第一話
立ち並ぶ朽ちたビル群は墓標に似ていた。
人類が積み上げてきた墓石の周囲で、かつての主たちが埋葬されぬまま彷徨う。
動く死体――ゾンビ。
ただひとりのネクロマンサーがゾンビを生み出してから僅か一年。
全ての人類は死滅し、物言わぬ屍と化していた。
一部の例外を除いて。
◇◆◇◆
「けっ、この街も死人どもで溢れていやがる」
かつてのアミューズメント施設の屋上から何者かが街の様子を見下ろしている。
その中のひとり、バンダナを巻いた少年が忌々しげに呟いた。
幼い顔立ちに反し、その瞳は憎悪に濁っている。
「思ったより数が多い、大丈夫か趙?」
傍らにいた白犬が人語でそう発した。
趙と呼ばれた少年が「ふふん」とおかしそうに笑みを浮かべる。そして白犬に言った。
「こっちには〝これ〟があるんだぜ、韓。真正面から全員ぶち殺してやるさ」
そう答えて、趙が隣にいるメイド服を着た女性を顎で指す。
メイドの額には奇妙な札が張り付けてあった。
その瞳に生気はなく、虚空を見つめ続けている。
微かな腐臭がメイドから発せられ、空気に混じり合った。
「しかしだな、流石にこの数のゾンビ相手では彼女も無事では済むまい。出来ることなら作戦を練り、各個撃破して損害を減らすべき…」
「彼女ぉ?」
韓という白犬の発した言葉を趙が復唱する。そして馬鹿にするような顔で言った。
「おいおい、韓。なぁにコレを人間扱いしてんだよ? これはただのモノだぜ」
「モノって。趙、お前。……ッ?」
乾いた炸裂音が響いた。
韓が何か言おうとしていた途中で、趙がメイドの頭を拳銃で撃ち抜いたのだ。
血と脳漿がコンクリートに飛び散る。しかし、メイドは僅かに身体を傾けただけで、何事もなかったようにすぐ元の体勢に戻った。
「見ての通り、こいつはもう死んでいるんだぜ。死んだら肉の塊。ただのモノなんだよ」
白犬の韓と死体のメイドを交互に見ながら趙が言った。
「納得言ってないようなら、もっと鉛玉ブチ込んで完璧に死んでること証明しよっか?」
「わかった。もういい、止めろ趙。それより今の銃声でゾンビどもが集まってきたぞ」
くんくんと韓が濡れた鼻を動かした。
彼の言葉通り死人たちがこちらへ向かってくる。
その死体の行列を見て、趙の目に憎悪の炎が揺らめいた。
「ふん……出番だ、キョンシー七号」
趙がメイドに視線を向けた。
「〝霊幻道士〟趙 虎として汝に命ずる。
この街に存在する全ての死人を破壊せよ」
「……」
その命令に、韓が眉を曇らせる。
反してメイドは相も変らぬ感情なき仏頂面で淡々と応えた。
「か、か、か、かしこまりました。ご、ご、ご、ご主人様……」
爆発音。
同時にメイドの姿は消えていた。
彼女が先ほどまで立っていたコンクリートには蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。
「さっすがキョンシー。相変わらず跳躍力すげぇな。人間の何倍の筋力だ、おい?」
可笑しそうに趙が中空に視線をやる。
「…………」
傍らでは韓が犬らしくない複雑そうな表情を浮かべていた。
◇◆◇◆
一瞬の出来事だった。
一体のゾンビの頭部目掛けて真っ直ぐにメイドが着地する。
ビル数階分の高さからの運動エネルギーは凄まじく、哀れなゾンビの頭部を粉砕し、血と脳漿が地面に花火のごとく飛び散った。地に伏したゾンビはそれでもまだ玩具のように手足をバタつかせている。
「…………」
強烈な血の匂い、腐敗臭の中でもメイドは沈黙と無表情を張り付けている。
彼女の右手がゆらりと動いた。
裏拳。
傍らにいた別のゾンビの頭部が下顎を残して吹き飛ぶ。残ったゾンビの舌がレロレロと虚しく動き続けていた。
異常な威力。人外の怪力。
だが、メイドの手も無事ではなかった。
折れた中指骨が手の甲を突き破り、さらに先ほどのゾンビの歯が突き刺さっている。
ぐちゅり、という音を立てて新たなゾンビがメイドの首筋に歯を突き立てた。
そのままベリベリと頸動脈を食いちぎる。
くちゃくちゃと、肉が咀嚼されていく音が響き渡った。
「……」
メイドが沈黙したまま、自分の首筋の肉を食っているゾンビへ左手を伸ばす。
そのまま自らの手をゾンビの口の中へ突っ込み、そして……
掻き毟るように振り下ろした。
肉が引き千切られる奇怪な音が響く。
ゾンビの下顎はもちろん、喉、胸、腹、そして性器に至るまで全てをえぐり取った。
開かれた魚のようになったゾンビが内臓をブチ撒ける。そして二度と動かなくなった。
◇◆◇◆
「お、いい感じじゃないか。あいつ、ちゃんと俺の命令守ってやがる」
すぐ下で繰り広げられる凄惨な闘いを見ながら趙が満足そうに言った。
「もう死んでいるとはいえ哀れな……」
韓が悲しげに呟いた。
「死体を壊せ、というお前の命令通り〝自らも破壊している〟ではないか」
「構いやしねぇよ、韓」
ふん、と趙が言った。その瞳には憎悪の炎が揺らめいている。
「あの女も元々はゾンビだぜ。敵なんだよ、敵。俺たちの家族を、仲間を、故郷を滅ぼした憎むべき仇なんだよ…ッ!」
ちっ、と舌打ちし趙が叫んだ。
「七号、もう十分だ。最後の仕事をしろ!」
「…………」
すでに肉体の大部分を欠損もしくは破損し血塗れになったメイドがこくん、と頷く。
そして自らのスカートの裾をまくりあげた。
手榴弾。
C4(プラスチック爆薬)。
ガソリン。
ありとあらゆる爆発物、燃焼物が色素の変化しつつある足に結び付けてある。
「そ、そ、そ、そ、それでは……み、み、み、皆様……ご、ご、ご、御機嫌よう……」
閃光、そして轟音。
名もなき哀れな死体メイドが言い終わると同時に真っ赤な爆炎が立ち上った。
爆発は凄まじく、少し離れた場所にいた趙と韓の元に瓦礫や人体の一部が降り注ぐ。
「く……くくく」
その光景を見て趙が思わず笑い声をこぼした。
吹き飛んだ死人の手首が趙の額に当たった。が、彼は痛みを気にする様子もなくますます歓喜に顔を歪めていく。
「あは……あははははは! 死ね死ね死ね死ね、死に絶えろッ!
死体どもは全て肉片にしてやる。
砕けろッ、壊れろッ、燃えろッ、焼けろッ、溶けろッ、爆ぜろッ、滅びろッ!
ゾンビもキョンシーも貴様ら死人の存在は一体たりとも許しはしない!
霊幻道士趙虎の名にかけて全ての死人を葬殺してやる!」
笑う。
笑う。
笑う。
狂ったような趙の笑い声が墓標のビル群に響き渡る。
(……憐れな)
泣き声にも似た趙の笑いを聞きながら、韓がそう思った。