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11-2

 アランは静かに鳥籠に歩み寄ると、その扉にそっと手を添えた。それだけで、噓のように簡単に巨大な鳥籠は姿を消す。


 まるで初めからそこには何もなかったように、後には何も残っていない。巨大な鳥籠の重さによって削られた床の傷さえも、すべてが幻だったと思わせるほど跡形もなく消えていた。


 今、アランとレナを遮るものは何もなかった。

 真正面から対峙した二人は、初めて再会を果たしたようにひたむきに見つめ合った。互いに胸に抱くのは長く二人を隔てていた時が今やっと重なったような不思議な感覚だった。


(ずっと近くにいたはずなのに……)


 アランは足元の羽布団をそっとどかして、レナの前に立った。

 すぐ目の前、手を伸ばせば届くところにいるレナに懐かしささえ覚え、アランの目端に熱いものがこみ上げた。


「アラン……あなた、いなくなってしまうの……?」


 不安そうに自分を見上げるレナの愛くるしさに、感情がこぼれそうになる。その柔らかな頬に触れ、抱きしめてしまいたい衝動を、アランは微笑みの仮面の下に閉じ込めた。


「大丈夫ですよ」


 答えになっていない返答に、レナは小首を傾げる。


「お嬢さん、俺は今から、あなたに魔法をかけます」


「アラン、あなたって、魔法使いだったの?」


 茶化す風に尋ねるレナの笑顔が、無防備なアランの心をさらっていく。


「……そうだったみたいです」


 表情を歪ませてレナに苦笑を返すと、アランは言葉を続けた。


「お嬢さん、目を閉じていただけますか?」


「いいわ」


 何か楽しいことが始まる予感に、レナはうきうきとした心地で瞼を閉ざした。無邪気なレナの反応は、堅固だったはずのアランの覚悟をいとも簡単に揺さぶる。

 この期に及んでまだ彼女に口付け、自分のものにしたいと考えている自分が、浅ましく、そしてひどく憐れだと思った。


 目を閉じて、残照のごとくまとわりつく未練を反芻してから、やがてアランは再び瞼を開いた。

 しっかりと見開かれた瞳からは、もう迷いは消えていた。


「今から俺が、お嬢さんが辛いと感じている記憶をすべて消してさしあげます。でも、きっとそれに引き摺られて、多くの過去がお嬢さんの心から消えてしまうでしょう――大切な人の思い出も、すべて」


 レナは目を閉じたまま、くいと小さな顎を上げて不思議そうにアランを見上げた。


「ただし――あなたが真に愛する人が、その声であなたの名を呼んだとき、その者の記憶だけはあなたの心に戻るでしょう」


「あいするひと……?」


「そうです。あなたが、本当に愛する人です」


「わたしが、本当に愛する人……」


 アランはちらりと窓の外を見やった。きっとこの白い森のどこかに、ここへ向かっているあの男の姿があるだろう。あれだけ取り繕っていた男が、レナのために必死に雪の中を這い回るその姿を思い浮かべると、アランは少しだけ救われる思いがした。


「それは、あなたのこと……?」


 不意打ちにレナの桃色の唇から健気な言葉がこぼれ、アランはきつく唇を噛んだ。刹那、耐えかねた衝動の波に押し流されて、縋り付くような切実さでレナをその胸に掻き抱く。


 アランの腕の中でその激しい鼓動を感じながら、レナは人懐っこい猫のように熱い胸に頬を摺り寄せた。


「……愛しているわ、アラン」


 小鳥がさえずるような、ささやかで愛らしい声だった。それは晴れた日の木陰にできた心地良い陽だまりのような、幸せな響きだった。


 唐突な告白にアランはわずかに身をすくめた。レナの体を抱く腕の力を強めると、声を絞り出すようにしてレナを責めた。


「なんで――どうしてそんなこと言うんですか……。愛しているなんて、そんな残酷なこと言わないでください……。俺は弱いから、あなたの優しさに決意が揺らぎそうになる――。あなたの無垢な優しさを希望と取り違えて、陽炎だと知りながら、それでも縋りつきたくなってしまう――」


 純真なレナの優しさに触れ、アランの胸は引き裂かれるほどの切なさに震えた。


 どんなときでも自分に優しかったレナの姿が、眩い記憶となって脳裏に蘇る。

 読み書きを教えてくれたこと、一緒に杏の木を植えたこと、庭先で季節はずれの花を見たこと――。幼稚な喧嘩もしたし、そのたびに仲直りもした。笑った顔も、怒った顔も、悲しげな泣き顔も、照れて困った赤い顔も――そのすべてが、今でも愛おしくてたまらない。


 すべてが夢で、何のしがらみもなく、ただ自分と彼女だけがいる今この時だけが全てであり真実であればいいと思った。

 他には何も考えず、ただ自分を愛していると言ってくれる人を、曇りなく愛せたら良かったのに。

 そんな運命だったなら、どんなに良かっただろう――。


 ――どんなに、幸せだっただろう。


 アランは儚くも愛おしい感情を反芻するべく瞳を閉じた。この両腕に、その存在を覚えさせようと、ぬくもりも感触もすべて焼き付けるようにしてレナの小さな体をきつく胸に抱いた。


 やがて、静かに瞼を開く。

 その双眸には、レナへの深い愛情と静かな覚悟の光が灯っていた。


「お嬢さん……守ってくれなくていいから、約束してください」


 レナはやけに真剣な顔でそう言うアランを、おかしそうに見た。


「約束なのに、守らなくていいの?」


「……いいんです」


 アランは、くしゃりと顔を歪ませて微笑んだ。笑顔を作ったはずなのに、どうしてか泣きそうな表情になってしまう。哀しくて優しいその表情は、柔らかな痛みを伴ってレナの心に焼き付いた。


 アランはゆっくりとレナの額に手を添えた。


「……どうか、俺のことを忘れないでください。みっともないくらい必死に、あなたを愛した、哀れな男がいたことを――」



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