31、何でも聞いてくれる人
小学校の時の悪ふざけから始まった、お兄ちゃんのいたずら。
高校までに数回の強姦。
れんさんが間に入ってくれて、一旦収まっていた。
それがこの春、また始まってしまった。
どんどんエスカレートしてきて、あたしは家に帰れなくなった。
一番辛いのは、父と母の気力が、もう萎えてしまって、お兄ちゃんを矯正する姿勢にならないことだ。
あたしが歯止めになるのだから、あたしにやらせるしかない、と思っていることだ。
実の娘と息子がそういう関係になってるのに。
どうして思ってくれないんだろう。
殴ってでも蹴ってでも、やめさせようって。
殺してでも殺されてでも、あたしを守ろうって。
聞き終わったファンは、ギュッと目を閉じて、あたしをきつく抱きなおした。
「きみ一人が対処してたのか」
「他にどうしようもないもの。
あたしも親に向かって、『殴られなさい、あたしは知らない』とは言えなかったし」
「避妊もひとりでしてたのか」
「兄貴に言ったってしてくれるわけないわ。
行為自体が無茶なんだもの」
「でもきみが妊娠したら、お兄さんだって困るだろう」
「困るわけないわ。
他の誰かの子だろうって、知らん顔できるじゃない。
兄貴はね、あたしが自分を誘うからこうなったんだって、親には言ってるみたいよ。
母が信じてるとは思えないけど、お兄ちゃんはあたしをインランと思っておきたいんじゃないの。
だから、そうね、あたしのカレシのせいとか言うことになるんじゃない」
「ひどすぎるな」
お兄ちゃんの悪口をひとしきり言ってしまうと、ファンへの苛立ちは消えていった。
「怖いよ、ファン。
ずーっと怖かったよ」
素直に口に出して甘えることが出来た。
「ひとりでずっと頑張ったんだ、きみは偉いな。
強いし、優しいからそれが出来るんだ。
きっとずいぶん辛かっただろう」
ゆっくりと、ファンの掌があたしの背中を撫でる。
ふうっと心が柔らかくなる。
熱い涙が、ドッと溢れてくる。
「毎月毎月、生理が来るまで胃が痛かったの。
一日でも遅れると、夜に涙が出て来て眠れないの」
「今度から、眠れない時は薬を飲んででも寝てしまうといい。
睡眠と言うのは、脳の情報を整理するのにどうしても必要なんだよ。
必要なことを記憶して、要らないことを忘れるためだ。
辛いことがいつまでも心に居座っているのは、寝不足が原因ってこともあるらしいよ」
睡眠の大切さは、ここに来てから思い知らされたんだ。
あたしは黙ってうなずいた。
でも、それだけじゃどうにもならないことがひとつあったのだ。
「今も怖いの」
震える声で言うと、ファンはすぐに察しをつけてくれた。
「今月の生理は?」
あたしは首を振った。
実は、先月から飛んでしまっている。
今月もなかったら、2ヶ月抜けてるってことになる!
「怖くて検査できないの!
だって、もし、もしも陽性とか出ちゃったら‥‥」
あたしは泣きじゃくってファンにしがみついた。
酔っているせいもあって、恥ずかしい気持ちはなかった。
カメラで見られていることも、もう気にならなかった。
ファンの腕に、力がこもった。
その腕は小さく震えていた。
顔を見上げるまでもなく、わかった。
ファンも、泣いてるんだ。
「自分が情けない」
搾り出した彼の声も、震えていた。
「偉そうなことを言っても、結局何一つ力になれないじゃないか」
「そんなこと、ない。
ファンは、今まで会った他の誰より、あたしにパワーをくれてるよ」
「気持ちの問題じゃない!
もっと現実的な助けが、きみには必要なんだ」
あたしは首を振った。
だいぶ落ち着いて来たので、考えたら分かったのだ。
援助が要るのは確かだけど、それは妊娠していた時だろう。
検査をするのは一人で出来るんだ。
泣くのも、家族を罵倒するのも、とにかくその先のことにしたらいい。
「あした、検査セットを買ってくるわ。
もしも陽性だったら、どうしたらいいのかファンも一緒に考えてくれる?」
ヘビーメタル調の「トッカータとフーガ」が流れる部屋で。
8ビートのメロディを聞きながら、あたしたちは泣き泣き眠った。
朝起きるといつものように、彼の姿は消えていた。
缶入りのハイボールは、3缶が空で、3缶が未開封。
やっぱりあたしだけが飲んでる。
そのコトは不思議だったが、それ以上考えない事にした。
部屋の中を調べて、ファンが幻でない証拠をつかもうとする気には、もうなれなかった。
本人が幻だというんだから、それでいいことにしようと思った。
本音を言うと、怖かったのだ。
ファンが幻じゃなく、実在の人物だったとしたら。
緑川先輩よりももっと、あたしの心の近くに寄って来ているこの人。
もし彼が本物の男の人だったら、あたしはレポレス終了後の別れに耐えられるんだろうか。




