39、種明かし
朝香先生は、更に新しい書類をめくり始めた。
たった一人の患者に、一体何枚書類を作ってるんだろう。
「とにかく、彼と君はしっくりと恋人に移行しなかった。
そして緑川くんは、次の日君の友達の室井汐音から電話を貰う。
それで、君が避妊に苦心していると言うことを知る。
その日だそうだ、彼の声が出なくなったのは」
「あたし、のせいで」
「きっかけはそうだが、別に君の責任じゃない。
どちらかと言うと、彼自身のトラウマが主原因だ。
彼は、君がどんな目に会っても、自分には打ち明けてくれないと悟った。
その思いから、君をひとりにしておくと、黙って死んでしまうような気がして、とても不安になったと言ってる」
自殺。
相手に死なれるのが一番つらい、と確かに以前言ってた。
そんなことにならないようにと、恋敵なのにれんさんとの恋愛に協力してくれたんだ。
「レポレスの初日に、君を検査した時、ひどくうなされただろう。
オレは気になって、軽い催眠療法をやったんだ。
君は覚えてないだろうけどね。
まあ、軽く質問をしただけのことだ。
それで実際、君も限界なんだと感じたのさ。
下手すると、彼の不安が現実になってしまいかねないと思った」
「あたしが自殺すると思ったんですか」
「一度も考えなかった?」
あたしは言葉に詰まった。
考えなかったといったら、嘘になる。
「もうわかっただろう?
君を一ヶ月間、研究対象にしたのはね。
君を拘束して、自殺しないように見張るためだ」
朝香先生は立ち上がり、音高く机を平手で叩いた。
「だけどいいか、うぬぼれるなよ。
オレがここまでしてやってんのは、君のためなんかじゃないからな。
そこに座ってた、彼のためだからな」
先生の指が、あたしが今腰掛けている椅子を指した。
「君がうなされてる時のビデオを、請われてここで彼に見せたんだ。
本当は君のプライバシーだから違法行為なんだがね。
オレの独断で、君らふたりには必要かと思って、見せることにした。
それを見た時の彼の様子は、ひどく痛々しかった。
オレが救いたかったのは、その時の彼だ。
‥‥君じゃないし、君の家族でもない」
「うなされた時、あたし、何か言ってましたか」
「言ってた、というより、こっちが質問したんだ。
お兄さんとのことを、誰に知られるのが一番怖いかと。
君は緑川くんだと答えた。
理由はどうあれ、自分からお兄さんを受け入れているんだと。
だから彼とはもう会わないんだと、君は答えている」
ああ、おぼろげに覚えている。
あたしの夢の中では、質問者は朝香先生ではなく、先輩だった。
先生は厳しい表情で、あたしを見つめてこう言った。
「その席で、君の泣き顔を見て男泣きに泣いて帰った、緑川 卓という患者を、オレは救ってやりたかったんだよ!!」
呆然としているあたしの前で、朝香先生は1枚のCDを取り出して、パソコンのデッキにセットした。
「さあ、君が見たがっていたビデオだ。
一ヶ月前の、泊り込み初日に取った実験記録用の映像だ。
ファンが映ってないと相沢先生は言ったはずだが、確かにそれは嘘だった。
彼はきちんと映っている。
君が自分で確認したまえ」
アパートの室内が、パソコン画面に映し出された。
あたしがベッドから起き上がって、ファンと話をしている。
椅子に斜め掛けに座った長身を見て、おやと首をかしげた。
「これ、何か違ってませんか。
ファンって‥‥こんなんでしたか?」
「何も違っちゃいない」
「だって‥‥印象が違う気がします」
「だから君の見てたのは、幻覚なんだと言ったろう?
まあ待ってろ、もう少しで彼がこっちを向くから」
ビデオの中のあたしが、枕元の受話器を取り上げた。
そう、「ヘンな人がいる」と言って、この時研究室に確認の電話をしたんだっけ。
『どの人だ?』
『この人!』
あたしが立ち上がって、ファンをカメラの方に向かせた。
「ほら、彼の顔をよくごらん」
朝香先生はマウスを操作して、ファンの顔を大写しにした。
あたしは息を飲んで立ち上がった。
「もうわかっただろう?
名前を言いたまえ、彼は誰だ?」
2、3度あえいで、荒い呼吸をしたあと。
あたしはやっと声が出せた。
「緑川先輩です‥‥」
画面いっぱいに映し出された顔。
それは、間違いなくファンの顔だった。
そして同時に、その顔は緑川先輩の顔でもあった。
あたしの頭が、これまでそれを同じ人だと認識できなかっただけなのだ!




