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アランと別れて屋敷に戻ったエリックは、不愉快に波立つ心を鎮めようと必死だった。
なぜ自分は、あんな取るに足りない子供相手にむきになったのだろう。
その答えを知るのが恐い気がして、エリックは思考を閉ざした。
上手く鎮められないでいる心が、しだいに嗜虐的な感情へと形を変えていく。
レナが許せない。
園丁はまるで見てきたかのようにレナの様子を的確に言い当てた。おそらく、レナは園丁に手紙を書いていたのだ――自分の目を盗んで。自分の預かり知らぬ所で、あの園丁と繋がっていたに違いない。
一日中部屋に篭り、人形のように無為に過ごしていると思っていたのに。それをわずかでも哀れだと思った自分のなんと愚かなことか。彼女はちっとも孤独などではなかったのだ。
エリックの瞳の奥に、冷たい憎しみの炎が灯る。
(なんてしたたかな女なんだ……)
気がつけば、エリックの足はレナの部屋に向いていた。
エリックが部屋の前で立ち尽くしていると、突然閉ざされていた扉が開いてレナが姿を現した。
ドアを開けた途端エリックが立っていたので、レナは勢い余って彼の胸に飛び込むようにしてぶつかった。鼻先を押さえながら慌てて離れると、鋭い声が頭上から降ってきた。
「――どこに行くつもりだ? 外に用事があるときは、わたしを通すように言ったはずだが」
レナは困ってエリックを見上げた。外に出ようと思ったのは本当に久しぶりのことだった。ただ、窓を開けたときに風が運んできた花の匂いに、久しぶりに庭の様子でも見に行こうと思いたっただけだった。
だが、手話も通じず筆記具もない今、そのことをエリックに伝える手段が見つからなかった。加えて、無断で部屋を出ようとしたことを咎められ、わずかに後ろめたい気持ちもあった。
結局レナは、気まずそうにエリックから視線を逸らした。
エリックは密かに息を呑んだ。久しぶりに対峙したレナは以前よりも一層やつれて見えたのだ。そうさせたのは自分だという苛立ちと、目の前のレナが自分を拒むように顔を背ける姿を見て、エリックの心を冷たい怒りが支配していく。
レナは自分には言えないような理由で、外に出て行こうとしているのだ。その事実が、エリックの心を激しく掻き乱した。
「……もういい。今日は一歩もこの部屋から出るな」
レナは弾かれたように顔を上げるとエリックを見つめた。いつも以上に冷たい色の瞳には、あからさまな軽蔑が滲んでいた。自分に向けられた憎しみの原因もわからずレナは戸惑うことしかできない。
どうしても今外に出たいというわけではなかったが、なぜこんなふうに行動を制約されなければならないのか納得がいかなかった。
レナからの無言の抗議を感じ取ると、エリックはそれすらも気に入らないというように片眉をつり上げた。
「何だ……? 外に、それほど大事な用事でもあるというのか……?」
エリックの脳裏に、アランの手紙にあった『約束』という言葉が浮かぶ。
手紙には、必ず会いに行くと書いてあった。レナはアランが来ることを知っていたに違いない。『約束』を交わしたとき、レナは彼に何と返事を返したのだろう。どんなふうに、あの園丁に笑いかけたのだろう。
エリックの心に、黒い感情がむくむくと膨らんでいく――。憎しみに胸が締め付けられ、苦しくて叫び出したくなる衝動がこみあげる。
衝動に突き動かされるようにエリックはレナを押しのけると、ずかずかと部屋の中に入っていった。
そうしてレナの机の前に立つと、乱暴に引き出しの中を漁りはじめた。
「!!」
驚いたレナはエリックの腕に縋り付いて彼を止めようとしたが、エリックはレナの華奢な体をごみのように振り払った。
勢いよく床に転がったレナに目を向けることなく、エリックは取り憑かれたように一心不乱に引き出しを漁り続けた。
机の引き出しを全て見終わると、エリックは次にクローゼットの扉に手を掛けた。
レナは床に転がったまま這いずるようにしてエリックの足に抱きつくと、彼の傍若無人な振る舞いを必死に静止しようとした。
「放せ……っ! どこに隠している!? あいつからの手紙を、どこに隠しているんだ……!!」
エリックは乱暴に足を振り払うと、尋常ならざる剣幕でレナに吠えた。
レナは恐怖のあまり、声にならない悲鳴を上げた。エリックが一体何のことを言っているのかわからなかった。
レナは通じないことも忘れて必死で手話を手繰った。
『手紙とは何のこと? あなたの言っていることがわからない』
抗議の手話を紡ぐレナを、エリックは苦虫を噛み潰したような表情で見下ろした。それからおもむろに懐に手を入れると、レナの鼻先にしわくちゃになった一枚の封筒を突きつけた。
「わたしの目を誤魔化せると思うなよ。お前たちが密かに繋がっていたことはわかっているんだ」
レナは驚きに目を丸くすると、ひったくるようにしてエリックの手から手紙を奪った。
宛名は確かにレナのものだというのに、既に封が開けられていた。裏返すと、アランの名前が書かれている。読み書きの出来なかったアランに文字を教えたのはレナとオリビアだ。決して上手とはいえない幼子のような拙い筆跡に、懐かしさがこみ上げる。
レナが手紙を開いて読もうとすると、エリックの手が伸びてきて、乱暴に手紙を奪い返した。
「わたしは愚かだった……。お前がわたしと同じように幼い頃母を失っていると聞いて、勝手に親近感を覚えていたのだ。お前が、わたしと同じ孤独を抱いているのだと……。だがそうではなかった。お前はとっくにあの園丁という存在を得て、孤独から解放されていたのだからな」
エリックは両手で手紙を掴みなおすと、そのままびりびりと破り始めた。
瞠目するレナの前で、白い紙片がハラハラと花弁のように舞い散る。
我に返り、腕に取り付いて止めようとするレナを無視して、エリックは手紙が細かな破片になるまで無表情で破り続けた。
目に涙を浮かべ、抗議をしようとしたレナの手が止まる。
なぜかエリックが傷付いたような表情をしていることに気が付いたからだ。
「……そんなにこの手紙が大切か? あのみすぼらしい園丁が――」
なぜこの人がこんなに悲しい顔をするのだろう。ひどいことをされ、傷つけられたのは自分の方だというのに。
レナが戸惑っていると、アランは抑揚のない声で言った。
「下賎な身の上でお前との『約束』を果たしに来るとは……身の程知らずにもほどがある……」
思いがけない言葉に、レナは耳を疑った。
まさかアランが自分に会うためにこんな遠い地まで来ているというのだろうか。
レナは躊躇うことなく、部屋を飛び出した。
引き止めようとエリックが思わず伸ばした指は、虚しく空を掴む。
脇をすり抜けて行くレナの甘い残り香が、立ち尽くすエリックの頬を撫でていった。




