3、ひねくれ研究会
姫神教授は大柄だ。
正確に言うと、雲を突くような大男だ。
うちのお兄ちゃんも長身だけど、そんなもんじゃない。
多分、あたしが知ってる人間の中で、一番でかい。
顔立ちは、中東付近の香りがする。
趣味で遺跡を廻るというだけあって、学者とは思えないほど日に焼けている。
トータルすると、どうにも日本人に見えない。
しかも人相がアヤシイ。
愛想が悪いわけじゃない。 なのに何故か悪人に見える。
ヨルダン辺りの暗がりで、イケナイ薬を売っていそうだ。
「ふたりとも、レポレス希望か」
あたしと室井ちゃんの顔を見て、教授が尋ねた。
その口から日本語が流れ出ることに、一瞬の違和感を感じる。
「あたしは付き添いです」と、室井ちゃん。
「室井 汐音だな。
あんたは要らんのか、発達心理学の単位」
「はいッ、要りません」
元気な即答に、教授が呆れ顔になった。
「もう少し言い方があるだろう。
お世辞にでも、苦渋の決断を匂わせるような情緒はないのかね」
「いえもうバッサリ捨てますとも」
室井ちゃんは、昼休みからカンカンに怒ってるのだ。
無理もない。 あたしだって怒る。
レポートの締め切りが今日の午前9時だったのは、もう仕方ない。
でも、未提出者の張り紙が、そのあと12時だったのはどうだ。
前日からチェックして、待ち構えていたってことだ。
ふつうは次の日とか、せめて放課後まで待つんじゃないだろうか。
この教授、絶対性格悪い!
やれやれと呆れたあとで、教授はあたしに向き直った。
「とりあえず、レポレスの概要を説明しよう。
一部に誤解と不安をあおる噂が流れているようだが、正しく把握して欲しい。
研究チームの名前は、『役立たず』
研究テーマは、『出来るだけ無用なもの』」
「はああ?」
「チーム役立たず」は、中央大学の研究室が中心になって作ったグループだった。
学生もいれば、教授や博士もいる。
深夜活動になるのは、自主的に集まったチームだからだ。
正規の業務が終ってからでないと活動できないのだ。
「ただ知りたいから、研究する。 素晴らしいことではないかね。
もともと研究とは、かくあるべきだと思わんか」
教授は胸を張って言い切った。
「何かの役に立つかどうかは、突き詰めて見なけりゃわからんもんさ。
だが、実際にはそうも言っておられん。
給料もらって経費を使って、何の役に立つかもわからん研究を、延々とやるわけに行かん。
そこで我々は、業務時間にしたくても出来ない研究を、深夜に細々とやっておるわけさ」
「つまりは、趣味の研究会ですか」と、あたし。
「学者の憂さ晴らし、ですね」と、室井ちゃん。
「身も蓋もない言い方をするな!」と、姫神教授。
人体実験と言っても、脳波を測る程度なので危険はない。
しかし、そういうわけで研究費が出ないから、アルバイトとして募集が出来ない。
教授たちがポケットマネーで会費集めて、時給はボロ安の300円。
それでは誰もやりたがらないので、単位をおまけに出してるわけだ。
「あーや、やっぱやめなよ。
時給300円で最低単位もらってどうすんの。
来期で単位取り直した方が絶対いいって」
室井ちゃんが言うことは正しいと思う。
多分、卒業間近で単位ギリギリの学生しか、こんなことやらないだろう。
でも、あたしが欲しいのは単位じゃない。
アルバイト代ですら、どうでもいい。
「やります。 お願いします」
頭を下げると、教授がホウと唸った。
「ではまず、保護者の許可が要る。
これを読んで、印鑑貰って来てくれ。
それからスケジュールを決めなきゃならん。
この紙に丸を入れといてくれ。 スタッフが集まれる日が書いてある」
差し出されたプリントを見て、がっかりした。
週に2日程度しかない。
母が退院するまで、3日しか活動日がないのだ。
「そりゃ当たり前だろう。
スタッフは昼間も仕事をしておる人間だぞ。
毎日やったら寝不足で死んじまう。
あんたが来れる日を実験日にするからな」
まあいいや。 大事なのは、母が許可を出すということ。
お兄ちゃんを納得させる理由ができる。
スケジュール表なんか、家族に見せなきゃいいんだ。
あたしは近い順に10日数えて、しっかりと丸をつけた。