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36、化けの皮

 背の高い人が好きなのは、それなりに理由がある。

 包んで暖めて貰いたいから。

 全身を覆いつくして欲しいから。

 卵をかえすときみたいに、ゆっくりと。


 でもそんなことをしてくれる人は滅多にいなかった。

 男の人は、あたしのカタチを確かめたがった。

 掌でいろんなところを触りたがった。

 身動きするたびに隙間が出来て、そこから風が吹き込んだ。

 体は少しも温まらなかった。


 皮膚を冷やしてゆく風が、あたしに意地悪くこう言った。

 お前はもう卵じゃないんだ。

 暖めてなどやらない。

 守ってなどやらない。

 その殻からさっさと出て来て、この男をお前が暖めろ。


 あたしの体はいつも、孵化する前に取り出されていた。

 殻を裂かれた途端に、あたしは死んでしまった。

 相手を暖める仕事は、死骸がやっていたのだった。


 でもファンは違う。

 ファンはあたしを取り出さない。

 殻のまま大事に暖めてくれる。

 その腕で包んで、外気に触れないように覆ってくれる。



 触れ合った唇で伝えたかった。

 ファン。

 一ヶ月もの間、暖め続けてくれてありがとう。

 家族も恋人も友達も、誰もくれなかったものを与えてくれた。

 そして、最後にキスをありがとう。

 このキスだけは、あなたの衝動でしてくれたものだと信じてる。

 世界一のキスだ。


 あたしの心の中で、コツコツと小気味のいい音がする。

 くちばしが、卵の殻を中からつついて割る音だ。

 あたしの体は温まって、外の涼しさを欲してる。

 やっと生えてきた自分の羽根で、今度はファンを暖めたかった。


 

 狭い洗面台の前から、隣接の風呂場へ移動した。

 洗い場でもう一度唇を合わせ、風呂の蓋の縁に腰掛けた。

 

 そんな場所で何かができるわけじゃないけど。

 キス以上のことが出来るって、わかって欲しかった。

 受け入れる気持ちがあることを伝えたかった。


 

 ファンはキスの後、思いがけずちょっと暴走した。

 あたしは不意に蓋の上に倒された。

 不安定なその場所で、暖かい手の愛撫を受けた。

 恥ずかしかったけど、同時に嬉しかった。


 夢を破ったのは、電話のベルだった。

 出なくても相手はわかってる、相沢・姫神どっちかのデバガメ教授だ。

 フレームアウトが長いから、戻って来いって言うんだろう。


 あたしは体を起こそうとした。

 ファンも上半身を立て直そうとした。

 一瞬、風呂の蓋の同じところに、ふたり同時に負荷をかけてしまったらしい。


 「あ」

 バキッと嫌な音が響いた。

 同時に、あたしは風呂の残り湯の中に、頭から水没した。

 ファンも叫び声と共に、上半身を湯の中に突っ込んだ。


 目まいを起こしながら立ち上がった。

 水から顔を上げたファンと目が合った。

 風呂の蓋にはヒビが入っていた。

 そこから曲がったために、長さが足りなくなってバスタブの中に落ちたのだ。

 ふたりして、面食らって声が出なかった。

 一瞬でふたりとも水浸しになっていた。

 

 電話のベルが鳴り続けていた。

 ファンが笑い出した。

 「ははは、いやその‥‥。こうなりそうな気はしたんだけどね」

 あたしも笑い出した。

 よく考えたら当たり前のことだった。


 大笑いと共に、あたしたちのえっちタイムは終った。


 幸せな時間はそれで終わりだった。

 その晩、眠りについた後、とんでもないことが起こったのだった。



 風呂桶で潜水したせいなのかどうかは、よくわからない。

 とにかくその晩は、薬の効きが悪かったらしい。

 あたしは夜中に目が覚めてしまった。


 枕代わりのファンの腕は、頭の下から消えていた。

 そして、部屋の中でボソボソと話し声がする。

 4人の人間が、室内を動き回っていた。

 一見して、全員大学生に見えた。

 咄嗟にあたしは寝たふりをして、全身の神経を耳に集中させた。


 

 「あちゃー。 これどうすんですか。

  なんで食っちゃったのかなあ。

  手作りケーキなんか、再生できんでしょうが」

 テーブルのわきで、ひとりが文句を言っていた。

 「買って来れば済むもんじゃないんですよ。

  こういうものはさ、手をつけずにいてくれなきゃ」

 

 「それは残せないだろ。

  せっかく作ってくれたのに、傷つける」

 風呂場から声がした。

 あたしは息を飲んだ。

 それは間違いなく、ファンの声だった!


 キッチンから女の子の声がした。

 「ここにレシピがあるから、隣で同じもの作ってみます。

  ひとかけくらいなら、誤魔化せるかも知れないわ」

 「うわー。 先輩がいる日で助かったー。

  俺らだけだったらどうもなりませんよこんなの」

 

 それから4人の学生たちは、部屋の中を点検して、テレビのスイッチを入れたようだった。

 薄目を開けて見てみると、テレビ画面にはこの部屋の様子が映っていた。

 ホームビデオで、テーブルの上を映したものだ。

 ベッドでひとりで眠るあたしが小さく映り込んでいる。

 そのビデオを見ながら、アップになったテーブルの上を、ファンが来る前の状態に再現しようとしているのだった。


 缶コーヒーが買い直されて、運ばれて来た。

 ファンの椅子が部屋の外に運び出されて行った。


 「すまん、ちょっと手伝ってもらえないか。

  湯船の中に、コンタクトを落としちまったんだ」

 ファンが情けないことを言っていた。

 「スケベ心を起こすからです」

 「どうせ見つかりませんよそんなもん。

  あきらめて買いましょうねー」

 学生たちは冷淡に言い放って、自分の仕事を続けた。


 

 寝たふりを続けながら、あたしの心臓は爆発寸前だった。

 ファンは幻なんかじゃなかった。

 姫神グループの学生なんだ。

 バイトが何人かいると、相沢教授が言っていたのが、彼らのことなんだろう。


 そう、ようやく納得が行った。

 学生たちのアルバイトはこれなんだ。

 部屋の再生。 誤魔化し工作。

 一ヶ月間、お見事だった。


 だまされたワケじゃないかも知れない。

 これが「ドッキリ」なんだということは、予想していたからだ。

 でも、ファン。

 彼が演技をしていたということだけは、信じたくなかった。

 あたしはショックから来る震えを、何とか治めようとしていた。


 その時、誰かの怒鳴り声がした。

 外の廊下からだ。

 隣に椅子をかついで出て行った学生の一人が、誰かと言い争っていた。

 

 「さっさと綾姫を出せ!」

 大声が部屋の中に侵入して来た。

 それはあたしの体を棒状に凍りつかせた。

 

 お兄ちゃんの声だ。


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