45、修復
そのあと、父が仕事から帰って来た。
あたしは同じように走ってお迎えをした。
「父さんお帰り! もう怪我はいいの?」
「‥‥アヤキ戻ったのか」
父はどういう顔をしてあたしと接したらいいのか、わからない様子だった。
こんなことでビックリされたり戸惑われたりする。
あたし、ホントにこれまで、この人に冷たかったんだね。
「今日からまた全員揃うんだね。
家族が揃うのって、久しぶりだよね」
「アヤキは、家族が揃うと嬉しいのか」
「うん。 みんなと一緒にいたいよ。
父さんとも、ずっと」
父の顔が、魂を抜かれたみたいにふーっと脱力するのがわかった。
家族の生活に馴染もうとしなかった父を、これまで一方的に悪者にしていた。
でも、この人の居場所が、今までこの家にあっただだろうか。
母は、父なんかいないものとして、家の中を切り回していた。
お兄ちゃんは、父がいるときだけ、普通の息子のふりをした。
あたしは他人行儀を貫いた。
誰も本当に、家族として父と繋がろうとはしていなかった。
そう、お兄ちゃんが壊れるよりずっとずっと昔からだ。
人は誰でも、自分を受け入れてくれる人の中にしか住めないのだ。
父はこの家に住むことができず、澱んだ空間に長い間浮いて暮らしていた。
振り返ると、あたしの後ろに母が立っていた。
当惑を隠せないのは、母も同様らしかった。
「何してんの、母さん。
あたしみたいに、父さんに話しかけて。
あの呪文を言うのよ。 約束したでしょう?」
手招くと、母は目を丸くした。
「父さんに? お兄ちゃんじゃなくて?」
「当たり前よ。 母さんがお兄ちゃんを好きなことくらい、本人含めてみんなが知ってるわ。
でも、 父さんを好きなことは、父さん本人も知らないんじゃないかしら」
母は困ったようにため息をついた。
「アヤキ、親をからかっちゃ困るわね。
母さんたちくらいの歳になると、もう好きだの嫌いだのという感じはなくなるって言うか‥‥」
「じゃあ嫌い?」
「そういうんじゃないけど」
「嫌いじゃないってことを、父さんは知ってるの?」
「え?」
「それさえも知らないみたいに、あたしには見えるの。
母さん、あたしね。
今まで愛情って、好きになることと、相手に好きになってもらうことだと思ってたの。
そうじゃないんだって、この一ヶ月でわかったの。
好きになって、そのことを相手に感じてもらうことが愛情なんだよ。
そのあとにこう続けるの。
『それ以上でもなければ、それ以下でもない』って!」
言うだけ言うと、あたしはさっさとその場を立ち去った。
母はおろおろひとりで迷った挙句、あたしが渡したメモ用紙を広げた。
それを読んでいる母の横から、父が覗き込んだ。
小さな紙片をふたりで読んでいる父と母は、結構仲の良い夫婦に見えなくもなかった。
その晩から、お兄ちゃんはピタリとあたしにえっちなことをしなくなった。
ヘンな目で見ている様子もなくなった。
だからといって、何もかも水に流せるわけではない。
でもお兄ちゃんの視線が絡みついて来なくなっただけで、こんなにもと思うほど呼吸が楽になったのだ。
会話らしい会話は、まだ生まれてこない。
でもあれ以来、あたしはお兄ちゃんの前で、時々しょうもないギャグを披露する。
あきれたように口の端で笑うお兄ちゃん。
その目に、小学生の時の輝きが戻ってきている、と思うのはあたしだけだろうか?




