25、腕の中の天国
「はいよ、おはようさん」
受話器から、姫神教授の声。
徹夜明けの眠そうな声だ。
「おはようございます。あの、うかがいたいことが」
「お。 ずいぶんスッキリした顔になっとるな。
夕べはよく眠れたか?」
「はい」
「あの薬には、弱いが睡眠薬も含まれとるらしいからな。
ビデオを切るかね」
「はい。 で、あの、報告書を書くんですけど。
夕べのあの人って、ホントにモニターに入ってなかったんですか」
「私も見ておったが、あんたひとりしか映っておらんな」
「そのビデオ、今から見に行ってもいいですか」
どうにも納得いかないので、報告する前に確認がしたかったのだ。
ところが。
「きみはアホウかね」
姫神教授に叱られた。
「被験者に実験の様子を見せるわけないだろうが。
見せるとしたら、終了後だ。
ビデオに写った現実と、本人の認識のズレを観察してるのに、修正したら意味がない。
本当はビデオに映ってないことも言うまいかと思ったくらいだ」
そういわれても信じられない。
あんなにハッキリしたものが、幻だなんて。
それを言うと、教授はうんざりした様子で説明、というより罵倒した。
「幻覚が全て、ピンクの象や半透明の幽霊みたいな、頼りない印象のものだと思っていたのかね。
メルヘンじゃないんだぞ、幻覚ってのは本人にとっては限りなくリアルな物なんだ。
脳と言うのは、その人の記憶を管理しておる。
記憶を再生するのも現実を認識するのも、脳の命令あったればこそ出来ることだ。
その脳が人に別の現実を与えているのに、非現実に見えるような方法で再生すると思うかね?」
「でも触った感じも‥‥」
「触感の再生だって、脳の支配下でするんだ。
いくらでもリアルに感じるだろうさ」
反論できなかった。
音大に泊まった時に、夢の中で聞いたお兄ちゃんの声。
思い出しても、ホントにリアルだった。
あれが夢だなんてとても思えないけど、夢だったんだもの。
増してや、今回のは薬物の力まで働いているんだ。
「報告書には、きみの見たとおりのことを書いてくれ。
その見知らぬ人間ときみが話したことも、思いだせる限り書いておくんだ。
それから、一時限目の講義は私の発達心理学だ。
遅刻は許さんぞ」
姫神教授、咽喉の奥でグルルと吼えるように笑った。
「あーや!どうよ実験は!」
大学に着くなり駆け寄ってきた室井ちゃん。
あたしの顔を覗き込んで、呆れ顔になった。
「やっだー、何よそのモロに満ち足りたよーって顔は。
もー。 ホルモンもりもりお肌ツヤツヤじゃん!
実験なんて嘘ついて、どっかからオトコを充填してないだろーなあ?」
ほっぺをつつかれて、急に恥ずかしくなった。
あの添い寝でホルモンが満ち足りたとしたら。
オトコを充填って図星かも。
「あたし、今までそんなにやつれてたわけ?」
「そりゃもー! 痛々しかったよ。
それにほら、そんな風に物を食べてる姿も、久々に見る気するし」
「ほぁ?」
ほお張ったウィンナーロールを吹き出しそうになる。
朝食代わりに学食で買ったパンだ。
確かに、朝起きてお腹がすいていたのも久しぶりのように感じる。
幻クンサマサマ、というわけかな。




