王太子妃候補の採点係だった私、なぜか最終候補に残されました 〜雑用係と笑われましたが、皆様の点数は王妃様に提出済みです〜
「まあ。あなたが、わたくしたちに点をつけるの?」
王宮の白薔薇の間に、鈴を転がすような声が響いた。
声の主は侯爵令嬢マーデル様。美しい黄金の髪に、花びらを散らしたような淡紅色のドレス。そこに立っているだけで、物語に出てくる姫君のような方だった。
その視線が、私の手元で止まる。
私が抱えているのは黒革の採点簿と、王妃陛下から預かった羽根ペンだ。
「はい。シャロン・ウィローと申します。王太子妃候補選定試験の記録係、ならびに採点補佐を務めます」
そう答えると、何人かの候補者たちが顔を見合わせた。
「ウィロー……子爵家でしたかしら?」
「ええ。確か王都の外れに小さな領地をお持ちの」
「まあ、それでは王太子妃教育の内容など、お分かりになるのかしら」
くすくすと笑い声がこぼれる。
私は背筋を伸ばしたまま、浅く頭を下げた。
「不足があれば、王妃陛下のご指導を仰ぎます」
「まじめですこと」
マーデル様は扇を揺らしながら微笑んだ。
「でもずっと羽根ペンを握っているなんて大変でしょう? わたくしなら侍女に持たせますわ」
その言葉に、周囲がまた笑う。
でも私は笑わなかった。
ただ静かに採点簿を開き、最初の一行を書き込む。
『――相手の職務を確認せず、身分で判断する傾向あり。侍女・下位貴族への配慮に難』
今日から十日間、王宮では王太子妃候補・一次選定試験が行われる。
先月クリフォード殿下が成人の儀を終えられ、正式に立太子されたからだ。
候補者は国内有力貴族の令嬢たち七名。
教養、礼法、語学、慈善活動、外交儀礼、領地経営。
それらを総合的に見て、王太子妃にふさわしい者を選ぶ。
そして私、シャロン・ウィローは、なぜかその選定試験の会場にいた。
もちろん候補者ではない。
採点係として、だ。
そう、ただの採点係。
私が採点補佐に選ばれたのは、私自身に特別な後ろ盾があったからではない。
理由があるとすれば、おそらく父だ。
父はウィロー子爵家の当主でありながら、宮廷庁の文官として長く王宮に仕えている。名門貴族のように目立つ家ではない。
しかしどの国賓が何年前にどの席に座ったか、どの式典で何人の侍女が必要か。父はそういう、誰も覚えていないけれど誰かが覚えていなければならないことを、二十年にわたって記録し続けてきた。
私はその背中を見て育った。
だからだろう。王妃陛下は王太子妃候補を選ぶにあたり、華やかさではなく観察眼を持つ者を一人、記録席に置きたいとお考えになった。
そして、その役目が私に回ってきた。
(皮肉だな。まさかクリフォード殿下と結婚するご令嬢を、私が採点する羽目になるなんて)
試験が始まる直前、胸の奥に隠していた憧れが、ほんの少しだけ滲む。
実は私はクリフォード殿下と、一度だけお話したことがある。
あれは三年前。王立学院の図書室でのことだった。
私は地方税制に関する古い資料を抱えすぎて、廊下で盛大に転んだ。紙束が床一面に散らばり、恥ずかしさで顔を上げられずにいた時、誰かが一枚ずつ資料を拾ってくれた。
「水路の修繕費と収穫量の関係か。面白いところを見ているね」
顔を上げると、そこにいたのがクリフォード殿下だった。
殿下を初めて見た時、私は息をするのも忘れた。
美しい銀髪は、陽を受けた絹糸のように淡く輝いていた。
金色の瞳は柔らかく細められ、私に向けられる微笑みも穏やかそのもので、まるで王宮の白い壁に描かれた聖人画のようだった。
遠くから見ているだけなら、ただ綺麗な方だと思えた。
でも近くで言葉を交わすと、その印象は少し変わる。
綺麗、などという簡単な言葉では、到底足りなかった。
整った顔立ちも、優雅な所作も、どこか甘さを含んだ声も、何もかもが私とは違う場所で磨かれてきたもの。
それらを前にして、思わず身体が強張った。
自分の地味な黒髪も、飾り気のないドレスも、インクの染みた指先も、急にひどく場違いなものに思えたから。
でもそんな私に、殿下は優しく笑いかけてくださった。
貴族令嬢らしからぬ姿を見ても、むしろ「面白い」と仰ってくださった。
ただ、それだけ。
たったそれだけのことを、私は三年も覚えている。
大丈夫。
誰に言われずとも、ちゃんとわかっている。
クリフォード殿下は空で輝く星のようなお方だ。
美しいと思うことは許されても、手を伸ばすものではない。
だから私は、王太子妃候補の皆様を公平に採点する。
殿下にふさわしい方が誰なのかを、この目で見極める。
それが私に許された、たった一つの役目だった。
◇◆◇
試験初日は、礼法と茶会だった。
マーデル様の立ち振る舞いは完璧だった。出席者に見せる格式ある微笑み、機知に富む話題作りと言葉選び。どれも隙がない。
ただ茶器を下げようとした侍女が少し手を滑らせた時、彼女は微笑を消して言った。
「下がって。あなたの所作は目障りだわ」
私は黙々と、採点簿に記す。
『――礼法は優秀。ただし、失敗した使用人への対応に冷淡。公的場では隠せるが、近い者への言葉に棘あり』
公爵令嬢ナディア様は、外交史の知識が群を抜いていた。
ただし自分より発言力の低い候補者の言葉を遮る癖がある。
伯爵令嬢エリーゼ様は、慈善活動への関心が深かった。
孤児院への寄付。神殿への定期的な参拝。
けれど救恤金の帳簿を見せられると、「細かな数字は専門家に任せればよいのではなくて?」と苦笑なされた。
辺境伯令嬢イヴリン様は、もっとも家格が低い候補者だった。
緊張で声が震えることもあったが、分からないことは素直に質問し、侍女にも礼を言った。
私はそれぞれの候補を、点数で切り捨てるつもりはなかった。
王太子妃に必要なのは、最初から完璧であることではない。
自分の不足を知り、それを補う耳を持つことだと思ったからだ。
その日の夕刻、試験会場を後にした私は、王妃陛下の執務室へと向かった。一日の最後に採点の結果を報告することが義務付けられているのだ。
王妃陛下はクリフォード殿下の実のお母上。当然お美しい方で、このような機会がなければ直にお会いすることも、口を利くこともないだろう雲の上の存在。
けれど採点簿を提出する私のために、あたたかな茶を用意してくれる──そんな気遣いができるお方だった。
「あなたの記録は、点数より理由が多いのね」
王妃陛下が採点簿をめくりながら、率直な感想を口にする。
私はソファに座ったまま、背筋を伸ばした。
「申し訳ございません。冗長でしたでしょうか」
「いいえ、人を採点する仕事ほど、数字にできないものを見なければならないわ。この調子で続けてちょうだい」
王妃陛下は私に採点簿を返しながら、静かに笑った。
自分の仕事がちゃんと評価されている。
その実感に、胸が少しだけ熱くなった。
◇◆◇
私の羽ペンが滑る中、試験は連日続いた。
候補者たちは、相変わらず私という存在を軽く扱うことが多かった。
「シャロン様、そちらの資料を取ってくださる?」
「雑用係なら、わたくしたちの席順くらい全部覚えていて当然でしょう」
「まあ、そのドレス、去年の型ではなくて?」
そのたびに、傷つかなかったと言えば嘘になる。
でも言い返すことはしなかった。
代わりに羽ペンを走らせ、記述する。
『――相手が反論しない立場にある時、態度が横柄になる』
『――自分の快適さを優先し、周囲の作業量を想像しない』
『――衣装への観察眼はあるが、相手の事情への配慮に欠ける』
そんな私に、一度だけイヴリン様が小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。皆様、少し言いすぎですわよね」
「いえ、私は職務を果たしているだけですから」
「でも傷つかないわけではないでしょう?」
意外な心遣いに、思わず顔を上げた。
イヴリン様は、困ったように笑っている。
「私、他の候補の皆様と違って田舎育ちなもので。家格が低い辛さも、よく分かるのです」
「イヴリン様……」
その日の採点簿に、私はこう書いた。
『――他者の立場を想像する力あり。他の候補者より劣っている部分は多々あるが、伸びしろ大』
◇◆◇
五日目、クリフォード殿下が、直に白薔薇の間に視察にいらした。
令嬢たちの空気が、一瞬で変わる。
「まあ、殿下」
「いつお顔を見せてくれるのかと、心待ちにしておりましたのよ」
候補者たちの微笑みや声の高さ、所作、すべてが華やかに浮足立った。
美しい令嬢たちに囲まれ、クリフォード殿下も丁寧に応対している。
一方、壁際の記録席に座る私の心中は、穏やかではない。
(こ、こんなに近くで殿下のお姿を拝見するのは三年ぶり……。お、落ち着け心臓……)
私は動揺を悟られないように、こっそり殿下を盗み見た。
三年前より少し大人びた横顔。誰に対しても礼節を失わない、優雅な佇まい。
この方の隣に立つ人を、私は選ぶ側にいる。
胸が痛まないわけではないけれど、己の分は弁えている。
だから、これでいい。
そう思って採点簿に視線を戻した時、不意に銀色の影が目の前に落ちた。
「シャロン嬢」
「……。…………は?」
呼ばれたのが自分だと気づくまで、少し時間がかかった。
思わず間抜けな声を出して顔を上げると、クリフォード殿下が私を見ていた。
どっと、全身から汗が噴き出す。
「は、はい。シャロン・ウィローでございます」
「記録は順調ですか」
――なぜ採点係でしかない娘に、わざわざ話しかけるの?
そう思ったのは、私だけではなかったらしい。
候補者の令嬢方の視線が、横から一斉に突き刺さる。
しかし問われた以上は答えなければならない。
「はい。候補者の皆様の礼法、応答、判断、可能な限り事実と所見を分けて記録しております」
「事実と所見を分けて?」
「はい。事実はできるだけ簡潔に。評価は根拠を添えて記録しております。私の好悪で候補者の皆様を損なうことがないように」
「なるほど。では、候補者の長所も同じように?」
「もちろんでございます。欠点だけを拾う記録は、公平ではありません」
「あなたの目から見て、誰が最も王太子妃ふさわしいと思いますか」
「――」
危うく羽根ペンを落としかけた。
候補者の令嬢方の息が止まる音まで聞こえた気がした。
「……そ、そのご質問には、現時点ではお答えいたしかねます」
「なぜ?」
「試験はまだ終わっておりません。途中経過で私が名を挙げれば、その方を見る目が変わります。また挙げられなかった方々の努力を妨げる可能性もあります」
私の答えに満足したのだろうか。殿下の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。
「では今の時点で分かっていることは?」
「はい。どなたにも優れた点と課題がございます。大切なのは欠けていることそのものより、それを指摘された時にどう受け止めるかではないかと――」
尋ねられるまま答えて、私はハッとした。
採点係の分際で、ずいぶん偉そうなことを言ってしまった。
まずい。
慌てて、深く頭を下げる。
「し、失礼いたしました。私見が過ぎました」
「いいえ。聞けてよかった」
でも意外にもクリフォード殿下は、生意気な意見に対しても寛大だ。
「あなたの記録を、後ほど拝見するのが楽しみです」
それだけ言うと、殿下は候補者の令嬢方へ向き直った。令嬢方はすぐに美しい微笑みを取り戻したが、その目元には先ほどまでなかった硬さが残っている。
「ではまた後日」
そう言って殿下が退室された後、白薔薇の間には妙な沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、侯爵令嬢マーデル様だった。
「ずいぶんと殿下に気に入られたようね、雑用係」
もう名前ですらない。
まるで人間ではなく、置物のように露骨に蔑まれる。
「そのようなことはございません。職務について質問を受けただけです」
「職務。まあ、便利な言葉ですこと」
今度はナディア様が扇の陰で笑う。
「雑用係というのは、クリフォード殿下のお話し相手まで含まれるのかしら」
「宮廷庁にお父上がいらっしゃるのでしょう? やはり王宮の歩き方がお上手なのね」
「わたくしたちも見習わなくては。採点簿より、まず殿下を誘惑する方法を」
次々と流暢に繰り広げられる、あけすけな嫌味。
一つ一つに反論するのも、もうバカらしい。
「私は王妃陛下より命じられた記録を続けるだけでございます」
「ええ、どうぞ。せいぜい公平にお願いいたしますわ」
令嬢方が、冷たい視線のまま去っていく。
白薔薇の間の扉が閉まった瞬間、私は採点簿を胸に抱えたまま、椅子に腰を下ろした。
「……なんなんだ、今の嵐は」
思わず漏れた声は、自分でも情けないほど草臥れていた。
殿下に話しかけられたことより、その後に浴びせられた視線と言葉のほうが、よほど心臓に悪い。
私は羽根ペンを取り直し、採点簿の余白に小さく書いた。
『――王太子殿下との会話後、候補者数名に感情の乱れあり。嫌味の精度は高い。なお記録係の精神疲労も高い』
おっと、いけない、いけない。
最後の一文は、さすがに提出前に消すことにした。
◇◆◇
一次試験最終日に行われたのは、王都商業地区で火災が起きた場合の机上討論だった。大広間の中央には王都の地図が広げられている。
今日は王妃陛下が御前に控えた試験でもあるため、候補者たちのやる気は最高潮に達していた。
「商業区で火災が起きた場合、まずは王家の者が民の前に立つべきですわ」
候補者の中で真っ先に意見を述べたのは、マーデル様だった。
「不安に怯える民に王家はそばにいると示すのです。王太子殿下とともに慰問に向かえば、民も安心するでしょう」
ナディア様も、同様に頷く。
「また同時に騎士団を派遣し、治安維持に努めるべきです。混乱時には窃盗などの犯罪が横行しますから」
どちらも間違ってはいない。
壁際に座る私は、羽ペンを握る指先に力を込めた。
マーデル様達とは正反対の、別の意見があったからだ。
でも私は採点係。
口を挟む立場ではない。
苦い思いを噛みしめていたその時。
今まで黙って地図を見ていたイヴリン様が、おずおずと手を上げた。
「恐れながら、慰問は後にすべきかと存じます」
「なんですって?」
広間の視線が、一斉にイヴリン様へ集まる。
「火が収まる前に高貴な方々が現地へ向かえば、避難路が狭まります。まずは中央通りを緊急避難路として指定し、神殿前ではなく開けた市場前広場を炊き出し場所にするべきではないでしょうか」
慈善事業に熱心なはずのエリーゼ様が、その案を鼻で笑った。
「まあ。王太子妃が炊き出し場所をいちいち心配しますの? 大切なことではありますけれど、ずいぶん地味ですわね」
「辺境では貴族令嬢自らが倉庫番をなさるのかしら」
他の候補者たちにも嘲笑され、イヴリン様の顔が赤くなる。
それでも彼女は、地図から目を逸らさなかった。
この十日間、イヴリン様は誰よりも侍女の動きを見ていた。
茶会で余った菓子の行き先を尋ね、洗濯場で働く召使いたちの手の荒れようを気にしていた。
華やかではない。
でも彼女だけがずっと、貴族ではなく民や身分低い者たちの生活を見ていた。
そして、その時。
「シャロン・ウィロー嬢」
白薔薇の間に、王妃陛下の威厳ある声が響いた。
私ははっとして顔を上げる。
「は、はいっ」
「あなたの所見を聞かせなさい」
「!」
刹那、しん……と広間が静まり返った。
候補者の令嬢方の視線が、今度は私に集まる。
(え? なんで私が――)
そう不審に思うものの、王妃陛下が直接名指しされたのだから逆らえる余地などない。
私は一度だけ息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「イヴリン様のご提案は、妥当かと存じます」
「!」
マーデル様の眉間にしわが寄り、他の候補者たちの間にもざわめきが広がる。
ピリついた空気。
だがそれにかまわず、私は地図の東側を指した。
「商業地区の西通りは運河があり、火災時には人が集中します。王家の皆様が慰問に向かわれれば、護衛のために人員が割かれ、避難路の確保が遅れます。現地に必要なのは高貴な馬車ではなく、まず水と毛布と通行整理です」
「だけど民は王家の姿を見れば安心するのではなくて?」
「はい。火が収まった後ならば、大きな意味がございます。ですが最初の一刻で必要なのは安心させる言葉より、逃走経路です」
言い終えた瞬間、自分の心臓が大きく鳴っていることに気づいた。
言いすぎたかもしれない。
しかし王妃陛下は、満足げに微笑みながら頷いた。
「続けなさい」
「……イヴリン様はこの十日間、王都で売られているパン一斤の値段、王城で働く下働きの動線などを気にされていました。どれも王太子妃の装いを飾るものではありません。ですが民の暮らしを支えるものです」
イヴリン様が、驚いたように私を見る。
「王太子妃に華やかさが不要だとは申しません。ただ華やかさだけでは火は消えません。空腹も、寒さも、混乱も鎮まりません」
白薔薇の間は、しんと静まり返っていた。
王妃陛下が、候補者たちを見渡す。
「今のが採点係の所見です」
「……」
「……」
「……」
いつものように「たかが採点係のくせに」と笑う声はなかった。
逆に王妃陛下の厳しい視線が、候補者たちに降り注ぐ。
「民を見るとは美しい馬車の上から手を振ることだけではありません。誰が水を運び、誰が夜に怯え、誰が寒さで眠れないかを知ろうとすることです」
マーデル様の視線が、ゆっくりと床に落ちた。
逆にイヴリン様が、私の方を見て小さく唇を動かす。
ありがとう、と。
私はほんの少しだけ頭を下げた。
これは彼女を援護したのではない。
採点係として正しく評価されるべきものを、正しく記録しただけだ。
そして試験が終わったと思ったその時。
王妃陛下が立ち上がり、私の採点簿を手にした。
「それと皆様に一つ申し上げておきます。シャロン嬢は雑用係ではありません。私が任命した採点補佐です。その意味を、ちゃんと考えた者がここに何名おりまして?」
「っ!」
候補者たちが息を呑み、ガタガタと青ざめはじめる。
「この十日間、皆様は試験中だけでなく、彼女に対する態度も見られていました。王太子妃とは自分より強い者に微笑む仕事ではありません。自分に逆らえない者、自分より弱い立場の者を、どう扱うかを常に問われる仕事です」
最も痛いところを突かれたのだろう。
名を呼ばれたわけでもないのに、マーデル様がくしゃりと顔を歪め泣き出しそうになった。
「わ、わたくしは……」
「マーデル侯爵令嬢、あなたは美しく礼法も完璧でした。しかし失敗した侍女を目障りと言った。記録係の家格を笑った。民の苦しみを、舞台装置のように扱った」
ある意味容赦がない、甘えを許さぬ厳しい指摘だった。
マーデル様に迎合していたナディア様も、エリーゼ様も、今は力なく俯いている。
そんな中、イヴリン様だけが、まっすぐ王妃陛下を見ていた。
「一次選定試験は、これですべて終了とします」
有無をも言わせぬ、王妃陛下のお言葉。
私は項垂れる候補者たちから、そっと視線を逸らす。
これで私の仕事は、全部終わり。
でもやるべきことをやり切った。心はひどくすっきりしていた。
◇◆◇
そして最終結果が発表されたのは、その日の夕刻のことだった。
王太子妃候補として継続審査に残る者。
イヴリン・ノートン辺境伯令嬢。
カーラ・エイマーズ伯爵令嬢。
キャロル・ディズリー公爵令嬢。
そして。
「シャロン・ウィロー子爵令嬢」
私は自分の名前が呼ばれた意味を、とっさに理解できなかった。
「…………は?」
思わず、間の抜けた声が出る。
他の候補者たちがざわざわとする中、情けなくその場に立ち尽くした。
「あなたを、特別候補として王太子妃教育に加えます」
「お、お待ちください、陛下。私は採点係です。候補者ではありません」
「ええ。だからこそ誰より公平にこの国を見ていました」
「む、無理です」
不敬だと知りながらも、即座に否定した。
声が震える。
こんな事態はさすがに想定していなかった。
能力を認められるのは素直に嬉しい。
でも王太子妃候補なんて、私には荷が重すぎる。
「私には無理です。家格も、後ろ盾も、美しさも、候補者の皆様には遠く及びません。私はただ記録していただけで……」
「ただ記録することが、どれほど難しいか知っていますか」
「!?」
振り向くと、いつの間にかクリフォード殿下が立っていた。
殿下は私の前まで歩み寄ると、膝を折るでもなく、手を取るでもなく、ただ同じ目線の高さで私を見た。
「君は誰かを貶めるために記録しなかった。誰かを飾るためにも記録しなかった。ただこの国に必要なものを見ようとしていた」
「殿下……」
「三年前から変わらないね。それでこそ君を母上に推薦した甲斐があったというものだ」
「えっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
私が採点係に任命されたのは、宮廷庁に努める父の伝手だと思っていた。
けれどまさか……殿下が!?
いやいやいやいや、その前に、殿下が三年前のことを覚えていてくださったなんて、そっちの事実にもびっくりしてしまう。
驚いて立ち尽くす私に、殿下は先回りして言葉を継いだ。
「忘れるわけがないだろう? 誰よりも民のことを考え、学生の頃から熱心に勉強していた君を」
「お、畏れ多いことでございます……」
殿下にそっと手を握られた私の頭の中は、完全にパニック状態だ。
顔は真っ赤だし、体温が上がりすぎるあまり、全身から蒸気が噴き出している気がする。
そんな私を見て、イヴリン様がクスリ、と笑った。
「これはもう、私たちの出る幕はないのではなくて?」
「な、なにを仰いますか! そ、そんなわけがががが……っ!」
慌てて否定すればするほど、周りからあたたかな微笑が漏れる。
そして殿下は私の手を握ったまま、いたずら気に小首を傾げた。
「でも急に王太子妃候補になれと言われても困るだろう。そのくらいは私にもわかる」
「は、はい!」
私は何度も全力で頷く。
その様子がツボにはまったのか、殿下は肩を揺らして笑った。
「ではまずは友人になってください」
「友人……ですか?」
「はい。君がこの国をどう見ているのか、もっと聞きたい。私が何を見落としているのか、隣で教えてほしい」
「――」
ことり、と。
そのとき胸の奥で、三年前から閉じ込めていた小さな憧れが、ゆっくりと息を吹き返すのがわかった。
私は採点簿を抱きしめたまま、泣きそうになる。
「……私で、よろしいのですか」
「もちろん。君がいい」
殿下からこれ以上ないお言葉を賜った瞬間。
王妃陛下がゴホンと、楽しそうに咳払いをした。
「ではシャロン嬢。明日からは採点係ではなく、王太子妃教育の特別聴講生として登城なさい」
「あ――」
そうして抗いようがない命令に流されるまま、私は採点係を無事お役御免になったのだった。
◇◆◇
その夜、王宮から帰る馬車の中で、私は採点簿の最後のページを開いた。
そこには、まだ何も書かれていない。
私は羽根ペンを取り、少し迷ってから……こう記す。
『――クリフォード殿下。公平であろうと努める方。ただしご自身がどれほど人の心を乱すかについては、自覚不足』
さらにその下に、小さく付け加える。
『――友人として、要観察』
採点係として持っていた羽根ペンは、今日から王太子殿下への手紙を書くためのものへと生まれ変わった。




