29、NO!メリ子さん
木枯らしが吹き始めた街の中。
八越デパート前の待ち合わせ広場に、大きなツリーが立った。
毎年恒例になった、ツリーの点灯式が行われた。
そのイベントに、うちのコーラス部は全員で出演した。
BGM代わりに、賛美歌やクリスマスキャロルを歌うのが、毎年の活動らしい。
ツリーはもみの木じゃなくて、箱型の変てこなオブジェだった。
カウントダウンして、電飾に明かりが点ると、それが立派なツリーに見えるから不思議だ。
「諸人こぞりて」「ハレルヤ」「きよしこの夜」
寒い中でも、あたしは声の調子が良かった。
最高音まで楽々と出た。
充分眠っておくことって、こんなに大事なんだ。
ファンに感謝だね。
広場に集まった人の顔を見る余裕が出来た。
ほとんどの人が、あたしたちの顔なんて見てない。
ツリーの美しさに見とれているからだ。
そんな中で、あたしの視線は一人の女性とぶつかった。
その女の人は、見開いた目であたしの顔を凝視していた。
(えーと、誰だっけ。
能登だか、能美だかって言った‥‥)
正式に名乗られたわけじゃないから、思い出せない。
パートはソプラノ。
「魔王」のステージで、母親の声を歌った。
音大の寮に泊めて貰ったあの晩、お兄ちゃんに電話をかけるのを手伝ってもらった。
そして、緑川先輩を「スグル君」と呼んだ、あの女性だ。
目が合った途端。
彼女は人ごみを掻き分けて、最前列に出て来た。
睨み付けるように、あたしのことを見ていた。
歌が終って、退出する時に、付いてこっちに歩いてくる彼女を見て、覚悟を決めた。
解散の礼が済むや、あたしは自分から彼女に駆け寄った。
「お久しぶりです。
あの時はお世話になりました!」
声をかけられる前に、先手を取って頭を下げた。
先にペースを作られると、こういうタイプは厄介だ。
あたし、間壁先輩の時にいっぱい学習したんだから!
「それとすみません。
お名前を忘れてしまいました。
もう一度教えて頂けませんか」
相手は悔しさと驚きが混じった表情で、目を見張った。
「忘れたもなにも、あなたに名乗った覚えはないわね。
能美 恵理子と言います」
「めり子さん?」
「え・り・こ!」
怒ることないじゃん、怖いなあ。
ホントに聞こえたんだもん、ノー・メリコって。
メリ子は顎で指すような横柄な態度で、あたしをデパートの中に誘導した。
エレベーター脇の、ベンチルームだ。
「あなたも歌う人だったのね」
座ると同時に、彼女が言った。
「それもソプラノだったなんて知らなかった。
‥‥素人だけどね」
いちいち腹の立つ言い方をする。
「で、何なんですか?」
わざとニコニコ聞いてやった。
でも、相手の次の言葉を聞いて、作り笑いなんて消滅してしまった。
「スグル君のこと聞きたいのよ。
今、彼どうしてるの?
病院には通ってるの?
治療は進んでるの?」
「治療ってなんですか?
スグルさん、ウィーンにいるんじゃないんですか?」
逆に質問したあたしを、メリ子は信じられないと言うように睨んだ。
「何!? あなた、もしかして知らないの?
彼女のクセに、なんで?」
「こ、国際コンクールに行ったんじゃないんですか!?」
「ばかねえ、サイテー!」
頭から叩きつけるように叫ばれて、あたしは青くなった。
絶句するあたしに、メリ子はおっかぶせるように告げた。
「国際コンクールの練習中だった。
彼、急に声が出なくなったからって早退したのよ。
翌日、声帯の検査受けに家に帰って、そのまま学校に戻ってこないのよ!」
「こ、コンクールは?」
「棄権したわよ、当然じゃないの。
今月末には、別のコンクールを予定してるの。
こっちは国内コンクールで、つまり滑り止めみたいなもんだったのよ。
今、そっちに間に合うかどうか、みんなで心配してるんだから!」
あたし、何も聞いてない。
毎日のようにメールを貰いながら、なんでこんな大事なことを知らないんだろう。
なんで、他の人から教えてもらったりしなきゃならないんだろう!?
メリ子と分かれてすぐ、緑川先輩の携帯に電話を入れた。
何回コールしても返事はなかった。
これまで遠慮してたんだ。
メールが来ないときも、ウィーンまで電話したら迷惑かと思って。
でも今日は、伝言を入れて待ってても、全然応答しなかった。
何度目かの電話で、やっと取ってくれた。
でも、先輩本人じゃなかった。
老人の声。
「キンギョちゃん。
心配かけてすまんのう」
「戸隠先生!!」
先生は、いたたまれない様子で声を落とし、すまんすまんと謝り続けた。
「いろいろあって、今は話すことが出来ん状態じゃ」
「そんなに悪いんですか」
「いいや、日常生活に支障はないんじゃが。
年末のコンクールに間に合わせるために、急ピッチの治療になっとるでの」
「声を出しちゃいけないんですね。
だったら、メールくらい‥‥」
「わしが携帯を取り上げたんじゃ。
持っておるとつい、急ぎの電話には出てしまうからの」
そんなことは関係ないんじゃないかと思った。
連絡が取りたかったら、伝言でも、手紙でも、なんとでもなるんだから。
「大体なんで、声が出なくなるほど無茶な練習したんですか?」
「無茶はしとらん、問題は『大地礼賛』じゃ」
「ストラビンスキーの?」
「そう、あの曲は鬼門での。
高校時代に一度、あれをアレンジした曲で伴奏を頼まれたんじゃ。
あの馬鹿は当日、高熱を出して寝込みおっての。
大騒ぎで朝、代役を探して結局ワシが弾きに行った」
「それが、今回の試験曲ですか?」
「いやいやいや、エンディングの締めに歌う、全体合唱の曲じゃ。
初見で歌えるように、アレンジしてあっての。
会場と一緒に歌いながら解散するための曲、よくあるじゃろうが。
国際コンクールの出場が決まった時点で、パンフレットと一緒に届いたんじゃが。
それを見た頃から、あいつはどうも不調でのう。
呪いでもかかっておるんじゃないかのう」
呪いの話なら、以前にも聞いたことがある。
「呪いのキーボード」の話だ。
そしてそれが偽者だったこともちゃんと覚えてるぞ。
そんな迷信よりも、現実の方がずっとショッキングだ。
「スグルさん、今どうしてるんですか」
「こっちに帰って来ておる、今は留守じゃが心配ない」
「だったら、あたしがそっちに伺います。
会いたいって伝えて、家に帰ってる時間を聞いて連絡ください、先生」
「もちろん伝えよう、じゃがのう、キンギョちゃん」
優しい受容の後に、戸隠先生はひとつ、固い現実を突っこんだ。
「ワシからお願いじゃ。
男には、意地やカッコづけが必要なことがあるんじゃ。
わかってやれ、とは言わんが、頭の隅においといてくれんかの」
男の意地なら、よーく知ってるよ。
お兄ちゃんでさんざん見てきたもん。
下らない理由で、人に頭を下げるのがイヤになったりするんでしょ。
相手が意見を言うと、『ひけらかされた』と感じて怒ったりするんでしょ。
「男ってものは」って、やたらひとくくりにして、個人の意見じゃないみたいに見せるんでしょ。
緑川先輩は、違うと思ってた。
彼は、あのしょうもないプライドからは自由だと思ってた。
そんな事の為に、スジの通らないことをする人じゃないと思ってたんだ。
その日のショックには、まだ続きがあった。
別件で電話をかけてきた、室井ちゃんがそれを持って来た。
「聞いて聞いて」
あたしはつい、室井ちゃんに緑川先輩のことを愚痴ってしまった。
彼女は先輩と面識がある。
共通の知識がある彼女に、ポンポンと意見を言って欲しかったのだ。
「国際コンクール、キャンセルか。
魔王、落ち込んでんだろうなあ」
室井ちゃんの反応は、意外にテンション低めだった。
「でも、ああいうコンクール出場者は、出場を勧められた時点で、一定のレベルに達してるからさ。
咽喉が治ったら、また別口のお声がどんどんかかるはずだよ」
「そんなこと心配してるんじゃないわ」
「うん、3年生は就職の心配もしないとねえ」
「違うってば!!」
あたしは声を大きくした。
「室井ちゃん、あたしは怒ってんの。
どうしてそんな大事なことを、あたしだけ知らないのよ?
メールの1本も打って、知らせてくれたっていい思わない?」
「ふーん。 魔王が水臭いとか、自分が後回しにされたとか。
あーや、それで怒ってるんだ」
室井ちゃん、意味ありげにひとりうなずく。
「含みのある言い方するわね、何なの?」
「あーやだって、人のこと言えないと思うってこと」
「え?」
「魔王に相談できないこと、あるんじゃないか?
魔王はさ、あーやに何でも話してくれって言ってんだろ。
でも、大事なことは少しも言ってくれないって愚痴ってた」
「彼が言ったの? いつ?」
「この前、電話で聞いた。
コンクールの祝勝会のときにケータイ番号交換したんだ。
『3人魔王』のCDが欲しくって、送ってもらったからその連絡の為にだけど」
あたしはちょっとムッとした。
その話も初めて聞く。
緑川先輩と室井ちゃんが、あたしにナイショであたしの噂話なんかしてるって、なんだかイヤだった。
「気に入らない?
でも、あーやだってすごい秘密主義じゃんか。
あたしに隠してる事だって、あるだろ」
室井ちゃんに言われて、心臓が縮み上がった。
「何の話か分かんない‥‥」
つぶやきながら、耳を塞ぎたくなった。
そう、あたしはなんとなく感じてたんだ。
室井ちゃんには、ばれてるって。
彼女は容赦なく、その秘密を舌に乗せた。
「あーやは、毎日ピルを飲んでるよね。
姉貴がそう言ったよ、胃薬と一緒に飲んでるのはゼッタイ避妊薬だって。
でも、あたしには貧血の薬って言った」
「そ、そうよ。
きっとお姉さんが間違えたんだわ」
必死でごまかそうとするあたしの顔を、室井ちゃんは横目で見た。
「もうふたつあるよ。
あーやはあたしんちに泊まった時、朝早くそっとベル鳴らして、体温計咥えてた。
あんな時まで欠かさずに基礎体温を計ってる」
「だって、あたし生理不順だから‥‥」
「手帳のカレンダーを、真赤になるまでオギノ計算に使うのも?」
あたしは言葉に詰まって、下を向いてしまった。
「だからあたし、思い切って魔王に言っちゃったんだ」
室井ちゃんは、ちょっとだけ申し訳なさそうに声を落とした。
あたしの背中がこわばった。
「何を言ったの‥‥?」
「その‥‥魔王は、避妊もしてやらないのかって。
男の責任だから、ちゃんとアレ着けてあげてって!」
頭の中が真白になった。
緑川先輩は、知ってた!
あたしとおにいちゃんのコトだって、気付いたはずだ。
知ってた! 知ってたんだ!!




