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48/51

48、だって他人じゃないんだもん

 ところが、運命の女神は長い腕を伸べてくれた。

 「さて、例年ではこれで閉会となるところですが、今回、ある事情により、審査員特別賞を設けることになりました。

  エントリーナンバー8番。

  ‥‥緑川 卓さん」


 会場がざわめいた。

 あたしは思わず立ち上がった。

 異例の受賞だと言う。


 今日の緑川先輩は、演目がマントヴァ公爵だったせいもあって、アクの強い歌い方を心がけていた。

 でも、もともと正統派の歌い手なのだ。

 まだ若いので、方向性を決めてしまうのは早すぎるという意見が出た。

 当コンクールのカラーにはそぐわないと言う審査員もいた。

 出来のよい者には賞を与えるべきだという審査員と、そのあたりで評価が割れたらしい。


 立ち上がったまま、力いっぱい拍手をした。

 でも会場はあっけに取られていた。

 司会者が差し出した掌の先に、先輩の姿はなかった。

 彼はいつの間にか舞台の下に駆け下りていた。

 どよめきが客席をゆるがした。


 「父さん、待って、帰らないで!

  戸隠先生、父を止めて下さい!」

 

 先輩のバリトンが、マイクもないのにはっきりと場内に響いた。

 あたしは手すりに駆け寄った。

 一階席では、戸隠先生が立ち上がって通路に走り出したところだった。

 見覚えのあるおじさんが、出口に向かって階段を登っているのに、先生が追いすがる。


 (さっきのスーツケースおじさん!)

 

 そうか、どこかで見た事があるような気がしたんだ。

 音楽関係の仕事で、しょっちゅう海外へ行っていると聞いたことがある。

 大荷物を持ったこの人が、先輩のお父さんだった!


 よかった。

 勘当した息子でも、やっぱり親なんだ。

 気になって見に来てくれてるんだ、無関心じゃないんだ。

 だったら素直になればいいのに、緑川 父は戸隠先生の手を振り払った。

 

 「緑川さん?‥‥緑川 卓さん」

 司会者の当惑した声が、壊れた機械みたいに先輩の名前を繰り返す。

 こうなると先輩はステージに戻らないわけに行かない。

 緑川 父は構わず出口に向かって突進する。


 あたしはとっさに、自分のハンドバッグを取り上げた。

 短い悲鳴と共に、それをエイと逆さにして、通路に中身を振りまいた。

 お財布やティッシュ、ハンカチやパンフレットがバラバラになって落ちて行く。

 1階席に座った人たちが、ビックリしてこっちを見上げる。

 「すいませんッ」

 すがるような目をして言うと、何人かが立ち上がって、拾い集めてくれた。

 うまい具合に、通路が人で埋まっていく。

 でかいスーツケースが通れなくなり、立ち止まる緑川 父に戸隠先生が追いついた。


 「よしッ」

 あたしも急いで1階に降りる階段へ向かった。

 空になったハンドバッグを振り回しながら走った。



 結局あたしたちは、先輩の受賞の瞬間を見ることは出来なかった。

 緑川父を追いかけて、正面ロビーまで出ていたからだ。

 戸隠先生と奥さんが、一緒に説得しようと頑張ってくれた。


 「本人に会ってからお帰りになって下さい。

  お忙しいのにせっかくきてくださったんですし」

 奥さんが、逃げられないように出口のドア側に立ちはだかって言う。

 「わざわざ来たわけじゃない。

  たまたまだ。 ゲスト審査員のロッティーノと友人なんだ!」と、緑川 父。

 「なら尚更、あわててお帰りにならなくても」

 「夕方の便でプラハへ発つんで忙しいんだ!」

 

緑川 父、追い詰められて子供みたいになってる。

 これ以上切羽詰らせるとかえってまずいな、と思った。


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