30、幻クンと酒盛りを
「おい、大丈夫か?
真っ青じゃないか、気分悪いのか?」
ファンに揺すぶられて、目を覚ました。
「ああッ、酒臭い!
これ、ハイボールじゃないか‥‥3缶も。
何やってんだよ、薬と相乗効果を起こしたらどうする!」
半ば強引に引き起こされた。
朦朧としているあたしに、ファンは冷たいコップを押し付けた。
「ほら、水飲んで!
吐きたかったらトイレに運ぶぞ、ほら!」
目を凝らすと、ちょっと怒ったようなファンの顔。
これがまた、いい感じに二重になっていた。
「ファンが今日は双子だあ」
あたしはヘラヘラ笑った。
「飲みすぎなんだ、馬鹿!」
「ファンも一緒に飲んでよ。 あと3缶あるよ。
お買い得6缶パック買って来たんだもん」
ファンがじろっとあたしを睨む。
「ふたりして酔っ払ったら、誰が介抱するんだよ。
ええ畜生、大学の先生たちも、黙って観察してないで注意してくれりゃいいのに!」
モニターのカメラを振り返って、ファンが毒づいた。
「グダグダうるさいわね。
んもう、飲まないんだったらあたしが飲むわ、かして!」
「ダメだ!」
あたしはふくれっ面になって、ファンを横目でにらみつけた。
自分があんまり情けなくて、どこか歯止めが利かなくなってた。
ファンまであたしに意地悪するんなら、こんな人お払い箱にしてやる。
「わかった。ふーん、そうなんだ。
あたし、今わかっちゃった。
ファンって、ここまで車で来てるんでしょう?
だからお酒が飲めないのね」
あたしは立ち上がって、ベッドから下りた。
実はさっき、寝る前に窓から駐車場を見ていたのだ。
さっきまでなかった車があったら、それがファンの尻尾だ。
窓辺に駆け寄ろうとしたが、さすがに足がもつれてダメだった。
待ち構えたファンの腕の中に倒れこんだ。
「もう、邪魔しないでよ!」
「誰が邪魔した? 手伝ってるんだ」
「なら車を見せなさいよ、幻なんて嘘っぱちなんでしょ!?
あたしの夢だとか理想だとか言って、あなたって普通の学生なんでしょ?
名前だって知ってるわ、姫神くん!」
ファンは怪訝そうな顔であたしを見直した。
「誰と勘違いしてるんだか知らないが」
あたしは悲鳴を上げた。
ファンがあたしの体を軽々と抱き上げて、ガラス窓を全開にしたからだ。
一瞬、窓から放り出されるのかと思った。
「どれが僕の車だ?」
驚いたことに、駐車場には一台の車も停まってなかった。
もともと、ここのアパートは取り壊し前で、ほとんど住人がいないのだと聞いている。
あたしがさっきまで見ていたのも、白線が丸見えの空っぽの駐車場だったのだ。
「酒を飲んだら、事情を話してくれるというなら飲むぞ」
あたしを床に降ろしながら、ファンが穏やかに言った。
上から物を言われてるようでムッとした。
「イヤ。 あなた嘘つきだもの。
あたしのこと除け者にするんでしょう?
大学の先生と結託して、あたしのことだましてデータを取れって言われてるんでしょ?」
「そんなことはしてない」
「信じない、みんな嘘ばっかり!」
「みんなって、誰のことだ。
誰がきみを除け者にしたんだ?」
「教えないッ!」
あたしは子供みたいにソッポを向いてファンを突き放し、ベッドにもぐりこんだ。
頭から布団をかぶると、涙が出て来そうになった。
ファンが大きな吐息をつくのが聞こえた。
それから5分ばかり、静寂が続いた。
ファンが黙っているので、あたしは不安になった。
もしかしたら黙って帰ってしまったんじゃないか。
いや、もしかしてホントに幻だったら、いきなり消滅したりとか。
そーっと布団を頭から剥がした。
音を立てないように、こっそりとファンのほうを伺う。
ファンはいつものキッチンチェアに腰掛けていた。
拗ねたように向こうを向いたまま、ハイボールの缶を思いっきり傾けていた。
意外なスピードで、もう3缶目を飲み干すところだ。
つまり、最後の一本だ。
ファンは空のハイボール缶を、テーブルに放り出した。
それからおもむろに、体をこちらに向けた。
「さあ、仰せの通りに酒を飲んだぞ。
何があったか聞こうじゃないか」
あたしは首を振った。
まさか飲むとは思ってなかったし、もともと話す気もなかったのだ。
「いやか」
「いやよ」
「どうしたら話せる?」
「話なんて出来ないわ、ファンは男の人だし、ここはたくさんの人に覗かれて、聞かれてるのよ」
「ああ。 そうか、悪かった。
きみの言い分はもっともだ」
ファンは立ち上がって、あたしのバッグを取り上げた。
「きみの携帯を貸してくれ。
充電器も持って来てるね?」
「どうするの」
「デバガメ連中には、名曲を鑑賞しててもらうのさ。
さあ、ちょっと立って携帯出して」
「あたしがするの?」
「幻覚の僕に出来ると思うか?」
あたしがしぶしぶ立ち上がると、彼は携帯を渡しながら、
「激しいのがいいな。
『トッカータとフーガ』のロックバージョンがあっただろう。
あれを流してやろう」
あたしは仰天した。
確かにあたしの携帯には、プリインストールのトコにその曲が入っている。
8ビートのクラシックは面白い趣向で、個人的には気に入っていた。
でもあまりにやかましいので、誰の呼び出し音にも指定してない。
「人の携帯を見たの?」
「見てないが、きみの好きなものは知ってる。 それだけだ。
さあ立って、セットしてくれ、手伝うから!」
相手の勢いに気圧されて、あたしは立ち上がった。
言われるままに携帯を充電状態にし、「トッカータとフーガ」をかけた。
ボリュームをMAXにして、カメラのマイクに密着させてセットした。
あたしの足元がふらつくたびに、ファンが支えてくれた。
「でも、ねえ、叱られないかなあ。
モニターを聞こえなくしちゃったら」
大音量のロックはメチャメチャうるさかった。
でも、携帯の小さいボディからの音だ。
カメラから離れてお互いが至近距離になると、会話に不自由するほどじゃない。
「構うもんか。
きみが何をやらかすかを観察するのが目的なんだろ。
変わったコトやりだしたって、喜んでるさ。
どうでもまずかったら、電話がかかるだろう」
ファンはあたしを担ぐように運んで、ベッドに戻って来た。
その夜。
あたしはファンの腕の中で、これまで誰にもしたことのない話を告白した。
あたしと兄貴の、悪夢の関係を。
れんさんに打ち明けたころよりも、何段階も悪化してしまった、今の我が家のことを。




