第二話
一年前。
泰山の麓にある道術の道場に少女の怒鳴り声が響いた。
「ちょっと趙、まともに符も使えないの? もっと丹を鍛えなさいよ!」
ポニーテールの少女が顔を真っ赤にしていた。
「うっさいなぁ、魏。俺は人化の術の研究で忙しくて符術は後回しにしてたんだよ。つーか興味ねーし。丹鍛えるのもめんどいし」
そう面倒くさそうに趙が答えた。
「よくない! お陰で今回死にかけたわよ。
趙が符を貼ったキョンシーが暴走しちゃって危なかったんだから!」
ぶー、と魏が頬を膨らませる。
「すまなかった、魏 静蕾。趙の不手際は自分から謝罪しておこう」
人化の術をかけられた白犬、韓が丁寧な口調で魏に頭を下げる。
そんな韓の頭を撫でながら魏が言った。
「アルジャーノン君は別に謝らなくっていいわ。悪いのは趙だもの」
「アルジャーノン?」
きょとん、と首を傾げる韓を見ながら「気にしないで」と言って魏がふふっと可笑しそうに笑った。
「とにかく、俺は道を極めて不老不死の仙人になるなんて興味ねーんだよ。純粋に道術研究者やってたいんだよ。理系だし」
「ダメ!!」
趙の言葉を容赦なく魏が否定した。
「約束? 今度、山海経の地図手に入れたらコピーして渡すって約束だっけ?」
「…………」
趙の言葉にふるふると魏が震える。
「ん、どした?」
「馬鹿ーッ!」
顔を覗き込んだ趙へ魏がアッパーを食らわせる。
趙の身体が軽々と宙を舞い、壁に叩きつけられた。
そのまま魏が容赦なく追撃を加える。
「ぐぉ、ちょ、待てっ? お前、硬気功と金剛力のせいで力がマジ強いんだって!
死ぬ死ぬ、マジでこれ以上殴られたら死ぬって!」
「バカバカバカ! 死ね死ね死んじゃえ!
死んだら私がキョンシーにして永遠に奴隷にしてやるんだから!」
涙目でそう魏がそう叫び、趙の額にキョンシー用の札を張り付けて走り去った。
「いてて……何だよ、魏の奴。あの日か?」
そう言って額に貼られた札を剥がしながら趙が溜息をついた。
「ったく、符術が苦手な俺にキョンシー使えるようになれって。
あいつぁは子供の頃から無茶を言いやがる。…………あっ!!」
「どうした、趙?」
何かに気付いた趙に韓が首を尋ねた。
「あー、そういやガキの頃、ふたりで仙人になろうって約束してたわ」
「ほぉ」
「まさか、本当に霊幻道士を見つけて、俺まで弟子入りさせるとは思わんかったな」
「凄まじい行動力だな、魏は。
お前が道士になった経緯はそんな理由があったのか」
韓の言葉に趙がこくんと頷く。
「ま、動物の研究者になりたかったからお前のように動物に知能を得させられる人化の術とかは面白かったけど、正直他はあんま興味ねぇしな。それに……」
ふぅ、と溜息をついて趙が続けた。
「あいつの想いが最近、重い。…ってか、正直面倒くさい」
「…………そうか」
趙の言葉に肯定とも否定とも言えぬ答えを韓がした。
◇◆◇◆
「泰山に籠る?」
魏がそう尋ねた。その表情はどこか不安そうにも見えた。
泰山とは道術の聖地であり、仙人が棲む霊山としても知られている。
「おう」
魏の反応とは正反対にあっけなく趙が答えた。
「今の俺じゃ仙人になるには丹が足りないからな。一年くらい引き籠って精進するわ」
「う、うん……」
「お前、俺に仙人になってほしいんだろ?」
「そ、そうだけど…趙…」
魏が何か言いたげな顔をしたが、そのあとの言葉が出てくることはなかった。
「そんじゃまたなー」
そう言って韓を連れて趙が去っていく。
背中に魏の視線を感じながら、趙が思った。
(正直…本気で修業したかったわけじゃない。
ただ、子供の頃から…ずっと一緒にいた魏から、少し離れたかっただけだ)
どこか後ろ暗い思いと奇妙な解放感。
複雑な感情を抱える趙の背に魏が声をかけた。
「この前、私が渡した符、ちゃんと解析しておきなさいよね!
キョンシーすら使えない道士が幼馴染だなんて私が恥ずかしいんだから!
絶対使えるようになりなさいよ!」
「へいへい」
振り返らず、手だけ上げて趙が応えた。
◇◆◇◆
一年後。
「おーい、魏。帰ってきたぞー」
(まーた、あいつに付きまとわれる面倒くさい日々が始まるんだろうなぁ)
そう思いながら薄く笑い、趙が道場のある小さな村へ足を踏み入れる。
しかし、そこはすでに……
「…………え?」
死者が跋扈する地獄と変わり果てていた。
◇◆◇◆
そして現在、最初の街にて。
(こいつが役に立った……)
以前、魏が書いた符を見ながら趙が思った。
(この符を研究し、模したお陰で、何とか俺でもキョンシーを一体操れるようになった)
そう思いながら表情を僅かに歪めて趙が周囲を見回す。
そして何かを発見し近寄った。
「このゾンビは原型をわりと留めているな。次はこいつをキョンシーにするかぁ」
そう言って魏から貰った符を模した自分の札を、爆発で吹き飛ばされ倒れている屈強な男性のゾンビに張り付ける。
符を貼ると同時にゾンビはすっと立ち上がり、趙の傍らで背筋を伸ばした。
新しい下僕を趙が観察し、あることに気付いた。
「ん、右手吹っ飛んでら。…………お?」
その時、何かが動く気配を趙が感じ取る。そして振り返り、にたりと笑った。
その視線の先には下半身が吹き飛んだ少女のゾンビがのたうっている。
「キョンシー八号、こいつを抑えろ」
その言葉に従い、右手のないキョンシーが少女のゾンビを抑える。
「こいつの右手をお前につけてやる」
ノコギリを持ちながら趙がそう言った。
そしてゴリゴリと少女の右手を切り落とし始める。
同時に少女の死体が、打ち上げられた魚が跳ねるように激しくのたうった。
「ははは、こいつ暴れてやがる。ゾンビでも痛み感じるのかぁ?
右手切り落とされんのは嫌なのかぁ! 鈍そうに見えんのによ」
「おい、趙!」
「うるせぇ、韓! 黙ってろ!」
狂気に近い顔で趙がゴリゴリと少女の腕を切り落とす。
血と肉の破片、そして白い脂肪が趙の顔に飛び散った。
骨を切り終えると、少女の腕がくにゃりと曲がる。
その腕を抑え、残った肉をさらに趙がのこ引きにしていく。
(くそが……くそが……くそったれが……俺のくそったれが!
いなくなって初めて気付くなんて鈍すぎだろッ!)
趙が少女の腕を完全に切り落とし、手に取った。
「もういい、潰せ」
趙の言葉と同時にキョンシー八号が少女ゾンビの頭部を踏み潰した。
血と脳漿、目玉が飛び散りアスファルトを汚していく。
その光景をどこか虚しそうに趙が見た。
(こんなにイカレた気分になるのは何でだ……
こんなにこいつらが憎いのは何でだ……
そんなの決まっている……
俺は……俺は……俺は……)
趙が歯を食いしばり空を見上げる。
その瞳には僅かだが涙が滲んでいた。
(ずっと…ずっと…魏が好きだったんだ)
その時であった。
韓が鼻を鳴らしながら警告する。
「おい、趙。向こうの路地にまだ数体ゾンビがいる。どうする?」
「どうするのこうするもねぇ!」
趙が再び狂気の笑みを張りつけた。
「ゾンビどもは全て殺す、殺す、殺す!」
そして新たなキョンシー、八号へ視線をやって命じた。
「いくぞ八号。試運転だ!」
同時に趙と八号が路地に駆けた。
「趙、少しは落ち着け。……ッ?」
微かな臭い。死臭の中に紛れ込むその臭いに韓は嗅ぎ覚えがあった。
そして、それは……
この先展開される逃れようのない絶望を知らせている。
「待て、趙! こ、この臭いは……」
韓が叫ぶ。
しかし、もはやその声は憎悪に焼かれる趙には届かなかった。
◇◆◇◆
薄暗い路地の壁に血と肉片が飛び散る。
キョンスー八号がゾンビどもを粉砕しているのだ。
「はっ、脳漿ぶち撒けやがれ!」
自らも銃でゾンビを撃ちながら趙も進む。
(もはや、あの懐かしい日々は戻らない!)
(自らへの後悔が癒されることもない!)
(だったら、この怒りと憎悪で全ての死人を滅ぼし尽くしてやる!)
瞬時に路地にいたゾンビたちのことごとくが肉片と化す。
残ったのは路地の出口にいる一体だけ。
遠目に見て、どうやらそれは女のゾンビであるようだった。
「八号、止まれ! 最後の一体は俺がブチ殺してやる!」
そう叫び、趙が後ろを向いている女ゾンビへ駆け寄る。
(さぁ、ゾンビども。家族を、仲間を、世界を、そして魏を奪った償いをさせてやる!)
ゆらりとゾンビが振り返る。
その瞬間、趙の顔から何かが失われた。
(魏を奪った償い……つぐな……い……)
よく知っている顔。
もう二度と会えないと思っていた人間。
失って、初めて彼女に対する想いに気付いた相手。
魏 静蕾が、そこに立っていた。
「あ…あ…あ…」
顔の右半分を失い……
動く死体として……
「あ……あ……あ……あ……あ……」
趙が膝から崩れ落ちた。
「あっあっあっあっあっあーああああー」
意思とは関係なく趙の口から声が漏れる。
頬を濡らすものが絶え間なく溢れ続けた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
絶叫。
心の最後の拠り所さえ奪われた少年の叫びが、虚しく墓石の街に響き渡った。
前篇はここまで。
ここから先は後篇です。
タイトル通りちゃんとハッピーエンドにするのでご安心くださいませませ。