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11、被験者失格


 暗がりに居ても、夜明けの気配は察知できた。

 肌をさらって行く冷気。

 新聞配達のバイクの音。

 普段なら気にならない、小鳥のさえずりが妙に耳に響く。 

 この恰好にされてから、2日めの朝だ。

 

 

 あたしは体を起こそうとした。

 ひどい痛みが、全身の関節をきしませた。

 寒さで震えが来るほどなのに、咽喉はからからだ。

 背中でくくられた腕の感覚は、とうにどっかへ行ってしまった。


 2日2晩かかって思い知ったぞ。

 クローゼットは、寝床には向かない!

 狭い。 寒い。 暗い。 硬い。

 おまけにバキバキ音がして、今にも壊れそうだ。


 室井ちゃんの家と、M音大とで連泊をして帰宅した途端。

 待ち構えてたお兄ちゃんに、ここに閉じ込められた。

 留守の間に、あたしの部屋の中はメチャメチャに荒らされていた。

 天井裏への入口が、バレてしまったのだ。

 カモフラージュに置いてあった可動式クローゼットが、横倒しで投げ出されていた。


 その、倒れたままのクローゼットに、無理矢理押し込まれたのだ。

 包帯で後ろ手に縛られて、足はハンガーかけのバーに片方だけくくりつけられた。

 抵抗はしなかった。

 したって無駄なことがわかってるからだ。

 殴られて縛られるか、殴られずに縛られるか、どっちを選ぶかっていうだけの話なんだ。

 

 お兄ちゃんは、ほとんど喋らなかった。

 もともと饒舌ではないけど、この時は悲しげに押し黙っていて、それがまた不気味だった。

 「どうしてこんなことするの?」

 涙声で質問したあたしに、

 「‥‥そうしないと逃げるだろう」

 ボソリとそれだけ言った。


 その恰好のまま、2日めの朝になったのだ。

 食事は昨日の晩、やっと1回もらった。

 それも胃がムカムカして、ほとんど食べられなかった。

 でも、寒さや空腹や咽喉の渇きよりも、もっとずっと苦しいことがあった。


 「おにいちゃあん」

 震える声で、隣の部屋へ呼びかける。

 「おにいちゃん、来てぇ」

 すぐに立ち上がる気配がして、お兄ちゃんが部屋へ入って来る。

 クローゼットの扉が開いても、部屋が暗いのでまぶしくはならない。


 「またおしっこか」

 「うん‥‥」

 うんざりしたように彼が眉をしかめるのは、同じ問答が何度も繰り返されているからだ。

 トイレへ行くために戒めをほどくのが、面倒なのだ。


 それでもこっちはもう限界だ。

 「お願い。 もれちゃう‥‥」

 小さい子みたいにモジモジして言うと、お兄ちゃんは口の端で笑った。

 好色そうな表情になった。

 「もう少し我慢しろ」

 バーに引っ掛けるようにくくられたあたしの右足の太腿を、ゆっくりと撫でた。

 

 「あ! やあッ! いま触ったら出ちゃうよ、やめて!」

 あたしは悲鳴に近い声で抗議した。

 ホントに限界まで我慢してから声をかけたのだ、余裕なんかない。


 おにいちゃんはやめなかった。

 どころか、もっとヤバい場所まで指先を移動させた。

 下着の上から、敏感になった部分をしずしずと触った。


 「ダメだって‥‥!

  し、していいから、先にトイレに行かせて!」

 「すぐ終るからこらえろ。 絶対出すなよ」

 あたしは歯を食いしばった。


 朝が来ても、あたしの闇夜はまだ開けていないのだった。




 バキッと嫌な音がして、クローゼットの壁に穴が開いた。

 お兄ちゃんの体重がかかると、ものすごく複雑に苦しい。

 

 尿道を全身全霊で封鎖していないと、暴発する。

 なのにすぐお隣の国道からは、お兄ちゃんを通行させないといけないのだ。

 あたしは声を噛み殺した。

 舌を千切れるほど奥歯で噛み締める。


 膀胱がはちきれそう。

 胃液が逆流しそう。

 頭は沸騰寸前。

 だのに背すじは凍りつきそう。


 2日前から、お兄ちゃんはこのやり方が気に入ってしまった。

 よく分からないけど、下世話な言葉で「締りが良い」というらしい。

 あたしにとっては、全然どこもよくない。

 ゼロえっちがマイナスにダウンしただけだ。


 それでも1回分辛抱すれば、しばらくは平和になる。

 お兄ちゃんは、憑き物が落ちたみたいに優しくなる。

 こんな行為、タチの悪い便秘と一緒だ。ガンバレ、ガッツで我慢だ。

 ‥‥と、ワケのわからない気合いを入れてみる。

 セックスって、ものすごく滑稽なものだと思う。



 行為の最中は、目を開けてはいけない。

 ストレスが過ぎるのか、行為中にありえないものが見えるからだ。

 ドアのあたりに、変な人が立ってるのが見えたりする。

 くたびれたおじさんの幽霊だ。


 おじさんの顔は、馬鹿に大きい。

 開いたドアの半分くらいの面積がある。

 その分、体は幼児並みに小さい。

 青ざめた肌をして、口を半開きにして、黙ってこっちを見てる。


 (ちょっと、いつまで見る気?)

 気持ちが悪いので、目を閉じて決して見ないようにしている。

 ミルキーおやじと名前をつけた。



 「幽霊を信じるの?」

 誰かが頭の中に話しかけて来た。

 あたしは目を閉じたまま、答える。

 (信じてもいいなって思うわ。

  とうとうあたしの気が狂って、妄想が見えるんだったら怖いもの。

  生きた人間だったら、もっと怖いしね)


 「生きた人間だったら、誰が立ってるのが一番怖い?」

 (‥‥緑川先輩)

 「それは何故?」

 (モラルのレベルが高そうだからかな)

 「もし彼が見たら、なんて言うだろうね?」


 (そうね。 先輩は大騒ぎはしないわね。

  事が終るのを待っていて、あたしの正面に座ってこう言うかな。

  『僕は、きみがお兄さんにどんな目に遭わされたか、知っていたよ。

   それは君の罪じゃないと思う。

   君の体が汚れているなんて、思ったことはない。

   でもね。 心はどうなんだろう。

   きみはお兄さんを拒絶しようとしてなかったな?』って)



 ピルルル、ピルルルと、高い音でブザーが鳴った。

 あたしは驚いて、辺りを見回した。

 「こら! 気を散らすな。

  ちゃんと話を聞け!」

 先輩はあたしの腕をつかんで、正面に向き直らせた。


 「なんでちゃんと拒否しないんだ?

  あの行為は、合意の上なのか?

  きみは楽しんでるのか?

  僕は裏切られているのか?」

 怖い口調で詰問されて、呼吸ができなくなった。


 「わかってます。 ごめんなさい」

 あたしは半泣きになって頭を下げた。

 「でもどうにもならないんです。

  お兄ちゃんを変えることは、あたしには無理だったんです。

  自分が変わる事しか出来なかったんです。

  楽しんでなんかいません。

  でも、いつまでも毎日苦しみ続ける事だって、やってみると案外難しいんです!」


 いつまでも鳴り続けるやかましいブザーが腹立たしい。

 あたしは声を張り上げた。

 「だから、何度も言ってるじゃないですか。

  もうあたしのことなんか、構わないでください!

  先輩とはお別れします。

  もう誘わないでください!」


 涙が滝のように流れて来た。


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