24、それが理想の愛の形
「その広瀬くんってのは、モトカレなんだね」
幻の“自称『理想のカレシ』くん”が言った。
椅子の背もたれに回した長い腕に、ゴツ過ぎないきれいな筋肉が付いてる。
この外見は、ホントにあたし好みだ。
「カレシとはちょっと違うよ。
広瀬 廉さんは、結局捕まらなかった人なの」
「どっちでもいいけどさ。
で? その人とキスした時、悲鳴は?」
あたしは首を振った。
「れんさんは、あたしから好きになって、あたしが誘ったの。
キスされて泣いちゃったけど、悲鳴なんて‥‥。
なんで先輩の時だけ、あんなに恥ずかしかったか知りたいの」
「その緑川先輩ってのは、向こうの方が熱心なんだ」
「そうよ。だから、こっちがその気になってないから恥ずかしいのかと思って」
「で、実験したんだね。
つまり僕は、こっちが一方的に好きなパターンの代表として実験対象になったと」
「あ。 まあそういうことになるわね」
我ながら冷たい台詞だとは思う。
でも、面識の無いこの人に、少しでも気があるほうがおかしいんだから仕方ない。
幻クン、少しも気に障った様子はなく笑った。
「で、結局僕とでは悲鳴は出なかったと」
「恥ずかしくもなかったわ」
「なんかそうあっさり言われると、複雑な気分だな」
「悩まないでよ、妄想のクセに」
あたし、ずい分ひどいこと言ってる。 でも自分で妄想だと言い張ってる人を相手に、気を遣う気にはならない。
横になって喋ってるうちに、がぜん眠くなって来た。
「眠っていいよ。
薬が切れるまでは、このままいるから」
「薬が切れたら、帰っちゃうの?」
「何言ってんだよ。
帰るとこあるわけないだろ、そもそも幻覚なんだからな」
「どうでも妄想で通すんだぁ」
あたし、半分眠りながらきゃっきゃと笑った。
「ね。 あなたって、あたしの理想なんだよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、あたしの願いをかなえてくれるわね?」
「いいよ、何?」
「一緒に寝て」
何のためらいもなく言ってしまった。
だってホントに半分、夢の中だったのだ。
「手をつないで寝るの。
でも、えっちはナシなのよ」
「それが理想?」
「理想ってか、見果てぬ夢なのよ。
男の人って、絶対にじっと寝かせてはくれないじゃない。
ずーっと思ってたのよ。
胸板にドーンと頭を乗っけて、体全部預けて眠りこけたら、さぞ気持ちいいだろうなって」
普通は男の人にそんなこと言ったら、しめしめなんて思われて、お持ち帰りされてしまう。
だから今まで、誰にも言ったことがなかった。
でも幻クンは、自分をあたしの理想と言い張ってる。
だったら、出来ないなんて言わせない。
彼は、同感という顔ではなかったが、ともあれフンフンとうなずいて、
「いいよ。 添い寝ってことだよね」
羽織っていた薄手のジャケットをさらりと脱ぐと、あっさりベッドに入って来た。
あたしは喜んで、彼の腕の中にもぐりこんだ。
胸板の上に頭を乗せてみた。
でもこれは高すぎて、枕には不向きと気付いた。
それで、腕枕に切り替えてもらった。
脇の下にうずまるようにしてヌクヌクすると、予想以上に気持ちが良かった。
すぐに、体が沈む感覚に襲われた。
ああ、眠い。
気持ちがいい。
幻クンが幻じゃなかったら、大変だな。
生身のオトコだったら、えらい事になるな。
頭の隅でふと思ったが、眠くて悩む気にならなかった。
何日ぶりかで、超絶級の爆睡ができた。
いきなり夏になったかと思った。
目が覚めた時、ものすごく明るかったからだ。
夜が明けていた。
でもこの日まで、ただ夜が明けただけでは、こんなに明るく感じなかったのだ。
起き上がって、朝日が明るい理由を考えた。
頭が妙にスッキリしていた。
そうか。 簡単なことだ。
ちゃんと眠ったから、ちゃんと目が覚めたんだ。
これまでがきちんと眠れてなかったんだ。
幻クンのことを思い出したのはその後だった。
ベッドにも部屋の中にも、彼の姿はなかった。
キッチンに行ってみると、食卓用の椅子は確かに置いてある。
でも、椅子のデザインは微妙に違う。
他の場所も探してみたけど、記憶の中にある椅子は見つからなかった。
ベッドわきのサイドテーブル。
文庫本が一冊、放り出してあった。
幻クンが読んでいた本だ。
それを持って来たのは彼でなく、あたしだ。
そこに放り出しておいたのも、あたし。
本のタイトルは、「獄中記」。
オスカー・ワイルドの手記だ。
カバーのない表紙が古びてボロボロになった、汚い本だ。
実はあたしが音大の寮から盗んで来た。
緑川先輩からのチケットがはさんであった、あの本だ。
先輩が感動して泣いたと言ったのは、この本だと思う。
ちゃんと読みたくて、つい持って帰ってしまった。
いつも数ページで眠くなってしまうので、まださほど読んではいないけど、ここなら読めるかと持ち込んだものだ。
結局、家中探しても、幻クンが実在した証拠は見つからなかった。




