14、柘植君とデート
その晩はひとつ、ラッキーなことがあった。
同じサークルの男の子に、デートのお誘いを貰ったのだ。
と言っても、彼が好みだとか、そういうラッキーじゃない。
彼の差し出したチケットが、「オールナイト・シネマラソン」だったからだ。
映画館で、朝まで座っていられる!
あたしは後先考えずに、それに飛びついてしまった。
「シネマラソン」は、うちの大学の映画サークルが企画している。
市内のある映画館と交渉が成立している。
月に一度プランを立てて、一晩だけ特別なものを上映してもらう。
この晩の企画は、「ハリーポッターぶっ通し!!」
シリーズ物を、1作目から全部続けて上映する。
これまでにも、「007ぶっ通し!」「エイリアンぶっ通し!」「スターウォーズぶっ通し!」等の企画が好評を博してきた。
これでもかのマラソン上映、客は当然、徹夜である。
疲れて好きな時に帰ってしまっても、料金は一律。
チケットを持って来た柘植という男の子は、テノールに所属する実力派だ。
仏教系の合唱名門校の出身だとかで、1年ながらソロを貰ったりしている。
でも、女の子たちの評判はすこぶるよろしくない。
室井ちゃんなんて、「キモッ」の一言しか、こいつのために発したことがないくらいだ。
うじうじ、モジモジした印象がイヤなのだそうだ。
人見知りなのか、話しかけてくるまでに何十分も、後ろでウロウロしている。
でも今回は、素直に感謝だ。
ファミレスに、ひとりで長居して、店員にいぶかられるよりずっとマシ。
映画の2本目初盤で、早くも眠くなった。
「寝ちゃってもいい?」
柘植に聞いたら、コクコクうなずく。
あたし、ずいぶんリラックスしてるな。
緑川先輩には、多分こんな事聞けないよね。
安心した途端、深く強烈な眠りがあたしの意識を奪った。
ところが。
目を開けると、見知らぬ小さな部屋にいた。
パイプチェアを4つも並べた上に寝かされていた。
床のコンクリから伝わる、人のざわめきと足音。
また夢を見てるの?
「あ! かなをさん、大丈夫か?」
ドア際にいた柘植が、すっ飛んできた。
「ああ、動かないで!
今、救急車が来るからね!」
「はあ?」
確かに近づいて来る。
ピーポー、ピーポーとサイレンの音。
あたしは跳ね起きた。
「う、動けるの?」と、柘植。
「そりゃ動けるわよ、寝てただけだもん!」と、あたし。
「だって、かなをさん、声かけても揺すっても、反応がなくて。
係員の人が救護室に運んでくれても、起きなかったから」
‥‥ウソだろ。
そりゃあたしは、爆睡すると起きにくいタチだけど。
救急車の音が、建物の前で止まった。
「やだ! どうすんのよ、柘植くんなんとかして!」
柘植は、オロオロと部屋の中を見回した。
そしていきなりあたしの手を取り、走り出した。
ドアを開け、薄暗い通路に出る。
小さな映画館だから、いくらも走らないでロビーまで出て来れた。
ガラス扉の外は、飲み屋街のネオンだ。
人ごみが出来始めてる。
その人垣の中に、二人して走り込んだ。
「ど、どうすんの?」
「このまま、逃げる!」
わー。 よい子はマネをしないでくださーい!!
深夜の繁華街を、手をつないで走る。
時間は2時半、人通りはちらほらだ。
2次会上がりの酔っ払い集団が、奇声を上げている。
走り遅れるあたしの手を、柘植が無言でグイグイ引っ張る。
裏通りに走りこむと、ようやく人目が途絶えた。
足を止めて息を弾ませる暇もなく、とんでもない勢いで抱き締められた。
柘植の息も乱れていた。
普段オドオドしているくせに、大胆なことをする。
さすがに驚いて、引き離そうとした。
でも。
「かなをさん、死んでるのかと思った!」
柘植が泣きそうな声で言った。
「よかった、生きてて。 元気で!」
押し戻そうとした腕の力が抜けた。
心の中に、暖かいものが湧いて来た。
好きではないタイプの男の子。
汗ばんだ腕、火照って熱い体。
絡み合う白い息。
普通なら不快なはずの物が、心地よかった。
人の腕の中の優しいぬくもりを、長いこと忘れていた。
れんさんに失恋した後。
緑川先輩に、こうして抱いて貰った。
どうして、あの腕の中にいられないのかなあ。
どうしてあたしばっかり、欲しいものをあきらめなきゃいけないのかなあ。
「かなをさん」
柘植の声が、耳元でする。
子宮をくすぐる、テノールだ。
「カレシ、いる?」
あたしは首を振った。
「好きな人は?」
もう一度、首を振る。
「カレシにしたかった人は、いるんだけどね」
「ダメだったの?」
「ダメなのよ」
「じゃあ、僕と一緒だ」
「柘植くんも?」
彼の言葉の意味が分からず、間抜けな質問をしてしまった。
「たった今、かなをさんにふられたじゃないか」
「あ」
あわてて相手の胸から顔を離した。
「‥‥ごめん」
「謝られても」
それもそうだ。
「ごめんついでに、夜が明けるまでお茶を付き合って?」
涙が出そうなのを、隠さずに言えた。
寒い夜の、冷たい夜明け。
人の情にすがって、暖を取る。