いまで感じられる気がした。


 レナはその小さな花を大事そうにハンカチに包むと愛おしげに胸に抱いたり

杏の花の愛らしさだけでなく、それと共に示されたアランの優しさが、落ち着きなく波立っていた心を慰めてくれる。


 レナの強張っていた表情がほぐれたのを見て、アランも嬉しそうに微笑んだ。


 アランと別れ、会食の席が用意された部屋に入ったレナは、思わず「あ」と言う形に口を開いた。


 部屋の中には、レナの母が大事にしていたあの赤と白の薔薇たちが飾られていたのだ。しかも、ちょうどレナの席から見える位置に置かれていた。それはまるでレナが寂しくないようにと、母が見守ってくれているかのようだった。


(アラン……)


 レナにはすぐにそれがアランによるものだとわかった。事実、それはついさっき慌ててアランが取り替えるよう手配したものだった。


 憂鬱に沈んでいたレナの心に、ほんのりと温かな光が灯る。誰かの優しさはこんなにも人の心を救うものなのだと、アランにはいつもそう思わされる。


 会食は滞りなく進み、食後の紅茶が配られる頃になって、レナとエリックは双方の親たちから二人で庭園の散策に行くよう促された。


 レナは正直気が進まなかったが、無表情のまま誘いに来たエリックを皆の前で無碍にすることも出来ず、仕方なく彼とともに部屋を後にした。



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