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46、コンサートホールにて

 「いったーーーい!」

 ロビーに甲高い声がエコーつきで響いた。

 “あったか~い”と表示された缶コーヒーのボタンを選んでいる時だった。

 後ろを振り向くと、声の主はソファに腰掛けた厚化粧ののおばさんだった。

 隣に腰掛けた大柄な中年男性への抗議の声だったらしい。


 男性は、空港に持ち込むような大きなキャスター付きスーツケースを足元に置いていた。

 それが何かの拍子におばさんの膝に当たったようだ。

 「痛いじゃないの!

  なんでこんなとこにこんな大きな物置いとくんですか」

 「すみません」

 男性はスーツケースを移動させようとする。

 が、両手が塞がっていて思うように動かせない。

 右手に持っているのは、食べかけのハンバーガー。

 左手には飲みかけのコーラが入った紙コップ。


 「非常識ですよ、こんなに人が多いんですから。

  そういう荷物は預けるなりなんなり‥‥」

 おばさんはいつまでもクドクド文句を言っていた。

 男性はうんざりしたように頭を下げて、おばさんをやり過ごそうとしていた。


 そんなに言わなくていいのに。

 こんな大きな荷物は、海外旅行の行きか帰りかだろう。

 座席に残して来ないのは、この男性がひとりで来ているからだろう。

 ロッカーにも入らないサイズの荷物。

 家やホテルに置いて来られないのは、移動時間に余裕がないからだろう。

 それでもこのコンクールに来たかった人なんだ。

 

 (誰か大事な人が出場してるんだろうな)


 そう考えると胸がどきどきした。

 あたしの大事な人も、今ごろ楽屋で自分の胸の鼓動を聞いている。

 審査結果が発表されるまであと20分。




 ミューズホール記念声楽コンクール。

 一次予選と二次予選はひと月前に終っている。

 本選に残った15人が今日の本選で戦う事になった。

 

 あたしのファンこと緑川 卓先輩は、朝からかなり落ち着いて見えた。

 咽喉は本調子でないと言ったけれど、それによる不安は無いようだった。

 戸隠先生と、先生の奥さんとあたし。

 4人で乗った新幹線の中でも、先輩はずっと冗談を言っていた。


 コンクールが始まるや、あたしは急に不安になった。

 最初のひとり目からかなりハイレベルだったからだ。

 アマチュア可、と書かれたコンクールだから学生中心だと思い込んでたあたしは甘かった。

 募集資格を見ると、年齢制限が21歳以上だ。

 15人中、先輩は最年少で一人きりの学生だった。

 

 「あとの連中はセミプロじゃの。

  そういう埋もれた人材を発掘する目的で開かれるコンクールじゃからの」

 戸隠先生の説明によると、咽喉のトラブルで棄権した国際コンクールの方が、応募者の年齢層が若いそうだ。

 これから世界に羽ばたいていく若者を支援する目的で行われるコンクールだからだ。

 今日のミューズコンクールは、それとはちょっと趣が違うらしい。


 「ちょっとクセがあるタイプの歌手が多いですね」

 あたしもすぐに気付いた。

 「面白いけど、ちょっと引く感じになります」

 「個性なのかアクなのかのライン際が多いのがここの特徴じゃの。

  卓は大学でキャラクター的な配役ばかりこなしたもんで、こういうとこに推薦が上がったんじゃろう」

 「室井ちゃんが、えっち系って言いました。

  フェロモン歌手だって」

 「ふはははは」

 戸隠先生がおもわず笑い出して、奥さんにシーッと注意された。  

 

 

 審査のために設けられた、30分間の休憩が終った。

 座席で待っていた戸隠夫妻にコーヒーを手渡して、あたしも席に着く。

 「行け、行け、行けッ」

 「南無八幡大菩薩ッ」

 あたしと戸隠先生は、口の中で小声で祈る。

 会場の緊張状態はピークに達していた。


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