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1-1

 城下町リオーナは、花祭りのために豊かな色彩で飾り立てられていた。


 昨夜の土砂降りが嘘のようだ。晴天の下、華やかに彩られた街を行き交う人々の足取りは踊るように軽い。

 大通りに面した家々の窓には、色とりどりの花たちが飾られ、ずらりと並んだ露店には、絢爛に咲き誇った花々が売られている。


 そんな楽しげな景色を、レナ・ウォルバートは馬車の中から物憂げに眺めていた。

 もうすぐこの狭い馬車に、招かれざる客人が現れる。


 行儀悪くも頬杖をついて小さな窓から空を見上げれば、まばゆいばかりの冴えた青が広がっている。レナは窓ガラスに映る自分の姿を見ると、大げさにため息を吐いた。


 今日の祭りのために髪を整え、新品の菜の花色のドレスに身を包んだ自分の着飾った姿が、かえって虚しさを増幅させる。


 もう何度目か知れないため息を吐いたレナに、向かいに座っていた黒髪の少年が声をかけた。


「あの、お嬢さん、どこか具合でも悪いのですか? 先ほどからため息ばかり吐いておられますが……」


 レナははっとして居住まいを正した。今日の逢瀬を憂鬱に思っていることを誰かに悟られてはならないというのに。自分より年下なせいか、この園丁の少年――アランの前だとつい気が緩んでしまう。


 レナは慌てて笑顔を浮かべて見せたが、どうにもぎこちなくなってしまった。それを少年が見逃すわけもなく、かえって心配そうに身を乗り出してきた。


「お嬢さん……やっぱり、今日の逢瀬はお嫌だったんですね! それなら初めからそう言ってくれたら、俺がオリビアさんに掛け合ったのに! いくら婚約者からの誘いだからってまだ結婚したわけでもないのですし、お嬢さんが律儀にお付き合いなさる義務はないと思いますよ」


 直ちに抗議せんとばかりに腰を浮かしたアランを、レナは慌てて引き止めた。

 十八歳になったレナは、来年の春に父親の知り合いの子爵家へ嫁ぐことが決まっていた。


 相手のシルヴェストル家は、レナの生家があるこの城下町からずっと南にある、別荘地として有名な土地を治める子爵家だ。レナの夫になるエリックは二十五歳にして子爵の地位を譲り受け、父親に代わって領地を治めているのだった。


 正式な結婚は来年だが、今年の秋から式の当日までの数ヶ月間、シルヴェストル家へ行儀見習いに行くことが決まっていた。それが、相手の家から出された条件なのだ。


 エリックとの結婚は、レナが物心付いた頃には既に決められていた。二人は親同士が決めた許婚だ。


 あらかじめ決められていた婚約者とはいえ、レナが直接エリックに会ったのはつい最近のことだった。それもまだたった一度しか会ったことがない。


 先日婚約者同士の顔合わせのための食事会が開かれたが、ひどく退屈なものだった。両家の人間が長い食卓の両側にずらりと並び、互いの顔色を伺いながら退屈な政治の話をするという、レナにとっては想像以上の苦行の時間だった。


 初めて対面した主役のはずの二人が直接言葉を交わすことはない。互いの父親同士が数時間かけて政治談議を交わしている最中、時折シルヴェストル家の人間から値踏みするように向けられる視線に、にっこりと愛想良く笑顔を返すことがレナに課せられた仕事だった。


「それにしても、見事なものですね……! 普段の街とは、まるで雰囲気が違う」


 アランは窓際に座るレナに顔を寄せると、自分も窓の外の景色を眺めた。素直に感嘆の声を漏らすアランに、レナも思わず笑顔になる。

 アランはレナの笑顔を見ると、安心したように微笑んだ。嬉しそうにレナに向かって手を差し出す。


「お嬢さん、少し外へ出てみませんか?」


 せっかくの祭りですからと促され、レナはアランの手を取った。


「足元、気をつけてくださいね。俺の手をしっかり握っていてください」


 ただ馬車を降りるだけだというのに、アランが大仰に心配する。いつものことながら、レナはなんだかくすぐったい気持ちになって苦笑した。


 馬車を降りた途端、心地良い風が芳しい香りを二人の鼻に運んできた。甘い香りを胸いっぱい吸い込むと、さっきまであれほど波立っていたレナの心は嘘のように落ち着いた。


 アランはふと、傍らにあるレナの頭に目を留めた。


「――あ、お嬢さん、髪に花びらが……。少しじっとしていてくださいね。今取ってさしあげます……」


 アランは壊れやすいものに触れるようにしてそっとレナの髪に触れた。アランが顔を近づけると、今日のために華やかに結い上げられた栗色の髪からは甘やかな香りが漂い、アランの胸を切なく締め付けた。


「……お嬢さん、今日の髪型、よくお似合いですよ。そのドレスも、本物のお姫様みたいです。今日のお嬢さんは、一段と可愛らしくて――誰にも見せずにしまっておきたいくらいだ……」


 アランが恍惚とした瞳で自分を見つめるので、レナはなんだか気恥ずかしくなった。

 この少年は自分よりも幼いせいか、他人が聞いたら誤解するような甘い台詞を平然と口にする。今ではもうすっかり慣れてしまったが、最初はひどく戸惑ったものだ。


 アランが一向に自分から視線を外そうとしないので、レナはいたたまれなくなって街の景色に目をやった。


 毎年春のはじめに開催される花祭りは、国一番の盛大な催しだ。古くからある『運命信仰』の代表的祭事として、また花卉産業を主に栄えてきた国であることから、繁栄と豊かさを願う祭りとして、長きに渡り国民に愛されてきた。


 近年は気候の変動が激しく開催が危ぶまれていたが、こうして何とか今年も無事に開催された。レナはそのことを喜ばしく思いながらも、今日これからのことを思うと複雑な気持ちになるのだった。


 その時、唐突にレナの手を握っていたアランの手が離れた。アランの視線の先に、婚約者を迎えに行っていた世話係のオリビアが戻って来るのが見えた。


「お嬢様、シルヴェストル子爵様がお見えになりました」


 つんと尖がったお団子頭のオリビアの後ろにいたのは、すらりと背の高い、銀髪の青年だった。青年の神経質そうな切れ長の目がレナを捉える。レナは自分に向けられた射抜くような視線に思わず身をすくめた。


 すかさず、レナを庇うようにしてアランが進み出る。


「ようこそいらっしゃいました子爵様。お初にお目にかかります。自分は園丁見習いのアランと申します。どうぞ、馬車へお入りください」


 そう言ってアランは子爵をレナの反対側の席に誘導すると、自分はちゃっかりレナの隣に腰をおろした。

 シルヴェストル子爵――エリック・シルヴェストルは、アランを見ると露骨に嫌悪を浮かべた。


「……なぜ、園丁がここにいる?」


 もっともな疑問に答えたのはオリビアだった。


「それが、このアランは今まできちんと花祭りを見たことが無いと言うので、お嬢様がどうしても連れて行ってあげたいとおっしゃいまして……」


 それを聞いた途端、エリックの形の良い眉が不愉快そうに歪む。オリビアは慌てて言葉を足した。


「お、お嬢様は大変お優しい方ですので、身分に関係なく屋敷の子供皆に心を砕いておられるのですよ」


「俺はもう子供じゃありません。先月十五になりました」


 不服そうに頬を膨らませるアランに、エリックはこの上なく冷たい視線を向けた。


「……さすがは成金のウォルバート。使用人の教育も低劣だな」


 エリックは馬鹿にしきった顔でそう言うと、フンと鼻を鳴らした。何か言い返そうとしたアランを、オリビアがものすごい形相で威圧する。


「それでは、パレードがよく見える場所まで移動いたしましょう。今日はこの晴天ですもの。きっと山車が良く映えるでしょうね」


 場をとりなそうとオリビアがわざと明るい声を出したが、同意する者はいない。


「それにしても、昨夜はどうなることかと思いましたが、見事に晴れましたこと。これも、運命の『鍵』の思し召しでしょう。きっと今年の花祭りも無事開催される運命だったのですわ」


 オリビアは敬虔な運命信者だ。この国の多くの人間がそうだが、何かあるたびにすぐ『運命』のせいにする。アランはそれが時折、無性に癇に障るのだった。


「そんなの、たまたま晴れたってだけで、別に『運命』は関係ないと思いますけど」


 小さな声で異議を唱えたアランを、オリビアは呆れた様子で見た。


「まあ、あなたはまたそんなことを言って。良いですか、この世に『偶然』などということはないのですよ。この世に起こるすべての事象は、世界の中心にあられる運命の『鍵』の思し召しによるものなのです」


「だけどそれは昔の話で、今は『鍵』なんていないじゃないですか」


「いないということではありません。姿はなくとも、『鍵』は世界のすべての物事が円滑に回るように、あらゆる事象の采配を振るい、運命を統べておられるのですよ。ですから『偶然』と思えることも、必ず未来の出来事に繋がっているのです」


 アランはオリビアお得意の運命談義を展開させてしまったことを後悔したが、もう遅い。オリビアは熱心な運命信者なのだ。しかしアランはというと、育った境遇のこともあり、運命信仰なんてくだらないと考えていた。


「俺は別に、運命なんて信じていません。だってもしその『鍵』とやらが本当に皆の運命を決めているんだとしたら、ずいぶん不公平じゃないですか。だいたい、世の中のすべてがうまくいくようにって言いますけど、最近は気候も乱れて、災害もやたらと多い。それで苦しんでいる人がたくさんいるっていうのに、それも『鍵』が決めていると言うんですか? それってつまり、敢えて人々に苦しみを与えているってことですよね? それなのになぜそんな運命を信じるのか、俺にはさっぱり理解できません」


 オリビアは反論しようと口を開いたが、エリックのわざとらしい咳払いがそれを阻止した。

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