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番外編1−1

※アランとレナの出会った頃のお話です。時系列的には本編よりも前になりますが、本編を読んでから番外編を読まれることをオススメします。大きなネタバレなどは特にありませんが、本編を読んでいないと意味が解らない箇所があると思います。

 花祭りのメインイベントである山車のパレードは午後一番日の高い頃に行進を開始することになっていた。


人々の賑わいもその時間帯が一番のピークになるため、それまでに全ての準備を完了しなければならない露天商や花売りたちは早朝から上へ下への大忙しだった。


 忙しいながらも誰も彼も楽しげな様子で街を祭りの色に染め上げていく人々の姿に、大通りから少しはずれた薄暗い路地から、呆れたような視線を向ける者たちがいた。


 一様に汚れた服を身に纏い、嘲笑を交えて通りを見やる仕草はずいぶん大人びていたが、幼さが残る顔立ちから彼らがまだ十歳そこそこの子供だということが見て取れた。


 彼らはこの城下の貧困街に暮らす少年たちで、アランもまたその一人だった。


「――まったく、金のあるやつらは暢気でいいよな」


 少年の一人が悪態を吐く。日に焼けているのかあるいは汚れているのか、浅黒い肌をむき出しにして着ているシャツは見るからに長い間洗濯された様子はなく、古くくたびれていた。


「ばーか、俺たちにとっても祭は祭だろう。祭の後の通りには、宝がたくさん転がってる」


 別の少年の言葉に、他の者たちが「確かに」と笑い声を上げる。

 人の多い日中は明るい場所に自分たちのような者が出て行けばたちまち白い目を向けられてしまうが、薄暗い夜ならば酔っ払いなども増えて目立たない。通りには祭ではしゃいだ人々の落とし物などがあることも少なくないし、何より浮かれた酔っ払いは、少年たちにとって格好の“カモ”だった。


 彼らが暮らす貧困街は、“街”とついているものの、実際はその態をなしてはいない。賑やかな通りから引っ込んだ日の当たらない、人通りの極端に少ない場所に、行く当ても金も無い者たちが思い思いに住み着いているというだけだ。

 狭い土地にひしめき合うように掘建て小屋が並び、それすらなく布を張っただけの家と呼べるかどうかもわからない根城に暮らす者も少なくなかった。


 そして中には、この少年たちのように、定まった家を持たず、仲間内で徒党を組んで窃盗などを主な生業にしながらその日暮らしをしている者たちも多くいた。その大半が、親のいない子供だった。


 通りを見ながら談笑する少年たちから少し離れた路地の片隅に、一際痩せ細った見るからに不健康そうな少年が膝を抱えて座っていた。


 少年の存在に気がつくと、アランは談笑をやめ虚ろな眼をして座る少年に視線を向けた。

 彼は少し前まで、自分たちと一緒に群れていたうちの一人だった。貧困街で暮らす子供にしては大人しく生真面目な性格で、そこを買われて徒党のリーダー格の青年の紹介で住み込みの奉公先が見つかったという話だったはずだ。


「あいつ……」


 談笑していた少年が、アランの視線の先を追い、察したようにああ、と口を開く。


「マイクの奴、奉公先の親方の娘に手を出して追い出されたらしいぜ。クリスさんの口利きで雇ってもらった先だったから、あの人の顔に泥を塗ったも同然だろ」


「何でそんな馬鹿な真似を……」


 アランが心底呆れた声を出すと、それを聞きつけた他の少年も話に加わってきた。


「そうそう。あの人を怒らせちまったら、もうここでは生きていけねえよ。あいつ、あのまま死んじまうんだろうな。見てみろよ、ありゃ、しばらく何にも食ってねえ顔だ」


「食うも何も、クリスさんにしばかれて、もう起き上がる体力もねえんじゃねえの?」


 少年たちは、忌まわしいものでも見るような視線をうずくまるマイクに向けた。

 力も金も無い少年たちには一度リーダーに目をつけられた者を救う手立てなどなく、せいぜい、自分が巻き添えを食わないように距離をとることくらいしかできることはなかった。


 アランは人形のように同じ姿勢のまま動かないでいるマイクを見た。

 今でこそ自分たちと同じ貧困街にいるが、元々彼の生まれはごく普通の中流階級の家庭だと聞いていた。何があったのかは知らないが、何年か前に身一つ同然でこの貧困街にやってきたのだという。


 マイクを見つめるアランの心中は複雑だった。

 マイクのように、知らぬ間に貧困街に現れ、現れたとき以上に静かに姿を消していくということは、彼らの生活するこの世界ではよくあることだった。だから、そのたびにいちいち哀れんだりしてはいられない。ここでは、誰も彼も、自分が生きていくことだけで手一杯なのだ。


 しかし、アランはマイクに一度だけ助けられたことがあった。

 かつてアランがクリスに預かった金を失くしてしまったとき、自分の持っていた時計を売って金を作ってくれたのだ。

 そのときの借りを返せないまま今にも消えようとしているマイクに、何も出来ないでいる自分がもどかしく情けないとアランは思った。


 しばらくして少年たちが皆その場を立ち去ると、アランは一人マイクの元へ向かった。


 うずくまるマイクの上に、頭上から見下ろすアランの影が被さる。それでも顔を上げようとしないマイクに、アランはとうとう声をかけた。


「……マイク」


 しかしそれでもなお、マイクは顔を上げようとしなかった。

 虚ろな眼は前に立つアランの足元に向いているが、そこには何も映っていなかった。よほどひどい目に合ったのだろう、近くで見下ろしたアランの顔は不恰好に腫れ上がり、紫や赤の生々しい傷跡が浮いていた。


「お前、なんで馬鹿なことをしたんだよ」


 マイクは顔を上げないが、構わずにアランは言葉を続けた。


「ちょっと考えれば、こうなることぐらいわかっただろう」


 今更言ってどうにかなることでもないが、言わずにはいられなかった。マイクが決して愚かではないと知っていたからこそだ。


「なんでだよ……女なんて、そんなもののために……」


 すると、それまで黙っていたマイクが突然顔を上げた。


「違う……。あの人は違うんだ……」


 アランはぎょっとして目を瞠った。

 どうせ自分の声など聞こえていないと思っていたマイクが急に顔を上げて返事をしたからではない。自分に向けられたマイクの瞳に――つい一瞬前まで救いようのないほど虚ろだったその双眸に、今、爛々と灯る不思議な光があったからだ。


「あの人は違う……とても綺麗なんだ。他のどんな人とも違うんだ……!」


 取り付かれたようにそう繰り返すマイクは、どこか狂気じみていた。


(心まで壊れたのか……)


 アランは諦めにも似た視線をマイクに落とすと、そこではじめて、労わるような声を出した。


「俺はお前に借りがある。お前はもう覚えてないかもしれないけど、昔俺を庇うためにお前は自分の時計を売ってくれた。あれはお前がたった一つ家から持ってきた物だって、前にそう言ってたよな」


 マイクは不意に虚ろな瞳に戻ると、嫌なことでも思い出すように顔を歪めた。


「時計なんて……ここで持っていて何の役に立つ?」


『あんなもので君の命が救えたなら、安いものだろう?』あの時、そう言って屈託なく笑っていたマイクの顔が、今の痛々しいマイクの顔に重なる。


 なぜこうなったのか、理不尽な運命とやるせなさにアランは苛立ちを覚えた。


「とにかく、俺はお前に借りがあるんだ。だから……今度は、俺がお前の望みを叶えてやる」


 マイクはアランの申し出に驚いたのか、呆然とアランを見上げた。


「勘違いするなよ。俺はお前に同情してるわけじゃない。ただ、恩を着せられたままじゃ、こっちの寝覚めが悪くて仕方ないんだよ」


 その答えを聞いて、マイクは小さく笑った。

 腹に力が入らないのか、喉が開かないのか、掠れた笑い声はどうしようもなく弱々しかったが、その笑顔は少しだけ以前の元気だった頃のマイクを彷彿とさせた。


 マイクは改めてアランを見上げた。

 黒髪に抜け目のなさそうな鋭い切れ長の目。無骨で冷たい印象のアランとは、あまり多くの言葉を交わしたことがなかった。しかし言葉を発さなくとも彼の目はいつも『大丈夫か』と自分に問うていた。慣れない環境に身を置くことになった自分をごく自然に気にかけてくれていた。


(君は無意識だったのだろうが……)


 もう一度小さく笑ったマイクの瞳から、静かに涙が流れ落ちた。


「許されるのなら、最期に一目、彼女に会いたい……」



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