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5、魔王とドンファン

 「おおっ。 あーやのブラが可愛いぞ!」

 室井ちゃんに、胸元を覗きこまれた。

 一夜明けた早朝、彼女の部屋で着替えをしている時だ。

 

 「こいつはもしかして、勝負ブラかな?

  さてはそれ着て、くだんの先輩とベッドで発声練習などを」

 「しーてーまーせん!」

 あたしは室井ちゃんの頭をはたいた。


 「緑川先輩とは、そういう関係一切ないからね!」

 「ほーお。 では聞くが、これは誰の作品かいな」

 指先で、胸の谷間をつつかれた。

 そこには、小豆色の小さな斑点があった。

 ギョッとして、思わず両手で隠す。

 その手を室井ちゃんがつかんで外させる。


 「こーんな所に打ち身を作るのは、至難のワザだと思いますう。

  えっちしたならしたって、素直に認めちまった方が、可愛らしいと思いますう。

  それとも、イケナイあーやは、またこっそり羽賀先輩とご乱行‥‥」

 「わー! その話まだするかあ!」


 4月に開かれた、合唱部の新入生歓迎コンパ。

 酔っ払った羽賀先輩にキスされたのは、あたしにしてみれば単なる接触事故だった。

 それを室井ちゃんは、鬼の首とったみたいに、今になってもいじり倒す。


 「いいじゃんか、照れなくても。

  写真見る限り相当イケてるじゃん、緑川公爵。

  顔はいい、背は高い、将来有望なテナー歌手の卵。

  おまけに毎日、メール1通と電話1本を必ず寄越す、マメ男クン。

  これでその気になんないのなら、誰とならえっちするわけよ?」

 「‥‥そうね」

 これ以上突っ込まれたくなくて、頷いてしまった。

 呼吸が荒くなっている。

 

 この小豆色マークの作者が、実の兄貴と知られたら。

 ‥‥室井ちゃんと、今みたいな友達でいられるかなあ。





 M音大まで、車で飛ばして4時間かかる。

 「ド田舎というより、秘境だっつーの。

  大学祭っても、サルやイノシシしか来ないんじゃないの」

 道すがら、室井ちゃんは文句の言い続けだった。


 運転席の姉上は、終始無言だ。

 黙々とステアリングを握っている。

 これにはホントに驚いた。

 室井ちゃんのお姉さんなら、きっと賑やかな人と思っていたのだ。

 こんなに楚々とした大人しい女性とは意外だった。

 姉上の職業は、薬剤師。 名前を、冬実さんと言う。

 うちと同じ、5歳違いの姉妹だそうだ。


 


 もと南高合唱部の部長、緑川先輩からは、去年も大学祭のお誘いを貰った。

 でも、交通手段に悩み、宿泊手段でつまづいた挙句、断念したのだ。

 まさか、学生寮住まいの先輩の部屋に、転がり込むわけにも行かない。

 向こうは、そうしてもいいのにと言ってくれたのだけど、さすがにそれは出来ず、結局去年はお断りをした。

 先輩は残念がって、大学祭のステージを録音して送ってくれた。


 そのCDを流しながら、ドライブした。

 出し物は「リゴレット」日本語ダイジェストバージョン。 

 先輩の役どころは、驚くなかれ「マントヴァ公爵」。

 女タラシの、超悪役だ。

 あの正義漢、正論派のオトコがだ、嘘までついて女を毒牙にかける、厚顔無恥なる不実のドンファン役。

 最初は絶対、似合わないと思ってた。

 でも、実際聞いてみると、これが案外ハマッている。

 

 深みのある、明るいテノール。

 ちょっとひとくせある風に歌うと、これが妙に雰囲気があるのだった。

 「えっちだ。 こいつの声はえっちだぞ」

 室井ちゃんが、思い切りトバした感想を吐いた。


 

 今年のステージは、シューベルトの「魔王」をやると聞いている。

 「『魔王』って、ひとり芝居をやるんだよね。

  オヤジと病弱なガキと、殺し屋か死神かの間違いじゃないのかと思う魔王と」

 室井ちゃんの言い方だと、コメディーにしか聞こえない。


 「なんか、分業して魔王部分だけ担当してるって聞いたけど」

 あたしが言うと、室井ちゃんに笑われた。

 「また悪役だな、おまけに誘惑者。

  そいつ絶対、えっち系で色気を売り込む路線なんだな!」

 

 緑川先輩の、色気?

 見たことない気がする。





 M音大は、小さな山を丸ごと使ったキャンパスだった。

 周囲に店ひとつない、ホントの山奥だ。


 ふもとの無人駅から、シャトルバスが出ている。

 普段も、スクールバス30%、学生寮利用者70%の大学なのだと聞いた。

 つまり、ほとんど隔離状態? 

 こわい大学だ。


 車でバスについて行くと、山のふもとに大学祭のアーチ。

 しかしそのまま、校舎の影も見ず、延々と坂道を登る。

 中腹まで登った頃、学生寮がポツリ、事務局棟がポツリ。 

 続いて、テニスコートや体育館といった、音大に関係あるんだかどうだかの施設がいくつか。

 それからやっと、音楽ホールと書かれた看板。

 うねうねと続く山道に、大きなホールに続いて、いくつもの校舎が現れた。

 頂上のでかい駐車場で、車を降りた。


 「絶海の孤島みたいなとこだなー」

 周りの山を見回して、室井ちゃんが感心している。

 「音楽病感染者の隔離病棟だ、って先輩も言ってたよ。

  学生寮をサナトリウムって呼ぶんだって」

 「音楽はビョーキかい」

 室井ちゃんは呆れ顔だけど、その感性は、なんだか好きだな。



 残念ながら、オープニングセレモニーは終った後だった。

 それでもキャンパスには、音楽が溢れていた。

 音ではない。 看板、ポップ、プラカードだ。


 クラブ「セレナーデ」

 「ベートー弁当」あります!

 お好み焼き・たこ焼き・粉モンの店「コンフォー粉」

 焼き鳥屋台「ストラビンスキー」


 おやじギャグですか。


 「いや火の鳥は食えんだろう」

 「ベートー弁当はまずそうじゃない?」

 大笑いしながら、校内を見て歩いた。

 騒ぎまくるあたしたちの後を、冬実さんが微笑みながらついて来る。


 

 声楽科のステージは2時からだった。

 それまでぶらぶらと、校内を見て歩いた。

 「先輩に会わなくていいの?

  メールとかで、来たこと伝えときなよ」

 室井ちゃんが心配してくれた。 

 「いいよ、本番前はきっと忙しいと思うし」

 答えながら、胸がズキンと痛んだ。

 この痛みはなんだろう。

 考えて見たけれど、わからないうちに治まってしまった。




 お昼を過ぎて、音楽ホールへ向かった。

 その頃には、キャンパスは人でいっぱいだった。

 こんな田舎によくもと言いたい。

 しかも、背広姿の大人が多い。 外国人もかなりいる。

 「音楽関係者が結構来るんですよ」

 切符をもぎってた男子学生が教えてくれた。


 「午後からは、声楽やオーケストラの演奏がメインですから。

  要するに、真面目な演目なんで、その道のプロや報道関係が多くなるんです。

  ここは教授や学生を逆輸入してる関係で、コネクションが幅広いんですよ」


 

 その時だ。

 隣の校舎の裏口から、カラスの集団がぞろぞろ出て来た。

 ダークスーツの男子学生が30人ばかり。

 続いて、黒ワンピの女子の集団が、やっぱり30人。

 吸血鬼のような黒いマントの男性。

 対称的に純白のスーツを着た青年。


 長身の白スーツを見て、思わずあっと叫んだ。

 緑川先輩だ。 悪魔なのに、まるで結婚式の新郎じゃないか。

 なんで白なんだ?



 入口の手前で、先輩があたしに気付いた。

 何か言いたげに振り返るのを、

 「おい、閉めるぞ!」

 先に入った黒マントに急かされて、仕方なく楽屋に入って行った。

 

 あたしのリアクションは、目礼だけになった。

 どうしたことか、また胸が痛み始めた。


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