47、発表
会場が暗くなりかけた時。
早足で入って来た長身のおじさんが、どっかと前の席に座った。
大きなスーツケースを持った、あのおじさんだ。
身長が高いということは、座高もそれなりと言うことで。
チビのあたしは、いきなり前が見えなくなってしまった。
わきへズレようにも、両側の席は塞がっている。
「おい!あんた!」
戸隠先生が、立ち上がっておじさんの肩をつかんだのであたしは仰天した。
「なんのつもりだ、人がせっかく‥‥」
「あなた」
奥さんが止めに入る。
「や、やめてください先生。
あたし2階席に上がりますから、ね、喧嘩はやめましょう」
あたしは急いで席を立ち、大急ぎで階段へ走った。
おじさんがデカイのもあたしがチビなのも、本人のせいじゃないもんね。
2階席がガラガラなのは、下に居る時からわかってた。
ステージに並んだ出場者を前に、審査員長が総評を述べている間に2階に移ることができた。
ここなら正面最前列に座れる。
下にぐっと乗り出して見ることも出来る。
「‥‥おい」
あきれたことに1階では、戸隠先生とおじさんがまだ小声で何か揉めていた。
じーちゃん、喧嘩っ早すぎるだろ。
司会者が出場者の名前と演目を、順に読み上げ始めてやっと、揉めてた二人が前をむいて口をつぐんだ。
名前を呼ばれた出場者が、客席に一礼する。
緑川先輩の表情は、そこからでもはっきり見えた。
少しばかりの緊張と、唇の端の微笑がアンバランスだ。
不敵な感じがして、いかにも彼らしい。
少しは自信があるらしい。
そう、最低で3位までには入るんじゃないかと、先生も言ってた。
あたしもそう思ったし、会場の反応もよかったんだから。
唐突に、胸の中が熱くなった。
わ。 なんだろう、これ。
発表もまだなのに。
(あたしはこの先、何度こうして彼のステージを見るんだろう)
膨れ上がったのは、そんな他愛ない想像。
これからの一生、彼を見つめるのが日常のひとつになる。
息をするのも忘れて見つめたりするんだろうか。
両手を握り締めて、祈ったりするんだろうか。
感心したりはらはらしたり、涙を浮かべたり。
今まで少しも想像していなかった「未来」が、あたしたちの前にあった。
それがいかに幸せなことかが、こんな時になってわかったのだ。
馬鹿みたい、と思いながら、あたしは発表を前にして涙ぐんでしまった。
「それではお待たせいたしました。
第17回ミューズ記念声楽コンクール、入賞者の発表をいたしましょう」
司会者の声にはっとする。
会場は静まり返っている。
「まず、第3位‥‥エントリーナンバー16番、葉山ゆかりさん、演目は」
違った。全身の力が一瞬抜ける。
ドラムスもわざとらしい演出も何もない、あっさりしたアナウンスだけなので、あっけないほど早く発表が進んだ。
気付いた時には、上位3位全員が前に並んで感涙していた。
(‥‥入らなかった!!)
呆然として背もたれに崩れこむ。
会場がざわざわと落ち着かないのは、あたし以外にも拍子抜けした人がいるからなのか。
先輩も、表情が抜け落ちたようなうつろな顔で会場をぼんやり見ていた。




