番外編1-3
レナが馬車を降りて大通りへ向かった頃、アランもまた人を探して大通りを歩いていた。
もうすぐパレードが始まることもあり、街はパレードを一目見ようという人でごった返していた。
この中から、たった一人の娘を見つけ出すことなど到底無理な話だと思いつつも、アランは足を止めようとはしなかった。
アランが探しているのは、マイクが思いを寄せている娘だった。名前をソフィアといい、マイクの話だと、今日は自分が贈ったピンク色のドレスを着て祭り見物に来ているはずだという。
「初めて親方からもらった金で買ったドレスで……、安物だけど、彼女はすごく喜んでくれたんだ。花祭りの日にはきっとこれを着て行くって……そう言って笑ってくれた」
マイクは頬を染めながら嬉しそうにそう話した。
「元気になったら……もう一度会いたいな……」
そう言ってふっと笑ったマイクの寂しげな表情からは、その願いがおそらく叶わないであろうという諦めが滲んでいた。
アランの目から見ても、マイクの衰弱は明らかだった。本当は自分でソフィアを探しに行きたいのだろうが、そんな体力も気力も既にマイクの体には残っていないようだった。
通りに溢れる着飾った人々の中で、ぼろを着てきょろきょろと周囲を気にしながら歩くアランは明らかに異質だった。
すれ違う人の多くが、アランを視界に入れると不快そうに、あるいは不安そうに眉をひそめる。
「まだほんの子供だろう……可哀想にな」
「しっ。物乞いをされたらどうするの。近付かない方がいいわ」
「嫌ね……こっちへ来るわよ」
存在しているというただそれだけで、嫌悪感を抱かれる。そんなことにはすっかり慣れっこだ。だからいちいち彼らの態度に反応したり、腹を立てたりはしない。むしろ、それが普通の反応だとさえアランは考えていた。
(それにしても……)
アランはうんざりした様子で通りに溢れる人の波に目を走らせた。
予想はしていたが、ピンク色のドレスを着た娘など腐るほどいる。
ソフィアの年は十六歳と聞いていたが、正直なところアランにはどの娘がどのくらいの年齢かなど判別できなかった。大人か子供か、あるいはその中間か。その程度でしか見分けがつかない。
その上ドレスも、ピンク色と一口に言っても、色の濃いものや薄いもの、白地だがピンク色の飾りがあちこちについていて『ピンク色のドレス』と呼べなくもないものなど様々で、アランはすっかり気が滅入りそうになっていた。
しかし、端から娘たちに声をかけて回ったりすれば、すぐに警邏隊を呼ばれてしまうだろう。かといって仲間たちにも協力を頼むことはできない。クリスに知れれば、アランだってただでは済まないはずだ。
「ええっと……。名前はソフィア、背が高くて細身、ピンクのドレスを着ていて、金髪で瞳の色は薄い紫色、頬に大きなほくろがあって……」
アランは独り言のようにマイクから聞いたソフィアの特徴を繰り返した。
『とにかく、とても綺麗なんだ。あんな綺麗な人は、二人といないよ』
マイクの挙げるソフィアの特徴ときたらそればかりで、アランはやっとのことでその他の情報を聞き出したのだった。
「綺麗、か……」
ぽつりと呟きながら、アランはソフィアのことを語るマイクの幸せそうな顔を思い浮かべた。
あんなふうに一人の存在を妄信できるマイクに感心する一方で、そんな彼が少し恐ろしくも思えた。
正常な判断が出来なくなるほど一つの存在に執着するなんて、一体どんな気分なんだろう。単純にそう思った。
物心ついたころから貧困街で育ったアランにとっては、何にも執着を持たず、ただ刹那的に生きていくことがこの生を賢く生きるための処世術だった。
自分たちなど、いつどんな理由で死ぬかわからない。その生も死も誰にも何にも影響を及ぼすこともない、陽炎のような存在だ。願望や執着など、抱くだけ無駄なものだ。そんなものは、金や余裕のある人間にしか許されていないのだ。
アランは年上の仲間たちからそう教わってきたし、アラン自身もその通りだと思ってこの十年の人生を生きてきた。
やはり、マイクとは生まれた環境が違うからだろうか……。そんなことをぼんやりと考えながら歩いていたため、アランはいつの間にかパレードが始まっていて、山車が近付いてきていることにも気がつかなかった。
わあっ、という一際大きな歓声が周囲から起こり、アランは急に思考の海から呼び戻された。
既にパレードを間近で見んとする人の数は今までと比べ物にならないほどに大きく膨れ上がり、押し合うようにして通りに立つ興奮した人々の歓声で耳が痛いほどだった。
軽快な鼓笛隊の奏でる音楽の中を、パレードの先達らしき道化師たちが投げる花吹雪や紙吹雪が風に乗って中空を舞う。
鼻先に落ちてきたそれをうざったそうに払いのけながら、視界の端でピンク色のドレスを捕らえたアランは、ついそちらに目をやった。朝からピンク色にばかり反応していたので、すっかり癖のようになってしまっていた。
人の波を押し分けるようにして、勇ましく通りの最前列へと向かう後ろ姿を慌てて追う。ちらりと見えたドレスの主の後ろ頭は、今まさに空にある太陽のような金色の髪をしていて、アランは思わずハッとなった。
ピンクのドレスに金髪の女性など、今日のうちに何人見たか知れない。だが、今見えた人は背格好も聞いていたソフィアの容姿と近いのではないか。
それらしい人物を見つけた以上見過ごすことも出来ず、アランは必死でピンク色を追った。
通りに立つ人々は皆前方に夢中で、アランに気を留める者などいなかった。もみくちゃになりながらアランは文字通り大人たちを押しのけて前へと進んでいった。
そのとき、急に大きな歓声が上がり、人の波が大きく動いた。アランの小さな体はいとも簡単に押し流され、つんのめるようにして開けた場所に転がり出た。
すぐ近くまで迫った、聳え立つように高い山車を見上げて、アランは自分が放り出された場所が、パレードが通るために開けられた道だと気がついた。どうやら進入防止のために張られた規制線のロープも潜り抜けてしまったらしい。
好きでそんな場所に飛び出したわけでもないのに、アランに気がついた人々は冷ややかな視線を向ける。躾のなっていない子供が、パレードに夢中になりすぎてロープを越えたとでも思っているのだろう。
転がったときにむき出しの肘を嫌というほど地面に打ち付けたらしく、じんじんと痺れるように痛んだ。その肘を苦々しい気持ちでさすりながら、アランがロープの向こう側に戻ろうとしたときだった。
少し離れた場所で、自分と同じようにロープを抜けて放り出されていた少女がいることに気がついた。
春の日の光を浴びて畑いっぱいに咲き広がった菜の花のような黄色のドレスに、背中の辺りまで伸びた艶やかな栗色の髪。その髪に結んだドレスとおそろいの菜の花色の大きなリボンを風になびかせてゆっくりと振り返った少女は、アランよりもいくらか年上に見える娘だった。
陶器のように滑らかな白い肌は艶やかな薄紅に染まり、潤んだように輝く鳶色の大きな瞳は人形のように愛らしい。
少女は花飾りで彩られた極彩色の街の中でも埋もれることなく、他のどの存在とも違うと言わしめんばかりの眩い輝きを放っていた。
少なくとも、アランの瞳にはそう映った。
少女はアランの視線に気付くことなく、規制線の内側に戻ろうと奮闘していた。
しかしちょうどその時、大きな山車が少女の背後を進んでいる真っ最中だった。人々は山車を見上げ、その横を並んで行進する道化師が持つ、建物の屋根に届くほどの長さの金と銀の煌びやかな尺杖に拍手を送り、誰も彼もパレードに夢中で少女の存在に気付かないようだった。
ロープの前で立ち往生していた少女の頭上で、黒い影がぐらりと動いた。
次の瞬間、行進していた道化師の持つ尺杖の天辺に付いていた円盤状の銀の飾りが外れ、黄色いドレスの少女めがけて降ってきた。
銀の飾りが重いのか、ひゅん、という空を切る低い音がして、気が付いた観衆の何人かが思わず「あっ」と声を上げる。
アランは無意識に少女のもとへ駆け寄ると、素晴らしい速さでその手をとって自分のもとへ引き寄せた。
間一髪、銀の飾りは少女のなびく髪の先を掠め、派手な音をたてて地面に落下した。
何が起こったのかわからない少女は、呆然としながらアランの腕の中でぐわんぐわんという音をたてて地面の上を回転している銀の飾りを振り返った。
大きなお盆ほどもある銀の飾りは、少女の上に落ちてきていたならば違いなく無事では済まなかっただろう。
飾りを落とした道化師役の男が、青い顔で走り寄ってきた。少女に怪我が無いことを確かめると、恐縮しきった様子で何度も謝罪した。
「君も、彼女を助けてくれてありがとう」
そう言って道化師はアランにも頭を下げた。
アランが気にするなという意味で小さく首を振ったときだった。
「お嬢様――! レナお嬢様――!!」
人垣の向こうから聞き覚えのある声がして、アランの腕の中に居た少女の肩がピクリと反応する。
アランははっと我に返ると、突き飛ばすように少女をその身から離し、自分はあっという間に人の波の中に姿を消した。
去ってく小さな背中を目にして初めて、レナは自分よりも体の小さな子供によって助けられたことを悟った。
「お嬢様――!!」
息せき切って駆け寄ってくるオリビアを見つけて、レナは無邪気に喜んだ。
「オリビア! 会えて良かったわ。あなたのこと、ずいぶん探したのよ」
しかしオリビアは再会を喜ぶどころではなかった。たった今レナの近くにいた黒っぽい子供が、大切なレナに何か害を成したのではないかと、気が気ではなかったのだ。
「お嬢様、お怪我はありませんか?!」
辺りをきょろきょろと探りながら、オリビアは無事を確かめるようにレナの両腕を取った。
オリビアの様子に気が付かないレナは、暢気に微笑んだ。
「ええ、大丈夫よ。知らない子供がわたしを庇ってくれたから――」
レナは周囲に目を走らせたが、既にそれらしい子供は見当たらなかった。
「『庇って』って――まさか、さっきの乞食の子供のことではありませんよね!?」
眼鏡の奥に不穏な光を灯しながら、オリビアが睨むようにレナを見た。
レナはオリビアのその表情の意味がわからず、小首を傾げながら答える。
「そうだけど……」
オリビアは一度がっくりと肩を落とした後で、すぐに勢い良く顔を上げると、レナに向かって吠えるようにまくし立てた。
「お嬢様! 子供ではないのですから、あのような輩に近付いてはいけないということぐらいお分かりになるでしょう? たとえ子供といえども、ああいう部類の人間は人を騙して利用することに長けているのですよ。特にお嬢様のような疑うことを知らない者などは、彼らにとって格好の『カモ』なのです。助けたと見せかけて、見返りに何を要求してくるかわかったものではありません!」
お説教するオリビアがものすごい剣幕なので、レナは反論することを諦めてアランが消えて行ったであろう方向をぼんやりと見やった。
助けられたときに間近で見た子供の服はたしかにぼろで、俯いた視線の先には穴の開いた靴があった。確かに好青年と呼ぶには程遠い身なりかもしれないが、躊躇いなく自分を助けてくれた行為には、わずかな害意も感じられなかった。
「騙すだなんて、そんなふうには見えなかったけど……」
小さな声で呟いて、レナはもう一度通りの彼方まで視線をめぐらせた。
しかし、祭りで賑わう街の景色の中にアランの姿はどこにもなく、レナの胸に一抹の寂しさだけが残った。
* * * * *
アランは遠く離れた場所から、もう一度先ほど助けた少女を振り返った。
少女の姿は群集の彼方にあり、顔までははっきり見えなかった。
ただ、記憶に残る少女は美しい衣装に身を包み、自分とは別世界の祝福を全身に浴びたように輝いて映った。
その身から滲み出る幸福さを思い出し、アランはよくわからない息苦しさを覚えた。
気が付けば、いつの間にかパレードは遠く過ぎ去り、あれほど辺りを埋め尽くしていた大勢の観衆も、少しずつ散り始めていた。




