12、自称ホームレス
ブザーの音は、ますます大きくなって神経を逆撫でする。
「あああもう、やかましいわッ!!」
腹が立って怒鳴り散らした。
「新幹線でも発車させる気?
誰か止めに行きなさいよ、イライラするわね!!」
叫びながら、目を開けた。
上から覗き込まれて、しきりに肩を揺さぶられていた。
「おいきみ、かなをくん!
大丈夫か? もう時間だから、起きてくれんかね」
白衣を着た、中年のオジサンだった。
目ばかりギョロギョロして、ちょっとコミカルな顔だ。
彼の名前は、確か‥‥。
「相沢先生‥‥?」
「目が覚めたかね」
先生はあたしの枕元に手を伸ばした。
鳴り続けるブザーが止まった。
まぶしいライトが、目に突き刺さる。
ベッドの周囲が、白いカーテンで仕切ってあった。
「‥‥病院?」
口の中でつぶやいたら、先生の口からため息がこぼれた。
「しっかりしてくれ、ここは病院じゃなくて研究室だ。
中央大学の、医学部の研究室だよ」
「ああ‥‥そうでした、レポレスをしに来たんでしたね」
あたしは体を起こし、頭を振った。
ガシャガシャと音がした。
「おいおい、手荒なことをやらんでくれ」
相沢先生は、あわててあたしの頭にかぶさった、電飾帽子みたいな装置を外した。
脳波や脳内活動を観測する装置だ。
ついでに、手首と足首の心電図を取る装置も外してもらう。
そう、ここは姫神レポレスの実験本部。
中央大学医学部の端っこにあるラボの片隅だ。
時計を見ると、夜11時を回ったところだった。
睡眠時の脳波を計っていたのだ。
つまり、今のは夢だったということ?
だとしたら、どこからが夢だったんだろう?
現実との境界線がはっきりしない。
この前の、M音大の時もそうだった。
あたし、頭がおかしくなって来てるんじゃないだろうか。
カーテンから出て行くと、ラボのデスクに呼ばれた。
白衣の男性が、6人ばかりいる。
デスクで書き物をしていた姫神教授が立ち上がり、椅子を持って来てくれた。
「ほおら、やっぱり無理だろうが」
姫神教授は、デスクいっぱいにデータの用紙を広げた。
赤点のテストみたいに、バッテンがいっぱい付いた紙だった。
今日最初にここに来たのは、夜8時前だった。
まず今日は、基礎的なメディカルチェックをすると言われた。
被検体としての適性を見るためだ。
心電図、血液検査に始まり、ストレスの度合いを調べるための幾つかの検査をした。
呼吸数測定や、唾液の採取までされた。
人間ドック並みだ。
その結果。
「残念ながらあんたは、被験者にはなれそうにないな。
健康状態が悪すぎる、この数値を見ろ。
貧血はひどいし、栄養失調気味だし。
ストレスの度合いも、基準値を大きく外れて重症だ。
一体どういう生活をしていれば、こんなにひどい状態になるんだね?」
(そりゃ、手足を縛ってクローゼットで寝起きしてりゃ、教授もすぐにこうなれますよ!)
「こういう状態で臨床実験しても、平均的な数字は出て来ないだろう。
それどころか、実験中に倒れたりする危険すらある」
「使っていただけないってことですか」
「使えんね」
「そこをなんとか、もうひと声」
なんだかんだと押し問答の挙句、一度睡眠時の脳波をとってみようという話になったのだ。
脳波と心電図、それに加えてビデオ撮影で睡眠時の記録を取る。
そこでまともなデータが出せれば、合格と言うことだったのだ。
それが、さっきまでのベッドでの実験と言うわけだ。
結果はまたしても、不合格。
「寝ていて幻覚が見えたようだったな」
「いえ、見えてません、ただの夢です」
「だから、そういうストレス性の夢を見るのが不適正だと言うんだ」
あたしは泣きたくなった。
鬼と幽霊の住んでいる家に帰る日を、一日でも減らしたかったのだ。
せめて母の退院まで、誰もいない家に帰らなくていいようにしたかった。
「そんなに単位ヤバいの?」
電飾帽子を片付けていた相沢教授があたしに聞いた。
「そうじゃないんですけど‥‥」
「心配しなくても、レポレスに登録した時点でC評価を付けとるぞ」
姫神教授が補足してくれた。
「なにか事情がありそうだなあ。
もしかして、この中に好きな相手がいるとか!」
小柄で可愛らしい顔をした若い研究生が、ビデオの巻き戻しをしながら冗談を言った。
「この中って、どの中だ」と、相沢教授。
「俺たち6人の中に決まってますよ」
「お前以外はオッサンばっかりじゃないか」
「だから俺ってことで」
「あほう」
漫才を始めた二人を無視して、姫神教授はあたしの顔をじっと見た。
「本当に、なにかあるのか?」
「はあ」
あることにしちゃおうか。
「ええと実は、両親が破産しちゃいまして」
あたしは適当なことをでっち上げてみた。
「夏休みが終る頃、一家で解散宣言をやりまして。
それから家を手放しました。
それ以来、近所の公園で寝泊りを‥‥」
「ホームレス中学生か!!」
「大学生でお願いします」
鵜呑みにしてもらえるとは思わなかったが、藁をもすがる思いだった。
寝るところがなくて困っている、実験をしないなら、ここにしばらく泊めて欲しい。
朝になったら、人が来ないうちに出て行くから、と、切々と訴えてみた。
「ふうん、地道にバイトした方がいいんじゃないかと思うがねえ。
とにかく研究室に寝泊りするなどは許可できんね。
ラボには不特定多数の人間が出入りしとるんだ。
身の安全を保障できん。
何かあったら、誰が責任を取るのかね」
あたしはシュンとしてうつむいた。
「泊まるとこがないのなら、臨時に下宿させてくれるとこを当たってみてやろうか」
相沢教授が提案してくれた。
とにかく検討して、のちに連絡をする、と言い渡された。
つまり、母の退院までは、鬼と幽霊との3人暮らしだ。
がっかりしたら、また胃が痛み始めた。