10、マントヴァ公爵 夜這いの巻
ええと。 気を落ち着けて考えよう。
これって即、えっちを意味する展開じゃないよね。
先輩が夜這いするって話じゃなかったよね。
説明のために来るんだよね。
そもそもあたしが説明して欲しかったのは、「あたしのどこが好きか」で。
つまり。
どこが好きかを‥‥説明するために‥‥今から先輩が‥‥部屋へ来る。
うわ。
どう考えても、ビミョーなニュアンスだ。
「そこまで悩むのか」
長い沈黙に閉口したように、先輩があきらめに満ちた声を出した。
「わかった、今のは僕の暴走だったと思っとこう。
せっかくゆっくり出来るんだから、邪魔しには行かないよ」
いやにあっさりと引き下がった。
「ま、待って!」
思わず遮ってしまったのは何故だろう。
心拍数が跳ね上がってしまったのは、いったい何故だろう?
「お話だけ、ですよね‥‥?」
馬鹿なことを言ってることは重々わかってた。
「なんにもしない、ですよね?」
相手は即答しなかった。
どうも笑ってるように思えた。
「先輩! どっちなんですよ?」
「修学旅行でね」
「は?」
「修学旅行の夜に、女子の部屋に入り込む男子が必ずいるじゃないか。
あれでセックスが成立する可能性はほとんどないと思うんだが。
何がしたくてそこに行くか聞いても、やってる方もわかってないんだ」
「はあ」
何を言い出すのか解らず、あたしは生返事をした。
「つまり、なんとなく楽しそうだから行ってみたいだけなんだ」
「‥‥マジで、今もそんな軽いノリなんですか?」
「このテーマで重いノリが出来るのはストーカーくらいだ。
心配するな、嫌がる相手をどうこうしようという趣味はない」
「‥‥ヘンな人」
あたしも笑い出してしまった。
なんだかグズグズ考えるのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
仮に間違って変な事になっちゃっても、もういいかあ、みたいな気になってくる。
さっぱりした口調で、言ってしまった。
「わかりました。 歓迎します」
すると間髪を入れず返事があった。
「よし、じゃあここを開けてくれ」
天井を見上げて、悲鳴を上げそうになった。
天窓のガラスの向こうに、先輩の顔があった。
左耳に携帯を当て、右手を振っている。
「はやっ!
ずっとそこで待ってたんですか!」
「いや、話をしながら到着したんだ。
このガラスを外してくれないか?」
あたしは絶句した。
こんなもの、どうやって外せって?
小さなカギ棒が置いてあったので、ななめ開閉はできるけど、枠ごと外すなんて思いつきもしなかった。
「ここは簡単に外せるはずだぞ」と、先輩。
お互いの顔を見ながら、会話は携帯だから変な感じだ。
「屋根の修繕の時なんかは、ここが昇降口になる仕掛けなんだ。
両手でしっかり枠をつかんで、横にずらせばいい」
「‥‥手が届きません」
「なに?」
携帯を耳に当てたまま、先輩はガラスの向こうで目を見張った。
「天井がそれだけ低いんだ。
ベッドに上がったら、届くだろ?」
「届きませんって」
あたしはベッドの上につま先で立ち、両腕を上げて見せた。
天井と指先の間に、10cm以上も距離がある。
「先輩の身長で考えないでください。
無理ですよ、これ」
デスクから椅子を引っ張って来た。
でもベッドが邪魔で、体が斜めになるのでやっぱり届かない。
ベッドを動かそうとしたけど、重くて無理。
「となりのホール側へ降りられないんですか?」
「あっち側は、足をかける所がないからな」
「あたし、見てみます」
そう言って部屋のドアを開け、あたしは今度こそ悲鳴を上げた。
小太りのボディが、ドアを跳ね飛ばしたのだ。
けたたましい笑い声が響き渡った。
「こんなことだろうと思ったわ!
舎監の経験値を甘く見るんじゃないよ、緑川くん!!」
寮母のオバチャンが、ドアの外で仁王立ちになっていた。
オバチャンはあたしの携帯を取り上げて、先輩の耳に甲高い声を送り込んだ。
「ここの窓はね、身長165cm以上ないと開けられない仕掛けなの。
だから女の子泊める時は、背の低い子がここ、高い子は女子寮にって、決めてんのよ!」
「ひっでー!」
先輩の悲鳴混じりの声は、窓越しに肉声で聞こえた。
「さあ公爵閣下、未遂だから今なら無罪にしたげるよ。
回れ右!
1分で自分の部屋に帰んなさい!!」
先輩の姿が天井窓から消えた。
あたしは急いで1階まで降り、テラスの物干し台に走り出た。
体を乗り出し、屋根の上を見上げる。
管理棟の屋根を走り抜けた先輩が、長身をひらめかせて男子寮の壁面を登り始めたところだった。
2階のベランダから、登山用のザイルみたいなものが垂らしてある。
「いいぞ、スグル!」
「かっけー!」
「スーケーベー!」
「ルパンかお前はぁ!」
気が付けば、男子寮のベランダは、面白がって出て来た学生が鈴なり。
その中のひとりが、トランペット吹くマネをして歌い始めた。
「ルパン三世のテーマ」の口伴奏だ。
すぐに数人が合流して、マウスバンド状態になった。
どうやらオーケストラのステージの演目だったようだ。
6~7人で、正確なリズムと見事な和音をつむぎ出す。
他の学生が手拍子を始めた。
「ばーかー」
反対側からも声がした。
騒ぎを聞きつけた女子寮の学生が、ベランダできゃあきゃあ叫んでる。
「魔王、サイテー!」
「がんばれー!」
「おーちーろー」
てんでに好きなことをわめいている。
「人気者だろ?」
寮母さんがテラスに出て来て、あたしに笑いかけた。
が、すぐさま顔をこわばらせて、あたしの肩に手をかけた。
「どうしたの!
泣くほど感動したの、それともそんなにがっかりした?」
頬っぺたを触られて、やっと気付いた。
あたし、いつの間にかボロボロ泣いていたらしかった。
先輩のことは好きだけど、恋じゃない。
ずっとそう思ってた。
でも、この明るさと暖かさは、高校時代からあたしを支えてくれていた。
あたしは手放せるんだろうか。
この支えの、力強さを。