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6-3

 行き場を失ったアランは、露天商の男とともに、北の最果てにある廃墟と化した塔に居た。


 かつてはそこに小さな城があったのだろう。褐色の煉瓦を高く積んだ外壁は大部分が崩れ落ち、城も土台がわずかに残っているだけだった。

 ただ、少し離れた場所に立つ塔だけはかろうじて原形をとどめており、雪に覆われた深い森の中にひっそりとたたずんでいた。


 塔に着くと、露天商は自分の正体が魔法使いだと明かした。真実かどうかは疑わしかったが、アランにはもう、何もかもどうでもいいことのように思えた。


「そんなに落ち込むことはないよ。きみのおかげで、誰一人死者は出なかったんだからね。自分で火をつけておきながら、まっ先に知らせてしまうなんて、本当にきみは優しいんだな」


 言葉とは裏腹に、魔法使いの目には蔑みが滲んでいた。まるで、死者が出なかったことを残念がっているかのようだ。


「俺は別に――誰かを殺したかったわけじゃない……」


「そうだよね。きみは優しいもの。あの憎い子爵から、ただすべてを奪ってやりたかっただけだよね」


 魔法使いはにっこりと微笑んだ。もうフードは被っていない。露になった顔は、どこにでもいる人懐っこそうな青年にしか見えなかった。

 正体を明かしたせいか、口調も雰囲気もすっかり変わっていた。露天商の姿のときは陰鬱とした男に見えていたが、今では明るく晴れやかな雰囲気を纏っていた。


 魔法使いはエメラルドグリーンの美しい瞳を輝かせ、面白そうにアランを見つめた。


「それなのに、どうしてきみはそんなにつまらなそうな顔ばかりしているの? きみの望み通り、あの子爵――ああ、もう子爵ではないんだっけ――エリックは、家も、財も、人々の信頼も――何もかも失ったじゃないか。もうきみが、あいつを妬む必要もなくなったっていうのに」


「――! 俺は別に、あいつを妬んでいたわけじゃない!」


「え? そうなの?」


 魔法使いはただでさえ大きな瞳をさらに丸くしてアランを見た。


「僕はてっきり、きみが持っていないものを全て持っているエリックが妬ましくて、彼からすべてを奪おうと考えたのだとばかり思っていたけど――違ったのかな?」


「違――……」


 言いかけて、アランの言葉が止まる。ぐっと拳を握り締め、魔法使いから目を背けた。


「……――違わない。そうだ。俺はあいつが羨ましかったんだ。何の苦労もせず、当然のようにすべてを与えられて――それなのにそのことをありがたいとも思っていないあの男が――許せないと同時に、どこかで羨ましいと……思っていた」


 アランの答えを聞いて魔法使いは満足そうに微笑むと、静かに窓辺に立った。

 石壁にぽっかりと口を開けた窓には格子も硝子もはめられておらず、そのまま外の雪の冷たい湿気が入り込んでいた。


 魔法使いは冷たい空気を思い切り吸い込んでから、恍惚とした表情で窓の外に広がる一面の白い世界を眺めた。


「――ご覧。あの日から降り続いている雪のおかげで、世界はなんて美しい色に染まっているんだろう。何もかも覆い尽くし無に帰す白は、とても美しいよ……。きみもそう思わないかい、アラン?」


 アランは答えなかった。確かに春の雪は異常だが、それすらももうどうでも良かった。


 ただ――この雪がすべての音を消し去り、地上の何もかもを覆い隠し、北に逃げたアランの痕跡も、その存在さえも消してくれているようで、それだけがわずかに救いだった。


「――お嬢さんに、会いたくはない?」


 唐突に魔法使いは尋ねた。思わずアランの肩が跳ねる。しかしアランは力なく首を振った。


「今更、どんな顔で会えと言うんだ。俺は大罪人だ。お嬢さんを救いたいと言いながら――やったことは、あの人を追い詰め、不幸に陥れただけだ」


 魔法使いはつまらなそうにため息を吐いて、部屋の片隅に無造作に放られているものに目をやった。


「別に、直接会いに行かなくても、鏡を使ったらいいじゃないか。せっかく僕が譲ってあげたっていうのに、きみときたら、近頃は全然鏡を見ていないじゃないか」


「……見てどうなる? 見なくてもわかるさ。お嬢さんは優しい方だ。すべてを失ったあの男を哀れみ、自分を犠牲にしてでもあいつの傍にいる事を選ぶだろう。俺がそうさせたも同然だ――お嬢さんがそうせざるを得ない状況に追い込む原因を作ったのは他でもないこの俺なんだ……」


 魔法使いは何か言いたげな様子で顎を撫でながら目を細めた。


「『自分を犠牲に』ねえ……」


「そうだ。お嬢さんは優しい。こんな状況になって、あの男を見捨てることなんて出来ないだろう。そういうお方なんだ……」


 だから俺はあの人に惹かれたんだ――アランはその言葉を飲み込んだ。レナのその優しさを知りながらエリックからすべてを奪い、結果的にレナは彼の元を離れられなくなった。

 自分で自分の首を絞めてしまったようなものだ。アランは愚かな自分が何よりも恨めしかった。


「あの男が憎くないの? こうしている間にも、あの男はまたきみの大切なお嬢さんに酷い仕打ちを強いているかもしれない。助けてあげようとは思わないの?」


「助けたいに決まってる……!! この世界であの人を一番愛しているのはこの俺なんだ!! 助けてやりたいに決まってる!! だけど……もうわからないんだ……。どうすることが正しいのか……どうすれば、本当の意味であの人を救うことができるのか……」


 頭を抱えてうなだれるアランを、魔法使いはつまらなそうに黙って見下ろしていた。

 やがて、小さな微笑を向ける。


「……そっか。きみはもう、無理やり彼女を奪おうとは思わないんだね……」


 そう言った魔法使いの表情は笑顔なのに、声は凍えるほど冷え切っていて、明らかな失望が滲んでいた。


 魔法使いは気を取り直すように再び窓の外に広がる白に目を向けた。窓から腕を伸ばすと掌に冷たい雪の粒が落ち、すぐに溶けて消えていく。


「――ねえ、この雪は、いつまで降るのかな?」


「そんなこと、俺が知るわけがない」


「……そうだよね」


 魔法使いは無機質な声でそう言うと、アランを振り返った。


「――賭けをしない?」


「賭け?」


 唐突な提案にアランは訝しげに眉を寄せたが、魔法使いはアランの反応など気に留めない様子で続けた。


「そう。僕がきみに魔法をかけてあげる。この魔法は、愛する人を呼び寄せ愛を確かめる魔法だ。きみはただ、愛する人を思いながら眠りにつけばいい。――ただし、愛する人に自分と同じ愛を返されなければ、永遠に目覚めることはない。彼女がきみを愛していれば、きっときみを目覚めさせてくれるはずだよ」


「お嬢さんが……俺を……」


「きみは、彼女を信じていないの? それとも自信がないのかな? 彼女に愛されているという自信が」


「そんなこと……あの人は……俺を拒絶したりしなかった。俺の伸ばした手を、いつだって取ろうとしてくれた……振り払われたことなんて、一度だってなかった……」


「そう……」


 魔法使いは、静かに手を上げると、俯いたままのアランの額にそっと手をかざした。


「本当に彼女を信じているというのなら、その信じる心を抱いたまま眠りにつくといい。もしも――万が一、彼女がきみを目覚めさせてくれなくても、きみはただ安らかに眠り続けていればいい――残酷な現実を忘れ、甘やかな夢を見ながら……」


 魔法使いの穏やかな声の響きは、アランの心に溶けるように吸い込まれていく。


「さあ、願ってごらん。優しい夢を見ながら眠りたいと。愛する人に起こされるまで眠りについていたいと。きみはただ、願うだけでいい……」


 ゆっくりと、アランの瞼が閉じていく。魔法使いの手を振り払うことも出来たが、アランはそうしなかった。


「夢……」


 心地良いまどろみの中で、アランの唇から小さな吐息が漏れた。

 それが合図だったように、アランの体は力を失い崩れ落ちる。


 床に落ちる寸前、魔法使いはアランの体を抱き留めた。深い眠りにつく少年の体はぐったりと重い。魔法使いはささやかな寝息を立てる少年の、あどけない寝顔を見下ろした。


「きみは臆病だ……また拒絶されることが恐くて彼女を迎えに行けないなんて……」


 魔法使いは、そのままアランを抱え上げると、塔の最上階の部屋を目指した。


 最上階の部屋は、他の部屋と同じ造りだった。無機質な石造りの床と壁があるだけだ。

 ただ一つ違うのは、部屋の中央に硝子の棺が置かれていた。


 魔法使いはアランを担いだまま空っぽの棺の前に立つと、その中にそっとアランの体を横たえ透明な蓋をした。


 棺の中で眠るアランは、魔法使いが見てきたどのアランよりも安らいだ顔をしていた。

 魔法使いは棺に目を落とし、体を震わせるほどの喜びを噛み締めていた。


「僕はやった……ついにやったんだ……。これで運命は、本当の意味で平等になる……」


 呟いた魔法使いの瞳から、思わず涙がこぼれ落ちた。

 その涙を拭うこともせず、魔法使いは硝子越しに目を閉じるアランに声をかけた。


「きみに一つ、寝物語を聞かせてあげよう――」


 そう言うと、魔法使いは淡々と語り始めた。



 昔――ここよりずっと遠くの国にある小さな村に、一人の子供がいた。子供の村は貧しかったけれど、村人は皆仲が良く、ささやかに、慎ましやかに暮らしていた。


 そんなあるとき、国で暴動が起こった。近くにあった子供の村も巻き込まれ、家は焼かれ、罪もない人々が無残に殺されていった。


 村が襲われた日、子供はたまたま父親の使いで隣の町に行っていたので無事だった。だけど、帰り着いた村で子供を迎えてくれたのは、一面の焼け野原と、親しい人たちの遺体だった……。


 やがて子供は、自分の村を襲った人間たちが国を統治し始めたことを知る。何の罪も無い家族は彼らに殺され未来を奪われたというのに、罪を犯した者の方が生き残り、望みを叶えるなんて。

 こんな理不尽なことはないのに……周りの大人たちは、すんなりと現実を受け止めていった。『これも運命だ』そう言いながら……。


 子供はそれが許せなかった……。そんな理不尽な『運命』も、それを何の疑問もなく受け入れる人々も……。


 そんなあるとき、子供は運命信仰にある『鍵』の存在を知った。本当にそんなものがいるなんて信じられなかったけれど、子供が身を寄せていた教会の神父が教えてくれた。ある場所に本当に存在しているのだと。この世界の『運命』を――この、傲慢で理不尽で非情で無情な『運命』なんて馬鹿げたものを統べているのは、たった一人の人間なのだと――。


 子供は長い時間をかけて『鍵』のいる場所を突き止め、そこから『鍵』を攫い出した。その頃にはもう、子供は子供ではなくなっていた。


 大人になった彼は、攫い出した『鍵』を見知らぬ土地の汚れた路地裏に放り捨ててやった。

 復讐のつもりだったんだろうね。『鍵』はまだ幼く、自分が『鍵』であることも知らずに、現実の汚さをその身に浴びながら――世の非情さと理不尽さを呪いながら成長した……。


 魔法使いはそこで息を吐くと、改めて安らかな表情で眠るアランを見下ろした。


「きみは『運命』が本当に平等だと思う? 殺された村の人たちは、何も悪いことなんてしていなかった。暴動にだって全然関係なかった。意味も無く死んでいったんだ。それなのに、なぜ何の罪も無い人たちを殺した人間が生き残り、望みを叶え、幸福を手に入れることが出来るんだ? ――奴らは言った。村人たちは死ぬ『運命』だったと――自分たちは死なない『運命』だったと――ただそれだけのことなのだと。こんな『運命』のどこが平等なんだ……! もしも本当に『運命』が平等だというのなら、あの人たちだけではなく、全員が死ぬべきだよ。誰かだけが死んで他の誰かは死なないなんてそんなのおかしい――。そんなの……ずるいよ……」


 魔法使いは掠れた声で呟いた。うなだれた肩が、小さく震えている。

 やがて震えが収まると、冷たい硝子にそっと触れた。


「きみも愚かだ……世界に雪を降らせるなんて。きみのどんな心理が働いてこの美しい雪を降らせたのだろうね……」


 窓の外は、相変わらず雪が舞っていた。吹雪のような勢いこそないが、このまま降り続ければ、やがて世界は人が住めない場所になるだろう。


「可哀想だけれど、彼女はここへは来ないよ。僕がかけたのは魔法なんかじゃない。いや、そもそも僕はきみに魔法なんてかけていない。きみはきみ自身で自分に呪いをかけたんだ。そうしてきみはこのまま、世界に雪を降らせながら永遠の眠りにつく――決して、覚めることのない眠りに……」


 硝子に映る魔法使いの顔には、初めて哀れみの表情が浮かんでいた。


「真実に目を向けられないのなら、彼女を待ちながら眠り続けるといい。残酷だけど、きみにはかえってこの方が幸せなのかも知れない……彼女の愛を信じたまま永遠でいられるのだから……」



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