リディアライズ~人間ならざる人間~
床や天井は薄汚れていて、害虫が長年巣食っているようなコンクリート造りの建物。
蜘蛛の巣が張っている部屋の角から、床下までびっしりとカビが生えていて、ここに人の出入りが普段ないことが一目瞭然だ。
それでも、今ここには二人の男女がいた。久しぶりの家の来訪者なのか、歩いてきた箇所の埃が綺麗に跡をつけている。四方にゴミといったものは視界に入らず、意外にも綺麗だが、物がない。そんな異質な空間にいる男は、部屋の中央に置かれている椅子に座らせていた。
ただちょこんといるのではなく、厳重に捕縛されていた。針金やガムテープとかといった、そのへんのものを適当に見繕ったものでぐるぐるにされていた。それだけならまだしも、酸化していて錆びている釘が無数に男の足に刺さっていた。まるでサボテンのような両足から、だらだらと血液が流れている。
「あああああああああ、なんだ、なんだよお前は。一体、俺が何したっていうんだ。頼むよ、助けてくれよおおお」
「こっちが許可していないのに、喋らないの! めっ!」
そう言うと、男の傍に立っていた女は、手元にあった拳銃で脇腹付近を撃つ。ドビュッと貫通すれば良かったものの、中年太りを遥かに超えている腹のせいか、撃つ角度が悪かったせいか、弾はでてこない。どうせ助かる見込みなんてないことは明白なので、女はふーんと声に出しただけだったが、男はそうもいかないようだった。
えっぐ、うっぐ、と嗚咽を漏らしながら、絶叫しないようにして唇が青白くなるまで噛み締めている。また被弾することを恐れて、両眼から滝のような涙を流しながら、必死に声を出すのを堪えていた。涙は小汚い肌を流れながら、拉致した時に殴打した頭から流れる血と混ざって、ポタポタと床に落ちる。鼻水まで融合した時には、うへぇと女が舌を出した。
気持ち悪いという感情が先に出たが、それよりも反吐がでそうになったのが、その我慢しようという感情が芽生えてしまったことだ。そんな希望に満ちた感情が少なからず見受けられるということは、まだ絶望には程遠いということだ。
やっぱり、人間を誘拐して傷つけるというのは初めての体験なので、失敗はつきものなのかもしれない。もっと苦しみに満ちた表情をさせなければならない。だけど、どうすればいいのだろうかと、女は首を傾げる。男にどんな殺し方をすればいいのか案を出させて、その中で順位をつけてもらって、一番やりたくないと選択した死亡方法を試してみようかと、女は思案した。
「ねぇ、どんな死に方がいいのー? 教えてくれる?」
「は……? 死? 死ぬ? 殺される、俺、殺されるのか、やめて、やめっ」
「はい、パニックにならないでねー」
ゾッとするような笑顔を携えながら、パンと銃口から火花が噴く。
声にならない悲鳴を男があげながら、口角泡を飛ばす。靴にかかったらしたら気色悪いので、女は人間離れした動体視力でさっと華麗に躱す。次第に男の元気がなくなってきたのが見て取れる。蒼白になってきた顔は、体温というものを一切感じない。このまま殺すのはあまりに興が削がれるから、仕方なくお喋りしようと思う。
「実はね、私達はゲームしてるの。どれだけ多くの人間を狩れるかっていう競争。殺し方は自由らしくてさー、量重視なんだって。あんまり私そういうの好きじゃないんだよねー。やっぱりさー、どうせなら芸術的に人を殺したいと思わない?」
「………………」
「なんだよ、喋れよ」
ドゴォ、と椅子を足蹴にして倒してやる。その拍子に足に刺さっていた釘がぶすりと柔らかい肉に刺さり、痙攣したように海老反りになりながら男は絶叫する。そのさまがおかしくておかしくて、愉快だったから声に出して女は笑ってしまった。
そこまでするつもりじゃなかったのに、体を張ってギャグをしてくれたのだから、このぐらい笑ってあげないと男が可哀想だ。女が腹を抱えながらひび割れた声で笑っていると、男は呻くようにして、
「そんな、バカな……。俺はそのゲームとかのせいで殺されるのか……」
「えー、今更何言ってんの? ――人殺しのくせに」
「…………なっ…………んで?」
男は闇と同化しているような仄暗い双眸を見開く。
「世間には公表されない事実だけど、《リディアライズ》の情報網を甘くみないほうがいいよー。あんたは×××で××に顔がよく効く。だから、法で裁かれることはなかったんだよね。でも、よくそんな最悪のことしておめおめと生きていけるね」
「あれは……あの店員が悪いんだよっ! コンビニで万引きしたのを見逃してくれれば、殺されずにすんだのに、いっぱいの正義感を振り回わしっ――ひぎぃっ!」
酷薄を孕んだ瞳をしながら、女は男の顔に向けて引き金を引く。ぶちゅ、と気味の悪い音を立てながら、頬の肉が飛沫する。あぎゃあああああああああ、と甲高い声を上げながら、ゴロゴロと埃と血だまりの床を転がる。貫通してなによりだ。これでピアスを開けるのに、穴を開ける手間も省ける。体中にピアスをつけるために穴を開けて、そのまま致死にさせてやろうか。
「あの人の奥さんね、子どもを身篭っていたんだって。もうすぐ家族ができるからって、張り切って仕事してたんだよ、あの人。昔は適当に生きててプラプラしてたんだけど、今度こそ子どもの生活のために、真面目に生きることを決意してたんだって。でも、あんたが夫を殺したせいで、その奥さんはショックのあまりお腹にいる子どもが死んじゃったんだって。奥さんも死にそうだったんだけど、私に泣きながら頼んだ。『どうか夫を殺したあいつを、できるだけ苦しみながら殺してください』って。どれだけあの奥さんが苦しんだのか、人間じゃない私にはわからないけどさ、あんた人間ならわかるでしょ?」
「は、はあ? …………ざけんな。なんで俺がそんなヤツの気持ち分からねぇといけないんだよ! なんでこんな痛い思いしないといけないんだよ。お前ッ……覚えてろよッ! 俺のオヤジの力を使えば、お前なんて……ッ」
「お前は、人間なんかじゃない。――化け物だよ」
冷酷な顔をしながら、銃を男の眉間に突きつける。
――そして、無慈悲に銃声が闇の虚空に反響する。頭蓋から、トマトが潰れたような血液がドバドバ流れると、しぃんとその場を拘束するような沈黙が流れる。
無表情になった女は、自身の顔に散った血をハンカチで吹くと、静かにその場から立ち去った。足音など響かせず、ただひっそりと闇に溶けるようにして姿は霧散した。
……その場のノリで書いたw